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フォロワー数だけしか目に入らんし
多分、長くなるし、この記事見る人もあまりいないと思うから(哀しいかな)何も気にせず意見していきます。
4年前くらいに買った【嫌われる勇気】という本。
当時読んだ時、ああ確かに面白い。と思っていたが、実際この4年間を通して、自分が何も変わっていないのは、当時そこまでの感動は覚えなかったんだと思う。
4年後の今、直感的に読もうと思って、一気読みした。
2回目だったから内容は分かっていたけど、まるで響き具合が違った。
多分4年前の私じゃなくて、今の私に必要な内容だったんだと思った。
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今、私はSNSの使い方が分からない。
私にはやりたいビジネスがあるから、元々の計画では、SNS(特にインスタ)でフォロワーを増やしてファンを増やしてからビジネスに進もうと思っていた。
でも、到底簡単にフォロワーなんて増えるものでもなく、ネットでフォロワーの増やし方を調べて、その方法に基づいて実行してた。
その増やし方ってのが、自分のアカウントに興味が有りそうな人を無作為にいいねして、あわよくばコメントして、フォローして、フォロワーを増やす。
その後に、自分はフォローを外していき、あたかも自分のアカウントは人気のあるアカウントのように見せる、というもの。
頭すっからかんだった私は、「ああ、そういうものか」と、まるで教科書通りにやっていたけど、やっていくうちにものすごい違和感を覚えた。
結局自分がいいねした人もコメントした人も、フォローした人ですら、どんなアカウントか覚えてる?
ストーリーに投稿が流れてきて、「あ、この人、この前フォローしたあの人だ!」って思い出せる?
全然覚えてないんだよね。
自分がそういう感覚で獲得したフォロワーは、相手も同じ感覚だろう。
そんな、数稼ぎのためだけについたフォロワーが、ほんとに私の商品買うか?
ましてや、私のファンになるか??
100%、ファンになんかならないし、私の商品なんか興味もないと思う。
だから、たいして投稿も見ず、その人のアカウントもチェックせず、いいねしたりフォローしたり、フォローバックしたりする、のはやめた。
あと、明らかにフォロワー数稼ぎたい人のフォローバックもやめました。
目的を忘れたくない。
別にインスタのフォロワーの数を増やすために始めたわけじゃない。
私が欲しかったのは、ファン、いや、ファンじゃないな。私の意見に賛同してくれる人、いわゆる、仲間?的なのがSNSを通して欲しかった。
賛同してくれるその人たちのために、まずはビジネスという形で貢献できたらと思った。
それが社会に繋がって、大きな貢献になればいいと思った。
口にするのが怖かったけど、ここでちゃんと自分のやりたいことを公言する。
私は、地球直結型の古着屋がやりたい。
売り上げの一部を植林活動や、発展途上国に還元するビジネスがしたい。
いかに地球が崖っぷちの状態に置かれているか、古着を通して伝えたい。
それでもなお、古着を通して希望を与えたい。
買い物するだけで、誰かを助けることができるという感動を分け合いたい。
こういうことを腹を割って話せる仲間、知識を共有できる仲間にあいたくてインスタをやっている。
自分が無駄にいいねとかするのやめてから、何だか楽になった。
そして冷静になって気付いたのが、自分のフォロワー増やしたい人多すぎじゃない?
ということ。(過去の自分も含めて)
ここでの意味は、「数稼ぎのためのフォロワー」という意味でいいます。
インスタのフォロワー数ってなんの意味があるんだろう?
数が多ければ、自慢できるものなのか?
人よりもフォロワーがいれば、優位に立てるものなのか?
そんなわけがない。
やっぱり、自分の軸を持って、何かを発信している人は絶対にブレないし、でもそれって簡単にできることじゃないから、「ああ、かっこいいな」って思われることも多いと思う。
しかもそれって、大体、誰かの役に立っている情報、誰かに貢献している内容だから、自然に、「フォローしたいな」って思わせてくれる。
だから、自ずと数字もついてくる。
自分のアカウントもそういうアカウントにしたいと思った。
別にその結果、たいしてフォロワーの数が増えなかったとしても、別にどうでもいいと思った。
だって、共感してくれる人一人にでも出会えることが奇跡だと思うから。
そしてその一人を大事にしたいと思うから。
浅く広くではなく、狭く深く。
でも、そこで一つの壁ができる。
私が、仲間と話したいこと、一緒に知識や感覚を共有しあいたいことって、SNSで発信するのには、ものすごいエネルギーがいる。
環境問題
社会問題
美的センス
英語
環境問題に関しては、少ないけれど、いくつかは発信してみた。
300人ちょっとしかいない私のアカウントでも、こんなに発信するのにエネルギーいるのかと思った。
他の人の投稿をシェアするのはまだしも、それに自分の意見を加えること。
ああ、怖い。
「間違った情報を発信しちゃいけない。もっと調べないと。でも投稿したら、何?頭いいアピール?って思われんのかな。意識高いって思われんのかな。どこ向かってんの?って言われんのかな。」とか本当にいらん感情がめちゃくちゃ邪魔してくる。
美的センス、まあいわゆるコーデとかは、「ダッセーなって思われてんのかな。」
英語は、「海外ぶってんな、うぜーって思われてんのかな。」
流石に29年間ずっと避けてきたことを急にできるようになるには無理がある。
最初の話に戻るけど、そういう状態で読んだ【嫌われる勇気】という本は本当に沁みた。
本の内容には触れないけど、まだまだ私が克服しなければいけない考え方が多々あることに気づいた。
とりあえず、私のアカウントは私のもの以外何者でもないし、私自身は私以外の何者でもないし、それに誰が何を言ってきたとしても、何を感じたとしても、それはその人の物差しでしかなくて、私のアカウントも、私自身も、みんなのアカウントも、みんな自身も、誰の物差しでも測れないということ。
フォロワー数でなんか測れるわけが無い。
だからもっとありのままに、好きなようにSNSを使おうと思う。
その上で、誰かに何かを言われるんだったら、それは、その人の意見だから、受け取る必要はない。
私以外の誰かに、私の世界に介入できる権利はない。
でも自分のためになるアドバイスなら受け取ればいい。
ためになるかならないか。それは自分軸で判断すればいい。
逆に私だって誰かの世界に介入する必要もない。
その人はその人の背景があって、その人の考え方があって、その人の世界を生きている。
私に介入の余地はない。
その人にもっとこうして幸せになってほしい、と思うなら、【アドバイス】をすればいい。
その人が受け取るか受け取らないかは、その人が判断する問題だけどね。
それは大前提。
その上で、誰かの世界観に共感して、感動して、フォローする/される、が起こるのは素敵なことだと思う。
無論、ほとんど読まれないであろう、こういう記事では、何の蟠りもなくスラスラと言葉が出てくるのに、インスタでは、たかが数文字のフィードでも、何時間と時間がかかる。
その結果、誰の批判も浴びないような、保守的な、本心と意図していないポストが出来上がる。
他人軸=フォロワー軸で考えているうちは、多分理想の自分にはなれない。
自分軸=自分のフィード軸で考えよう。自分のアカウントがどうなっていたいのか、どんなフォロワーさんがいて、どんな人をフォローをしていたいのか、それだけを考えよう。
誰がどう思うかは、その人の自由。
私が何を発信するのも私の自由。
私はそう思います。
皆さんはどう思いますか?
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