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小説『漂流者』

1

 あれからどのくらい経ったのだろう。日付を数えることすら忘れてしまって、今、時間でも空間でも私は迷子でいるみたいだ。
 海に漕ぎ出た日の、胸の高鳴りを懐かしくも切なく覚えている。優しく背中を押す海風、船出をことほぐ心地いい波の音に見送られ、視界はどこまでも明るく開け、地平の彼方からの呼び声が聞こえてくるようだった。
 上も下も切れ間のない青の中を、吸い込まれるように進んでいた。
 大きくはないが快適な船で、忙しくした後の夜には、楽しい笑い声が響いていた。みんなはどうしているだろう。私がこうして助かったように、どこかで助かっているだろうか。
 過ちの始まりは、不意に立ち込めた霧の中の妖しい歌声だった。海藻をいぶしたようなこもった臭気のする冷たい霧が不気味な静けさを連れてきて、不安で胸の騒ぐような中で、暖かく慈愛に満ちた歌声は、まるで私たちを導くようだった。
 そっちへ行ってはいけないと、誰かが叫んだが、気付けば夢中になって、私たちは声のする方へ舵を切っていた。
 正気に返ったのは、激しく突き上げる振動とともに、悲鳴をあげて裂けるような船板の音を聞いてからだった。
 混乱の中、誰かに押されて、私は海へ落ちてしまった。泡立った冷たい海の中で、息を呑みそうになるのをどうにかこらえ、海面へ泳いだ。それほど長い時間がかかったようにも思えないのに、海上にたどり着いた時には、霧も船も消え、救命用の白いボートが無人のまま浮いていた。
 必死にボートによじ登って周囲を見渡したが、何も見つけられなかった。なんでもいいから目指せる場所はないかと、しばらく目をこらしていると、前方で海面が揺らいだ。弓なりの影が跳ねて、それがイルカだと思うより先に、先をいく影へ向かって一群が勢いよく私のボートを追い越して行った。思わず後についていった。どこへもいく当てもないのなら、せめて道連れのいる方がいいと、賢明な判断だとも思えなかったのに、しばらく漕ぐと島が見えてきた。追い風が吹いていた。イルカはとうに島の彼方に消えてしまっていたが、私はこうしてここに漂着した。
 サバイバルナイフが一本と、ペンのささった小さな手帳が一冊、ボートの床に転がっているのを見つけた。誰かが落としたのだろう。ナイフはありがたいが、メモ帳なんて使いようがないとがっかりしたが、今となってはこうして話し相手になってくれているのだから、よかったのかもしれない。たどり着いたのは、ガラクタの打ち寄せる浜だった。割れたビン、つぶれた缶、膨らまないビーチボール、壊れたゴーグル、柄のないオールに折れたマスト。楽しさの残骸と、悲劇の痕跡と、その間を埋める無数の不要なものたち。その中で立ち尽くす私もまた、その一部なのだろうかという考えがよぎった。しかし、立ち止まってはいけない。島の中央に大きな山がひとつある。火山島のようだ。山は林のようになっていて、コウモリと、どこから来たのかバッタのような虫が住み着いている。海鳥の巣もあって、そこで卵を手に入れることもできた。
 浜に、ほどよく乾いて平らな、うろになった岩の窪みを見つけて、そこを寝床にしている。雨風がしのげて丁度いい。入り口のところに、拾ったビンをいくつか立てておいておき、水を確保するあてもできた。どうにか生きてゆけそうな予感にほっとしている。

2

 今日は少し気分がいい。何度も試しては失敗していた火起こしがやっとうまく行った。かすり傷だらけの手を火にかざすとひりひりとして痛いが、その痛みさえかいがあったと笑みがこぼれるくらい、今はとても幸せな気持ちだ。うまくいくのかどんなに疑っていても、うまくいくまで止めないでいるなら、最後にはうまくいくほかないものだ。これでやっと、日の落ちるたびやってくる憂うつに立ち向かっていくだけの術を手に入れた。長すぎる夜の暗闇は、一人では耐えがたい。日の入りとともに眠ろうとすると、日の出の前に一度目覚めてしまう。月の白い光が静かに波打つ海を照らしているのはきれいだが、それは悲しみに似ている。ハッとするほど美しい人が声を殺して泣いているのを眺めているようで、そこからもれ出たすすり泣きの声がさざなみとなって寄せては返し、耳をふさぎたくなる。目を閉じても、耳をふさいでも、夜冷えが追いかけてくる。逃げ場のないようなのをごまかすために、何度も寝返りを打つうち、うまく眠れるときもあれば、そのまま夜が明けてゆくときもある。
 火があることは、それだけで温もり以上のものだ。はぜる音はさみしい波音にはじくような拍子をそえて、活気をくれる。
 きっとすぐに助けが来るのだから、それまでの辛抱だ。

