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【CASE2.夫婦関係】続・もう少しレスのことを書くゾ。要因解明その2

セックスレスの要因ひもとき

レスの要因には以下が挙げられるのではと。

  1. 異性として見れなくなった

  2. 飽き・マンネリ

  3. それどころじゃない

  4. 愛情を別の人にかけている/性欲の発散場所がある

このうち、1を前回書いた。

今回はその続きです。
長くて申し訳ない。
簡潔に文章を書ける人になりたい。

2.飽き・マンネリってやつについて

長い年月をともにすると、異性として見れないとか、家族になっちゃうとか、オカン化してしまう。
それは前回書いた。
それとはまた別に、単純にずっと同じ人ってのに飽きるということもあると思う。
セックス自体におもしろみがないということもあったりする。

変わってほしいのか、変わらんでほしいのかどっちやねん

妻やパートナーが老けたり、太ったり、はたまた口やかましくなったり。
相手が昔と変わったことによって元気が出なくなる、そんなムスコをお持ちの殿方は多い。
でも、じゃあ、変わらずいたらずっと元気なムスコが飛びついてくれるかというと、どうやらそうでもないらしい。
ほーんと、男ってシャボン玉(@島田珠代)。
女性はどうかというと、案外コンスタントにセックスしている女性陣に聞くと同一人物でよさげっぽい(私調べ)。
夫が太ろうが老けようが、じじくさいことを言おうが神様に愛を誓ったことをちゃんと受け止めておられる割合は多い気がする。
レスられ妻の場合は、とっかえひっかえしたくなったりするが(それ私)。

一夫一妻制である我が国では、飽きた場合の救済は制度としてはない。
なので安直に考えると、
①飽きたから他所にいく、つまりリスクを冒して浮気したり性風俗を利用する。
②リスクは冒したくないが、飽きた人を抱きたくはないので自己処理にする。
となる。
しかし私は③努力ってのがあると思っている。

家族って努力しないといけないんだよなーと思う

親子関係がすこぶる良好な人にはもしかするとわかっていただけないかもしれないが、血のつながった親子でも健全な関係を築くためには努力がいると私は思っている。
子供を育てて、より一層思うのだ。
血がつながろうがなんだろうが、結局は「対人関係」なのである。
夫婦なんて、もとは他人なのだ。
同じ遺伝子なんて持ち合わせてないし、なんなら我々は真逆の性質を持っているのでわかんないことだらけだ。
若い間に恋仲になると、アドレナリンで視界がぼやけている上、恋という微熱状態でぼーっとしているし、若さで自分は今よりももっと未熟なわけだ。
そんなときに結婚して、相手のことをわかっているなんてありえないのだ。
そのうえ、相手は相手の世界がある。
そのなかでステージアップしていっているわけだ。

しかしながら夫婦ってのは、同じ世界で同じようにモノを見ていると思いがちだ。
なので言葉を用いなくても通じると思い、自分のことはわかってもらってると思い込み、相手のこともなんなら一番の理解者だと信じている。

そして伝えることも、知ろうとすることも、怠ってしまうのだ。
ケーキ屋さんでいつでもこいつはチョコレートケーキを選ぶだろうと思ってしまってるのだ。

自分が中心にいると、どうしても自分という中点は変わらずに、周りがぐるぐると回るように錯覚するが、自分自身もくるくるまわっているのだ。
自分が太陽で回りの星がくるくるしているんじゃない。
自分は自転して公転しているんだ。
変わっていってる相手と自分を楽しむのが、きっと結婚の醍醐味の1つでもあるはずだ。

結局、「自分中心にいきすぎ」となっていることが、飽きの原因だと思うのだ。
相手が変わらないことがとても便利なのだ。
変わらず愛してくれて、見てくれて、応援してくれて、微笑んでくれる。
労力を使わずとも、昔いろんな手を使った努力のおつりでいけると思っているわけだ。
相手が変わっていることにも気づかないし、自分こそ正義だと思っている。
でも、結局人間関係。
少しの摩擦と不便さが存在するわけだ。
ましてや異性。
本能が違うのに、分かり合えるなんてありえない。
そのうえ、変わっている環境に対応してるんだから、当たり前に人は変わる。
子供が首が座ると動画を撮り、両親に伝え、育児日記に残し、すごいすごいと称賛しまくるのに、夫にはその半分も観察の目を向けていないのが飽きの原因なのではないか。
だから、知ろうとしなきゃいけないし、知ってもらうように伝えないといけない。
努力、だ。

空気に依存しすぎてるよね、私たち

努力と書くとすごくたいそうだが、結局「親しき中にも礼儀あり」なのだ。
先人たちが教えてくれてるわけだ。
普通に対人関係でしているスキルを、夫婦にも親子にも用いるだけで違うんだと思うのだ。
何をしてもらえると嬉しいのか、嫌なのか。
伝え、知ろうとする。
毎日ちゃんとそれをすると、「変わらないところ」と「変わっていっているところ」がちゃんとわかる。
隣人が変わると、自分も適応させる。
適応させた自分を、隣人は「新たな変化」と取り、それに適応させようとまた変化するかもしれない。
こうして変化のサイクルは案外無限に生まれるので、変化サイクルゲームはずっと楽しめるんじゃないだろうか。

セックスにおいてもそうだ。
ずっと右乳首が弱いと思うなよって話だ。
だいたい月に1回くる生理を中心としたバイオリズムで感度が変わるってのに、体形や年齢、出産の有無とかでいくらでも調子は変わるのだ。
睡眠不足や食べたもの、疲れ具合でもまったく違う。
ましてやそこに気持ちの波や愛情、信頼などが加わってくるわけだ。
おたくのムスコさんだって敏感でしょう?
ちょっと変わらないと判断しただけでそっぽ向いちゃうでしょう?
男女ともに、性はともすれば暴力的なくらい自分勝手に敏感なのだ。

ヒートアップしすぎてしまった。
何の話だっけ。
そう、つまり、相手が昨日しっぽ振って喜んでたプレイが、今日はさっぱりなんてことはよくあるのだ。
バカの一つ覚えみたいに毎度毎度噛むんじゃないよ(誰に言ってるのだ私は)。
本来はきっと、「今日は生理前で敏感になってるから優しくしてほしい」とかってイチイチセックスでも伝えられるといいんだと思う。
下着を変える、体位を変える、ラブホにたまに行くってのは、何も相手を刺激するためでもなく、言葉で伝えるのが気が引ける場合に「私毎回同じの嫌ですねん」という主張をほのめかすのに有効ではないか。

世の中の変化には敏感になって、やれ5Gだ8KだZoom飲み会だとなる人たち聞こえますか。
半径2M以内にいる人たちの変化こそ、自分に直結するんだ。
勝手に伝わる、察するなんて仕事を空気にだけ頼ってはいけない。

空気
1 地球を包む大気圏の下層部分を構成する無色透明な混合気体。
2 その場の雰囲気。

Weblio辞書

空気は単なる名詞、決して動詞ではないのだ。
いろいろと文法がおかしくなってる気がしないだろうか?
「察する」の主語は、自分だ。
自分の変化を察してもらうのではなく相手の変化を察するのだ。
「伝える」の主語も、自分だ。
相手が伝えるのではなく、自分が伝えるのだ。

聞こえますか、数年前の私。
そういうことなんだってよ。
聞こえますか?
応答せよ。

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