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【CASE2.夫婦関係】ということで離婚のこと。

ながながとセックスレスのことを書いてみた。
(もしずっと読んでくださった方がいたならば、心から感謝したい)。
その内容はマガジンにまとめているので、ご参考に。

で、離婚を考えて辞めた話を書いておこうと思う。

セックスレスは結局レスられ側次第

いろんな要因を書いてきたが、結局レスを解決するということはすさまじく大変なんだと思う。
まず、話し合うに至るのが大変なのだ。
価値観が違うことが多いから。
セックスしなくても夫婦は破綻しないでしょ派と、耐えれません派(我が家の場合)なので、もともと「セックス」の占める割合やポジションが違うのだ。
私は夫婦生活に必須くらいに思っていたわけだが、夫は別にしなくてもいいんじゃないか?と思ってる。
なので、すごくしんどい、辛いと言っても、それが「大した事」と思ってもらうまでにハードルがあるのだ。

なんとかつらいことをわかってもらえ、話し合いに持ち込んだとする。
ここで起きるのは、「解決策が浮かばない」ということだ。
具体的にレスになった理由があれば話が早い。
「妊娠中」「授乳中」なんかはわかりやすいだろう。
それが終われば前向きに検討しましょうかね、というたぐいのもの。
「マンネリ」なども、もしかすると場所を変えるといけるなどもあるかもしれない。
「浮気」など、爆弾的な具体的理由もあるが、これも理由が明確な分、次の行動がとりやすいだろう。

ただ、そのなかには、「加齢」や「ED」、「多忙」など、具体的理由はあれどどうしようもないものもある。
そして厄介な「なんとなく」「気分じゃない」「そんな風に見れない」の積み重ね。
これらを提示されると、もう手が打てないのだレスられ側は。
となると、こちらの性欲勃発時、自分でする・浮気をする以外の選択肢は、我慢か、相手に無理やり付き合ってもらうしかないのだ。

この無理やり相手してもらうというやつ。
これは、もうたまらなくむなしい。
結局ね、性欲を埋めろという欲求だけでなく、能動的に私を求めろと思ってるわけだ。
無理やり相手してもらうというのは、「能動性」もなく、「私を求める」もない。
申し訳なさすら出てしまう。

となると、結局、選ぶのは「我慢」なのだ。
相手が無理なことを求めるのは間違っているという方向へ思考が転換し、己の性欲を恨み、自分を否定する…それが私のレスられの末路だった。

レスで気づいた愛情の欠如

自己否定感というのは不思議なもので、心の奥のさらに奥のほうから「NO!!!!」が出てくる。
きっと、本当は誰も、自分を否定なんてしたくないんだろうな。
私って夫から求められる価値がないんだ、魅力がないんだ、性欲お化けな私が悪いんだ…そんな否定感は、誰よりも自分自身がほんとうは肯定してほしいと叫んでいるものだと思う。

肯定してくれる別の人を探すという行動に出る人は、きっとそういうことじゃないかと思う。
早いところ離婚して、少しでも若いときに別の人を探したいと思うんじゃないか。
気持ちはよくわかる。
ものすごく合理的だとすら思う。
需要と供給がかみ合ってないんだもんな。

私の場合、そんな気持ちとともに、相手を本当に愛しているのか?という根本的なところに立ち返ってしまった。

以前も書いたが、性欲が「自分を気持ちよくしてほしい」という欲なのか、「相手とともに気持ちよくなりたい」なのか。
自分の何かを埋めてほしいというネガティブな部分に起因しているのか、相手とともに身体的・精神的満足へ向かっていきたいというポジティブな欲なのか。
私は完全に前者だと気づいたのだ。
欠如しているものを埋めてほしいという、自己欲がその正体だった。

だから、これは夫婦として私のポリシーに反すると思った。

離婚しよう

私は夫に離婚を切り出した。
夫は青天の霹靂のような顔をしていた。
夫も私に少なからず不満はあるだろうと思っていたが、何もないと言った。
そこで初めて、彼の拒否の理由は別に太ったからではなかったんだとわかった。
私だけが、その理由を体形のせいにし、自分の欠乏を埋めようと欲をさらに増長していたわけだ。
夫は「そんな私」を拒否っていたわけだ。
ある意味、私が「お情けでセックスしてもらったときの虚無感」と同じ種類のものの正体を、彼は「シテシテ(埋めて満たしてと)いう妻」に見出していたのだと思う。
結局私たちは互いの気持ちがセックスという行動に伴っていないことに、きづいていたのだ。
求めあうとか、相手を心地よくさせることが自分の満足とか、ではない、ということだ。