3

 もしかして何もかも悪い夢なんじゃないかと思う。今日もいやに美しく夕暮れていく空に向かって、のろしの煙がむなしく流れていく。
 ここにたどり着いてから、海鳥の卵を主食にしてきたが、その卵がだんだんとふ化し始めている。じりじりとした焦りが胸に焦げ付いていく。卵が一つ割れるたび、どこかへ向かっていくでもない一日一日を見せつけられているようだ。なす術なく、ただ終わりが向こうから近づいてくるのを待つままに、ヒナ鳥は一匹ずつかえっていく。
 ここがどこか、今がいつなのかもわからない。すべてにぼんやりともやがかかって、現実味がない。夢だとしたら、早く覚めないだろうかと思う。覚めれば、再びあの航海の続きが始まるのだろうか。特別行きたい場所があったわけではなかったと、今振り返って思うが、それでも、とにかくがむしゃらに前に進んでいると思えていたことが、どんなに幸せなことだったのだろうと苦々しく思う。こんなことが長く続くはずはない。遠く地平線に目をこらしていると、救助の船が今にも横切るように思えてくる。そうして、いつまでも近づいてこない船の幻を探し続けては期待して、裏切られ失望している。期待するのはもうやめようと思うのに、探してしまうのを止められない。今度こそは本物かもしれないという期待だけが、どうにか今日一日を生かしてくれている。きっと助けが来るはずだ。今にも。

4

 ついに卵がすべてかえってしまった。磯のカニと貝だけでは空腹は満たされてくれない。浜のガラクタをあさっていると、さびた釘と破れた網を見つけた。釣ざおになるのではないかと、釘を石で叩いて釣り針の形に似せてみた。網の糸をほぐしてしばりつけ、貝をエサとしてたらしてみると、小魚が一匹釣れた。そういえば、イルカに導かれてここへたどり着いたことを思えば、案外この辺りはいい釣り場なのかもしれない。
 それにしても、釣果としてささやかだったが、ほんろうされているだけではない手柄を得たようで嬉しくなる。

5

 釣りのために岩場に座っていると、余計な考えばかりが浮かぶ。
 鳥の卵をとるために歩き回っていた時の方が、いくらか気が紛れていた。それにおそらく、彼らの、鳥たちの気配が、孤独を本物にするのを防いでくれていた。彼らの大切な卵を盗んでは食べてしまっていたのだが、この島でともに生きる一員として、連帯のようなものを感じていた。奪うにいいだけ奪った相手に、今更、仲間だなんて言われたくもないだろうが、彼らのような生きる術を忘れてしまった私は、彼らの存在を頼りにしながら、その成果をかすめ取ることでしか生きることができない。一体どこで間違ってしまったのだろう、と思う。
 海面にぼんやり映る自分の顔を見つめていると、いつの間にか視界が波打ってくる。
 泣いてどうにかなるものでもないが、泣くよりほかにできることもない。
 船の上での一日も、この島での一日も、同じ一日でしかないはずなのに、どうしてこんなにも違って感じられるのだろう。
 どこか向かえる所があるということ。急かされる感覚に息切れして、少し立ち止まってみたいと思いつつ、それでもどこか前の方へを進んでいる感触は、生きていると感じるのに大切なものだったのだと思う。
 今までだって考えてみれば、先を見通せたことなんてないが、まやかしにでも見通せているのだと思えていることがどんなにありがたかったか。前へ前へと進んだ先に、何があるとも知らなかったが、ただ前に進んでいること自体を盲目に信じていた。こなすべき仕事が、その意味を問う間もなく積み上がっていて、それを消化していくことがすべてだった。本当はなんのあてのないものだったとしても、何かしらやり終えたという気分の良さが、夜を穏やかにしていた。
 今、どこへも向かえていないように、今までだって、どこか明白な目的地もあったわけではなったと思う。しかるべき航路に沿って、たどるべき道が示されていたが、一体どうしてそこへ向かうべきなのかよく知らないままだった。せわしなさに息が詰まりそうにもなりながら、毎日のささやかな楽しみと笑いの中で、意味もなく、これでいいと思えていた。
 なんのためにそうまでして前進することに取りつかれていたのか、今となってはわからない。たぶん、そうしているより他のやり方を知らなかったんだと思う。船の仲間は今ごろどうしているだろうか。
 もしかして、死んでしまったのかもしれないと思う。あるいは、私の方がもう死んでいるのだろうか。そうだとしたら、どうして今でも、こんな寂しさとともに死を恐れて、苦しみ続けなくてはいけないのだろう。もし私が死んでしまっているのだとしたら、助けは本当に来るのだろうか。それとも。。。。
 それとも、考えるのも恐ろしいが、ずっとこのまま、最後の時が来るのを待っているしかないのだろうか。

6

 私は死んでいるのかもしれない。そんな言葉が頭にはりついている。
 あのとき、海に投げ出された時、本当は私は死んでいて、他の仲間たちは今でも何事もなく旅を続けているのかもしれない。
 そう思い始めると、今まで無事だろうかと心配していた自分がバカみたいに思えてくる。一体、あのとき私を押したのは誰だったのだろう。どうして他の誰かでなく私が、こんなことになってしまったのだろう。
 私はこんな苦しみに値するだけのことをしただろうか。もっと苦しむにふさわしい人間なんて、他にいくらでもいたはずだ。全然、公平じゃない。こんなことが起こっていいのだろうか。ごく真面目に、比較的善良に生きてきたはずなのに、神様は悪人を生かし、善人を殺すのだろうか。こんなことは間違っている。


7

 今ごろ、どこかの海では、港では、あのときと変わらない日々と仕事が続いているのだろうか。どうして自分だけ落ちてしまったのだろうと思う。
 他の誰でもなく、どうして私が? 他の誰かであって欲しかった。
 一体誰が私を押して、海へ、この地獄へと落としたのだろう?
 どこかで報いを受けていてほしい。報いを受けるべきだ。同じ地獄を味わっているのであればいい。
 私をここに突き落とした犯人は、今でも、のうのうと笑って生きているのだろうか。自分の犯した罪も知らずに? 私がここでどれほど苦しんでいるかさえ知らずに、その不注意が一人の人生を終わらせてしまったことすら忘れて、幸せな日々を過ごしているのだろうか。
 あれは仕方のないことだったと、言い合っている様子を考えると、叫び出したい気分だ。その仕方なさのなかで殺されていく私は、声すら奪われて、苦しみに放り込まれたまま、忘れられていくのだろうか。
 それとも、ここにいるのが他の誰かだったら、もうとっくに脱出の方法を見つけて、どこかで笑っているのだろうか? 私はこんな試練に耐えられるほど強くも賢くもないというのに、どうして私のところにこんな運命が来てしまったのだろう?
 みんなが当然のようにアタリを引くなかで、特別優れているわけでもない私だけがハズレを引いてしまった。その不運を呪ってしまいたい。
 これは運命なんだろうか、それとも、確率だったのだろうか?
 なにか意味があるのだろうか? 神様がいたとしたら、呪われればいい。
 彼は私の幸せなど構わない。私は、誰かの幸せのために捧げられる供物だったのだろうか。


8

 今日は久しぶりに林に入って、ヒナ鳥を数匹捕まえてきた。どうして今まで思いつかなかったのだろう。丸々としたヒナ鳥の肉は、あぶると美味しい。ちまちまと魚の釣れるのを待つより簡単だし、今日はどのくらい釣れるだろうかと不安になることもない。なんとなく同じ島に暮らしている生き物だと、奇妙な遠慮があったのかもしれない。しかし、なんの罪もないのに死んでいく運命なら、どうして罪を犯すことをためらう必要があるだろう?
 ヒナ鳥たちが理不尽に殺されて食われるように、私もまた同じ運命に苦しめられているのだから。私一人が善人ぶっていても仕方ない。強い者が弱い者を食いものにするのは仕方のないことだ。同情も哀れみもバカバカしい。ただ生きるので精一杯なのだから。

9

 ヒナ鳥のあげる金切り声と、それに気づいて向かってくる親鳥たちと攻防していると、こんな私には助けを待つ資格もないのかもしれないと思えてくる。ただただ私が生きて助かりたいという欲望のために、今まで自分たちの領分を守って暮らしてきた生き物たちを脅かしている。ヒナ鳥の細い首にナイフを当ててかき切ると、命の感触が消えていくのをまざまざと感じる。本来ここにいるべきではない、消えていくべきなのは、私の方であるはずなのに。
 私だって望んでここにきたわけじゃない。生きようとしているだけだ。彼らが罪なく死んでいく代わりに、私は罪にまみれて生きていく。生きていたい、救われたいと思うことは、そんなに罪深いことだったのだろうか?