セックスレスが要因ではないのだ、つまり。
セックスレスで気づいたもの、が要因だったのだ。
今の自分の心と体に、お互いがいなくて良いということだ。

肌への親近感は将来の布石でもある

夫は、離婚を拒んだ。
1年、何やら2人のことを考え、私にいいように行動してみるというので、待ってみたが、結局、私の欠乏感は変わらなかった。
さらにいうと、自分の本心に気づいたこと+長年のセックスレスのトラウマで、夫に触れられることに嫌悪感を抱くようになった。
よく、頭をたたかれて育つ子供に、たまに手を伸ばすだけでたたかれると思ってびくっとされるような現象があると思うが、それと同様に、あれほど求めていた夫からの接触が、肩をたたかれるだけでびくっとする。
どよーんとするようになった。
こんな状態で、老々介護なんて絶対できないと思った。
おしもの世話なんて、絶対無理。

セックスというのは、肌なじみ効果もあると思う。
挿入云々、勃起云々、濡れる云々ではないというのはこういうところだったりもするんだ。
互いが当たり前に肌に触れ、人に見せられない部分を見せる習慣があったことで、ようやくうんこを拭く気が起きるというものなんだと思う。

どよーんの正体を探ると、やっぱり私はなんだかんだで自分を拒否したことにひどく傷ついたんだなと思う。
もう傷つきたくないからこそ、「接近を禁ズ」状態になったんだろうな。
かわいそうだ、私。

離婚しようアゲイン

1年後、再度離婚の意が変わらなかったことを伝えた。
夫は、次言われたら受け入れようと思っていたらしい。
文句も拒否もなく、受け入れてくれた。
そして、離婚へ向けて準備をそれぞれがすることになった。
とはいえ、子供の受験などもあり、すぐはやめておこうということで、大きな準備はしていなかった。

なんなら私は、籍を外す以外はそこまで変わらないんじゃないかと思っていた。
だからこそ、子供にも大きな負担を与えなくて済むのではないかと考え離婚へ前向きになれたのだ。
養育費はもらえるし、慰謝料も発生しない、もともと別居だから月に数回夫と会うのも以前と変わらないし、そのときに別にうちに泊まってくれてもいいし。と。

そんな風に思っていた時に、夫が親権を得ることを考えていることを知った。
「今まで私が育児をしていたのに?」と聞くと、「だからこそ次は俺がと思って」と言った。
衝撃でしばらく言葉を失った。
夫が子供の親権を得たら、子供たちは県外の夫のもとに引っ越し暮らすことになる。
家、学校、友達が1からだ。
さらに、私と子供たち3人で回していた生活が一転し、夫がハンドリングすることになる。
料理の味も変わるし、掃除、洗濯、いろんな雑務も十中八九ずさんだ。
15年以上家事をしてきた私と、自分のためだけに生活を回してきた夫の家事スキルはまったく別ものだ。
もちろん、病院、学校の書類、振込関係なんかも、夫は今まで一度もしたことがない。
なんなら月数回会って甘やかすことしかしていない夫は、子供たちの性格やメンタリティを本当の意味で理解してなんていないと思われる。
どれほど子を育てることに時間と手間が取られるかわかってないうえ、想像以上のやりくり能力がいるのも知らないだろう。
「本気?」そう聞く私に夫は「別に子供たちに選んでもらってもいいけど」と言った。

そのときだ。
私は離婚を一転して辞めようと思ったのは。

離婚ダメ、ゼッタイ

子供たちが両親どちらかを選ぶ?
そんなつらい選択をさせる気なのか?
私たち夫婦が親権を取り合うほうがよっぽどいいんじゃないか?
あるいは、選ばさないために、私が親権を譲る?