10

 夢を見た。くだらないと思いつつ、いまだに心臓がドキドキしている。
 単なる夢だ。けれど、いまだにあの感触が残っている。押し込まれる恐怖と、刺さる痛みの感覚が。夢だったのなら、どうしてこんなに恐ろしさが現実らしいのだろう? まるでさっきまでそこにいたかのように、全てが鮮明に残っている。。。
 浜に座っていると、大きな船が悠然と通り過ぎていた。
 それは見せびらかすようで、ひどく速度を落として。それなのに、ずっと上がっているのろしに気づいていないのか、けして止まる様子はない。人の気配はするのに、誰も出てこない。
 必死に手を振って、叫ぼうとしたが、手足は鉛のようにだるくて、声はかすれてしまう。
 上着を脱いで振ってみるが、やはり気付く様子はない。船は船首からゆっくり、ねばつくように視界から消えていく。甲板に目をこらすと、清けつな身なりの人々が楽しそうに談笑して、食事をしている。こんなに近くにいるのに、誰一人気づく気配はない。
 何かがおかしいと思っていると、自分のてのひらの向こうから太陽が透けていた。まるでクラゲのように半透明になった手をかざして船を見ると、それは海中を泳いでいくようだった。
 ああ、あまりに長くここに一人でいたせいで、私はもう人ではなくなってしまった。あの幸せそうな甲板の上に登ることは、もうできなくなってしまったんだと思った。自分がクラゲのようになってしまったことはなぜか不思議に思わなかった。それはごく当然の結果だと、そのときは納得していた。
 後ろから鳥の声が聞こえて、振り返ると、海鳥たちが私にめがけて飛んでくるのが見えた。彼らには、私は大きな魚のように見えているらしかった。食欲をたたえた目が光り、獲物を喜ぶ雄叫びが響いていた。
 違うんだ、と叫んでも、かき消される。上着を振って逃げようとするが、そうするたび、輝くうろこがはらはらと落ちた。
 鳥たちは不屈の姿勢で、食いでのある獲物を逃すまいと必死になっている。
 助けて、と叫んだけれど、船からは談笑の声がいっそう高く聞こえてきた。
 こうして書いてみれば、こんなことくらいでと思えるが、どうしても、あの恐ろしさが消えない。船は行ってしまう。自分は襲われて、食われてしまう。誰にも気づかれないまま。
 ただの夢だ。しかし、今日は、鳥を捕らえに行く気になれない。。。


11

 だんだんとヒナ鳥たちが大きくなって、捕まえがたくなってきた。逃げるのに短い距離を飛べるようになり、林の中で追うのは難しい。うまく飛べずに地面に落ちたのを捕らえるが、長くは続かないだろう。巣立ちが近いようだ。
 彼らはどこかへ渡っていくのだろうか? 海鳥であるなら、いつかこの島を去っていくのだろうか?
 そうとして、魚も貝もとれるのだから、食べるのに困りはしないだろう。ただ、翼を持てずに一人ぼっちで取り残されるのかもしれないと思うと、胸が苦しくなる。

12

 今日は一日、のろしの煙を見ていた。
 漂流物の流れつく浜で、日の沈んでいく方向をぼんやり眺める。煙は島の方へ吹き戻ってくるが、どちらにしろ同じことだ。
 ヒナ鳥たちは親鳥と見分けがつかなくなってきた。押さえつけて、小さなナイフでしめるのには手に余る大きさだ。
 そろそろ魚釣りに専念すべきだろうが、何をする気にもなれなくて、ガラクタの浜に座り込んでいた。自分もこの捨てられた漂流物の一つだと、そろそろ認めなくてはいけないのかもしれない。欠けて、壊れて、用を足さなくなったものたちが、風と波の力によって、時の経つごとに形をなくしていくように、自分もまた同じ運命をたどるのだと。
 ここにくるまでに乗ってきた、救命ボートが波に揺れている。行くあてもなく漕ぎ出していくには、あまりに頼りない。
 助けが来るというのは幻想なのだろうか? もしかしてここは、見捨てられた海域なのだろうか? 誰かが通り過ぎるなんていうことは、この先ずっとないのだろうか?
 ただ待つしかできないことは、けしてたどり着けないところへ急ぐことと同じくらいつらいことだ。それ以上かもしれない。ともかく向かう方へやれることがあるということは、何ができるでもなく待っているより、楽だったんじゃないだろうか。だからこそ、立ち止まることをずっと恐れ続けていたのかもしれない。立ち止まってしまえば、こんなふうに虚無になってしまうと、どこかで気づいていたから。
 船はどこにあるのだろう? こんなにも助けを呼んでいるのに、どうして誰にも届かないのだろう?
 そもそもこんなに都合よく助けてもらおうと思っていること自体が間違っているのだろうか。さんざん島を荒らして回っておいて、今更、自分こそが哀れな人間だとでも言うように助けを求めること。神さまがいるとするなら、きっととっくに見捨てられてしまっただろう。それなら、そんなのはいなければいい。私の罪はあばかれずに、物事は偶然の確率によって支配されていると思えるなら、いくぶん気が楽だろう。運命ならばどんな意味があるのだろうと不安になる。私にどんな間違いがあったのだろう? なんの過ちが、こんな運命を呼び寄せたのだろう? ただの偶然なら、心ゆくまで呪ってみることができる。悪いのはすべてお前の責任だと恨んでみることは、こんななかでの唯一の慰めだ。しかし、それなら誰を恨めばいいのだろう? ここには、呆れるくらい誰もいない。

13

 今日、ついに海鳥が旅立っていった。
 朝からどこかしらの気配があって、ふと顔を上げると、林の中から鳥の大群が飛び立っていった。太陽も空も海も、風の匂いすら、昨日との違いがわからない。
 その日が今日だと、どうして決まったのかわからないが、私にとっては代わり映えのしない昨日と今日でも、彼らにとってはなにか大きな違いがあったのだろう。
 ついにその日がきたのだ。
 これで私は本当に一人になってしまった。
 陸の上では優位だというだけで、自分は彼らより強いのだと思い違いをしていた。そして、弱い生き物と思っていたけれど、今になれば、飛べない私はとても弱い。自由に飛び立って行ける彼らと違って、私はずっとここに縛りつけられている。彼らの支配者になったつもりで、その生き死にを下しているつもりで、鳥たちは結局食い尽くされることもなく飛び立っていってしまった。私はここで死ぬしかないかもしれないのに。
 弱肉強食の世界といって、一体何が強く、弱いのかわからない。わかるのはただ、同じく死んでいくばかりだということ。

14

 これはなにかの報いなのだろうか?
 なにか大事なことを見逃してきたのだろうか。あまりに一人だ。
 抵抗すら虚しく、破滅の穴の中に落ちていくようだ。こっちには来ないでほしいと強く念じながら、まるで金縛りにでもあっているように身動きもかなわず、死神がゆっくりと振り返るのを黙ってみているしかできない。
 このことに備えておく方法があったとも思えない。けれど、どうしてもっと、こうして一人きりで道を外れていく可能性について考えが至らなかったのだろう。ただただ前を目指すことに夢中で、振り返ることを億劫がっていた。そんなふうに、くだらないと置いてきたすべてのものが今、とても惜しい。私には関係ないと切り捨ててきたものが、どうしようもなく追いかけてくる。。。
 あのときの私にこのことを言ってみても、そんなバカなと、きっと笑い飛ばすだろう。それが想像にかたくないからこそ、いっそう、逃げ場のない気分だ。いつまで生きて、どうやって死ぬのか選べない。
 一体誰がこんなふうにしたのだろう? なんのために?