私が子供たちをずっと育てたいという気持ちはもちろんあるし、なんならあの子たちの親だという思いは誰よりも強いという自信はある。
だが、子供たちのメンタルが伴い、ある程度環境を変えることが大丈夫ならば、夫が今まで離れてたものを取り戻したいという強い思いを尊重できる。
親は私と夫だからだ。
だが、今までずっとそばで子供たちの成長を見てきた私だからこそ、子供たちにまだそのメンタルが備わってないこともわかるのだ。

あ、それなら、私が全部我慢する。
自然にそう思った。
いや、もはや我慢ではない。
望みなのだ。

私は子供たちに、学校など外の嫌なことは全部家で吐きだせと言っている。
だから、子供たちの嫌いな先生も意地悪なことをするクラスメイトも、きしょい告白をしてきた同級生も把握しているし、どうしても誰かに言いたいけど友人に言うと広まってしまったらまずいような秘密話や、プライドが邪魔して友達に相談できないようなことや、デリケートな体の悩みなんかも聞いている。
きれいごとでもないし、ときにはえげつない黒い気持ちも子供たちの口から出てくるが、私のようなコンプ女から生まれているのでそれも当然だと思っている。
外は戦場なのだ。
だからこそ、家をストレスにしたくない。
そういう思いで、子供たちの場所づくりをしてきた。

ストレス要因に私がなる…?
それだけはあってはいけない。
親権を当たり前に私に譲ってくれると思い込んでいたので、それがもたらす変化なら私が全力でケアすればいずれ理解してくれるだろうと思っていた。
だが、これでは私が月に数回通う形になる。
夫が子供たちの精神的ケアができるかというと、もはや望めない。
ただでさえ21時以降の帰宅なので、実質子供たちだけで家を回すわけだ。
今まで一緒に暮らしたこともないおっさんに、環境なるべく変えないようになんてお願いもできないだろう。
それを拒否するなら、親権を争うしかない、となる。

子供たちが健やかであることは、私の願いだ。
最優先事項だ。
ここがあってこそ、自分の幸せだ。
いずれ子供たちがそれぞれよりどころが別にあったり、一人で幸福を楽しめるメンタルが伴ってきたときに、離婚することにしよう。

夫に、離婚解消は可能かと問うと、「もちろん」と言われた。
離婚は、私の申し出に応じただけだと言った。
もともと別れたいと思っていなかった、と。
良くも悪くも、受け身なのだ。

離婚の件、終了

これで急速に離婚話はなくなった。
誰にも言っていなかったので、私たち2人だけの急展開だ。

もう、一生男性に触れられなくてもいい。
(離婚したら、性欲だけはよそでできんじゃないかと思っていた)
これから先の性欲は、己の指で慰めようじゃないか。

私は「夫婦=互いが高め合い、支え合い、根底に信頼と愛がある」と思っていたことで、それに叶わない現状に欠乏感を持ち、夫に埋めてもらうことを望んだんだと思う。
だが、夫に向かっていた不満や欠乏を全部受け入れ、それを夫になんとかしてもらうという方法を取らないことを選んだ。
愛情不足はお互い様なので、愛情と信頼が根底にあるパートナシップはあきらめることにした。
それが我々夫婦の形なんだと、夫婦というものの定義を変えることにした。
夫婦の中身なんて、定型があるものでもないわけだし。
いびつでいい。
そこそこの情をベースにアップデートすればいい。
もう愛し合うこと、素晴らしいセックス、その辺の性愛周りのいろいろの願いはもう引退、いや持ち越しだ。
来世でかなえよう。
女が先だったわけじゃないんだ、私に限っては。
母になるために、この子たちを幸せにするために、女の体を持っただけなんだ。

そして後々離婚をするにせよ、婚姻を継続するにせよ、お金がいることだけははっきりした。
老後、私が夫を介護することは不可能だ(夫は「俺は(私のうんこを拭くことは)できる」と言っていた。相変わらず想像力に乏しいだけだと思う)。施設への入居を踏まえて、貯めておかなければいけない。
お金を稼ぐ!

自分の夢は仕事の延長にある。
まずはそれを追いかけよう。
夢を追いかけることで収入増につながるはずだ。
そう思ってから、仕事と育児に全私を費やす日々が始まった。
すると不思議なことに、精神的に満たされていると感じることが多くなった。
以前ならイラっとしていた夫の行動なんかも、どうでもよくなった。
暴発しそうな性欲も起きなくなった。
方程式が変わったから、期待や欠乏感が起きなくなったのだ。
加えて、自分が今一番求めることが「子供にとってストレスのない家庭づくり」だということに気づき、靄がすべて晴れたからだ。

きっと私は夫にどこか依存していたんだと思う。
半人前で結婚し、互いに自分の不得手を相手の役割として、埋め合うように生きてきたからこそ、一人立ちが下手だったんだろう、互いに。
ようやく、自立できた、大人になったというふうに感じるのだ。
この精神状態で夫と向き合えていたら、セックスももっとポジティブに求めていただろうな。
いい勉強になりました。



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