15

 神様、どうぞ助けを送って下さい。。。。 
 今までのことはすべて悔い改めます。助けてさえくれるのなら、今後一生、あなたのために生きてゆきます。
 きっともう、むやみに生き物を殺したりしません。誰かを羨んだり、憎んだり、悪態をついたりもしません。つまらない快楽にも溺れません。
 きっとここから救ってさえくれたら、あとはもう、生きているそのことだけで、毎日あなたに感謝するでしょう。今まで多くを望みすぎていたことを悔い改めます。どうして今まで、あまりに多くを与えられていて、そのことに気づきさえせず、更に多くを望んでいたんでしょうか?
 これは強欲さの罰なんでしょうか?
 それなら、私はこれからはごくつつましく、満足して生きてゆきますから、どうか神様、この祈りを聞き入れてください。。。

16

 毎日、魚を当てにして生きている。確かにそこにいるとわかる鳥たちと違って、魚は釣れない日がある。空腹を抱えて眠るのは惨めだ。不幸の中でも、鳥たちがいた時の方が、今よりはマシだったのかもしれないと思える。
 日差しがあざ笑うように背中を焼き、海は凪いでいる。もしも帰る場所があったのなら、こんなにいい日はなかっただろう。ゆったりと打ち寄せる波の音を聞きながら、のんびりと魚を待っている。しかし、今日は一匹もかからない。空腹が鳴ると、生きることが頼りなくなる。
 明日もかかるかわからない魚を当てにして、他に手立てもないままに、これから生きて行けるのだろうか? もしかして静かに死んでいっているのではないだろうか? 結局、最後には、一匹の魚も取り逃がして、力尽きていくのだろうか? 誰にも知られることなく?
 私が死んだら、誰が見つけてくれるのだろう? 私が生きていたことを、誰かが見つけてくれるだろうか? それとも、はじめから生きてさえいなかったように、名前も痕跡も残らないまま消えていくのだろうか?
 誰にも知られず、あの海岸の取るに足りないガラクタの一つとして、白い骨を残すだけなのだろうか。だとしたら、今まで生きてきたことになんの意味があったのだろう? 何かを得ようとして確かにやっきになっていたけれど、今、一体、何を得ようとしていたのかすら忘れてしまった。はじめから、何も得られるものなんてなかったんじゃないかと思えてくる。。。
 何もかも間違っていたのかもしれない。
 なにか取り返しのつかない、あまりに大きなものを失ってしまった。
 何をしたところで、すべて白い骨となっていくのなら、こうして必死にあらがって、苦しみを引きのばしている意味とはなんだろう?
 今、何も残っていない。今、何も残せるものもない。
 死神が一体いつどこから襲ってくるかと、日々怯えながら生きることになんの意味があるだろう? それならいっそ、最後くらいは自分で決めてしまいたい。。。

17

 波打ち際を歩いてきた。
 昼間よりは夜の方がいくらかやりやすいかと思って、海の方へ足を向けてみたけれど、歩いていけば海が遠ざかっていくし、海の方が近寄って来れば、どうしてか思わず後ずさってしまう。
 これから続く苦しみを思えば、こんなことはほんの一瞬に過ぎない、たいしたことでもないだろうと思うのに、身体がうまく動かない。
 このまま苦しみを引きのばして、衰弱しきって、選択の余地を奪われ、死神の来るのをやきもきしながら待っているくらいなら、いっそのことこちらから迎えにいっていけないことがあるだろうか?
 人間は誰しも必ず死ぬのだとすれば、それがいつであっても変わりはないはずじゃないか?
 そうやって励ましてみても、やっぱり足は動かなかった。
 この先には、あの海の底には一体何があるのだろう? あの暗く真っ黒な海の底には何が?
 胸が頼りなく震えるようだ。今より悪くなるはずもないが、その最悪さえ塗りつぶしてしまうくらい真っ黒な「無」のことを思うと。
 そこへ飛び込む勇気さえないなら、やっぱり諦めて、このままでいるしかないのだろうか。。。
 情けなさが笑っている。。。

18

 陽のもとで釣りあげた魚の死んだ目をのぞくと、自分の顔が見える。こんなふうに生きるなら、死んでいるも同然だ。
 なんのためにこうして必死になって日々を過ごしているのだろう?
 ただ全てを終わりにしてしまいたい。眠ったまま目覚めなければいい。あるいは、どこかで、本当の現実にやっと目覚めて、今までのことはすべて夢だったと思えればいい。
 空を見上げても何もなく、遠くを見ても何もない。真っ青な壁が四方に立ちはだかって、息の詰まる狭苦しさを感じる。どこまでも開けて行く可能性に拒絶されている。
 これは死ぬこととどう違うというのだろうか?
 限りなく似ていて、そのくせ生きているという一点が始末に負えない。同じ苦しみの中でもせめて、それを感じる心も体もなくしてしまえたらいい。
 難しくはない。その苦しみは一瞬なんだ、と耳の奥で声がする。。
 それにしても、その一瞬がとてつもなく恐ろしい。ただの一瞬が、まるで永遠のように感じられる。。。。

19

 紙が濡れてダメになってしまわないかと、心配だ。
 指が震えて、うまく書けない。
 濡れた体が冷たいせいだろうか。
 水の滴るのは、海水だろうか、涙だろうか。
 情けなくて泣けてくる。
 どうしても、どうしても無理みたいだ。
 何度やってもうまくいかない。
 いつまでも苦しみ続けていろと言われているのだろうか。
 ここは、死ぬことさえ叶わない、地獄だったのだろうか?

20

 頭が妙に冴えていて眠れない。ついさっき、日の昇る直前まで、ウミガメがそこにいた。
 生きることができず、死ぬこともできず、何もできないまま、一晩中眠ることもできないまま、砂浜に座っていたら、ウミガメが一匹、こちらに向かってくるのを見つけた。
 大きな月のふもとから、まるで月をそのまま背負ってきたように、不恰好に砂浜を歩いていた。おぼつかないけれど、はっきりした足取りだった。
 このガラクタの墓場になんの用があるのだろうと眺めている私をしり目に、砂浜を掘り始めた。
 そんなに必死になったところで、ここには何もないんだと、ヤジを飛ばしてみたくなったけれど、あまりにひたむきなので、何も言えなかった。なんとなく息をのんで、何をするのか見ていた。
 そこそこの深さになると、ウミガメはため息をつくようにして、卵を産み始めた。青白い、死人の顔色のような卵だ。そんな卵が、次々と穴の中に落とされていく。生まれそこなった赤ん坊が埋葬されていくようだった。
 真夜中のささやかな葬儀に、意図せず参列させられたようで、どうしてかおごそかな気持ちで祈った。誰にも知られず死んでいくもの同士の共感だったのかもしれない。
 ウミガメはどれくらいそこにいたのか。いつまでもこの夜は終わらないんじゃないかと思い始めた頃に、やっと満足したのか、穴を埋め戻して、海へ帰っていった。
 そのすぐ後に、朝日が昇って来た。ついさっきだ。
 あの青ざめた卵から本当に何かが生まれてくるのだろうか? 
 それを確かめてみるまでは、どうにか生きてみようと思う。

21

 砂浜の真ん中に、ぽつんと無縁仏の墓のような盛り上がりがある。岩場で食べられそうな貝類を探している時も、釣りのために座っている時も、どこかあの陽に照らされた盛り土のことが頭に浮かぶ。墓は沈黙している。昨日と同じ一日。しかし、そこに何かが埋まっていることを私は今、知っている。何かが生まれるかもしれないし、何も生まれないかもしれない。しかし、可能性ともいうべき気配が、どこか落ち込んだ気持ちを彩っている。それは、うすぼけているけれど、確かに色づいている。くすんだ無彩色の世界には、十分な鮮やかさだ。明るすぎるより、そのくらいが心地良く信じられる。希望と呼ぶにはほの暗いけれど、絶望と呼ぶものよりは微光を帯びて、蛍のように光っている。そのためにならもう少し、生きてみてもいいのかもしれないと思える。

22

 朝日が昇るのをみていると、あの日のことを思い出す。真夜中の葬儀の、祈るような気持ちは何だったのだろうと思う。あのとき、正確には何と祈っていたのだろう。生まれないまま死んだ者に対して、どうか安らかで幸せであってほしいと思った。そもそも存在すらしなかった相手だというのに、救われてほしいと心から願っていた。それは少し不思議なことだ。救いを切実に必要としているのは彼らよりむしろ私の方なのに、いざとなると彼らのことを祈っている。自分こそがどうしても救われたいと願うほど、自分に似た他人のことに熱心になってしまう。相手が本当は何を望んでいるかも知らないままに。人知れず埋められてしまった墓の闇から彼らが救われてくれるなら、私もまた同じように救われるんじゃないかと期待してしまう。

23

 今日も変化はない。助けを呼ぶのろしは、今ではまるで死人を弔う線香の煙のようだ。私と、彼らのための。
 それでも、今までの虚しさとは少し違っている。それが顔すら知らない相手だとしても、祈る相手のいることは、虚しさが虚無へ落ちるのを引き止めている。たとえ彼らのことを理解することなど叶わなくても、私のこの共感が身勝手なものとしても、せっかくつかんだこの光のために、どうか救われてほしいと祈る。

24

 もしも彼らがうまく穴からはい出して海へ向かうとき、私はどんな気持ちでそれを見るのだろう?
 また再び、置き去りにされた寂しさと孤独に戻るのだろうか。全員が同じところにいるうちはよくとも、誰かが一人でもそこから外れていくのをみると、引き止めてしまいたくなる。よどみの中で身を寄せる心地よさを手放すのは怖いことだ。いっそ、あの卵がけしてかえらないように、深く埋めてしまおうかと魔がさすように考えることもある。可能性はずっと可能性のままでいるのが心地いい。こんな夢なら覚めてしまいたいと願うけれど、本当に夢から覚めてしまった後の現実に何があるのか知るのが怖い。現実とならない限り、すべて形のない幻だとしても。助けを望んでいるのか、いないのか、自分でもわからない。あまりにも、助けの船の通らないのに慣れてしまって、助けられていくことを想像するのが難しい。いつまでもこのままでいることの方が、ずっと簡単に現実味をもって想像できる。それがどんなに苦しみのあることでも、どこか心地の良ささえ感じてしまうくらいに。絶望は、小ぎれいな身なりをして、理知的に話しかけている。何もかも必死になったところで無駄だ、終わりにはどうせ何もない、と。希望は、にやにや笑っている。ちぐはぐな格好で、ふざけた間抜け面で。もしかして明日にでも「その日」が来るかもしれない。急ぐこともないじゃないか、と。
 信じるべきはどちらなのか。堅実で真実らしいことと、とぼけた空想のようなことと。希望を信じることはバカげているように思える。けれど、ものの分かったような顔をして憂うつに立ち止まっているのなら、目をつぶって見当違いにも歩いていったとしても、大きな違いはないように思える。
 きっといつかは助かるのだと、ここから抜け出して行く方法が見つかるのだと、夢のようなことを期待してみよう。生きるためには、まず生きたいという意志が必要だ。そのために、どんなバカバカしいことも信じてみよう。

25

 変化というのは、いつも思いがけないところからやってくるものなのかもしれない。誰もそれに備えることができない。そもそもここへ流れ着いたことも、同じようにして私に襲いかかってきたことだった。今日は、あのウミガメをみた日と同じような満月だった。もしかしたら、今日は何かが起こるかもしれないと、大きく明るい月と暗く沈んだあの穴のところを交互に見ながら、波の音を聞いていた。その中にあるものは今、温かく鼓動しているのか、冷たく硬直しているのかと思いながら座っていたとき、視界の端の方で何かが動いているのに気づいた。黒い土くれのようなものが泉のように湧き出てきているところがあった。葉ずれのような音がかすかに聞こえて、無数の小さなウミガメが這い出してきていた。
 軽い衝撃を受けた。今までそこに、卵があったことすら私は知らなかった。ずっとこの島にいて、この浜で過ごしてきて、何もかも分かりきって、変わりばえしないところだと思っていたのに、一体私は何を見ていたのだろう? 何も知らないじゃないかと思い知らされているようだった。そうやって呆然としている私を横切って、小さなウミガメは黙々と海に向かっていった。親ガメが彼らを産むのにかけた時間を思えば、あっけないくらいあっという間のことだった。
 なんの迷いもなくまっすぐに進んでいく様子を見ていると、私がここにくる前から、こんなことが飽きることなくずっと繰り返されてきたのだという考えが浮かんできた。大きすぎる流れの、狂いのないリズムにのまれて、私は今にも消えてしまいそうだった。そうやって消えていく感覚はどうしてだか、深く暗い無に落ちていくというものではなく、どこまでも明るい光の中に溶けていくというもののようだった。
 何かが今、心の中にひらめいているのだけれど、うまく言うことができない。

26

 西風が吹いている。助けの船が来る前に、小さすぎる手帳のページが最後まできてしまった。振り返れば、ずいぶんなぐさめられていた。最後に感謝を書いておこう。
 あの風がもうすぐ助けを運んできてくれるような気がする。気がする、というのは、心もとないが、どんなバカげたことも信じてみようと決めたからには、きっと運んでくるのだと信じよう。もしかしてこのままで最後まで生きるとしても、その最後の時まで、助けが来ることだけは諦めないでいたいと思う。
 もしもこの手帳が誰かの目に触れることがあるなら、私はきっと誰かに見つけられ、助かっているのだろう。そのときは、これが孤独な誰かのなぐさめになることを祈る。


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