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【CASE2.夫婦関係】もう少しレスのことを書くゾ。要因解明その1

セックスレスに陥ったのは、私の不足や不安というものを埋めてほしくて性欲が増大したからではないかと気づいた。
そして私は離婚を考えた。
という話を前回書いた。詳細はこれ↓↓

離婚のことを書こうと思ったのだが、もう少しレスのことを書こうと思う。
少し長くなりそうなので、これまた何回かにわけさせていただく。
しばしお付き合いください。

レスの要因ひもとき

セックスレスというのはいろんな要因があるんだと思う。

  1. 異性として見れなくなった

  2. 飽き・マンネリ

  3. それどころじゃない

  4. 愛情を別の人にかけている/性欲の発散場所がある

ざっくりいうとこのあたりだろうか。

1.異性として見れなくなったってやつについて

親になることで家族になり、愛情はあるものの性欲の対象ではなくなったというパターンはよく聞くし、妻がオカン化するとか、体形やエイジングによって異性として見れなくなったということもよく聞く。

親=家族だから夫婦≠異性

我が家の場合、これは該当していた部分も大きいかと思う。
夫は、妊娠中、セックスに消極的だった。
子供とムスコが対面すると思うとふにゃってしまうとか言い出す繊細さがあった。
彼はセックスを「大人側にあるもの」と考えているのだと思う。
さらにAV全盛期(とは)で青少年期を過ごしてきている彼には、セックスは秘部であり恥部であり、隠すべきいやらしいものという感覚も少なからずあるようだった。
私は性が欲に直結しているもの=一番子供に近いものと思っているため、ここがずれたんじゃないだろうか。
セックスという行為は大人の持ち物だが、性欲自体は子供とのほうが距離が近いように思う。
なので、体内で夫と子供が出会うという現象に臆するものが何も私にはないのだが、夫はダメだったようだ。
母親という存在も、きっと夫は私が思うよりも「もっと母」なんだと思う。
私は自分という欠陥人間が子供を産むことを身をもって知っている。
さらにいうと、自分の母の欠陥も身をもって知ってきたので、母というものに何の理想も崇める気持ちもない。
だが、夫は反抗期すらなく、両親に不満すら抱いたことのない人間だ。
親ってのはすごい存在なんだと思う。
だからきっと、親になった時点で勝手に、夫自身も私も夫の中で「すげーやつ」に昇格した。
彼の欲をダイレクトに受ける「べき存在」ではきっとなくなったのだ。

外見の変化だよね絶対そうだよね論

外見の変化については、実は夫は「別に関係ない」と言ってくれていた。
私は前の記事にも書いたが、外見のせいにしていた。
つまり、夫の言葉をまったく信じていなかったのだ。
外見コンプレックスの塊の私は、「内面だと少しは好かれるのではないか」と内面に希望を託す。
なので、内面で拒否されるなんて、メンタルが耐えられないのだ。
なので、太ったからだ、老けたからだ、昔とは違うからだと思い込む。
もはや「痩せれば受け入れてくれる」「昔の私に外見が戻れば」という恐ろしい思考にすらなるわけだ。
なんなら外見が変わったことに全振りしろすらと思っていた。
おわかりいただけるだろうか。
私のかわいそうさを。

もちろん、視覚が性欲に直結するし、好みもあるだろうし、それが変われば大丈夫というカップルも大いにいると思う。
ダイエットやメイクなどで解消されるならそれが一番いい。
だが、私の場合は10キロ痩せても気づかれなかった。
夫は、私を見ていなかったのだ(薄毛とかは見えてしまってた)。
もう何年も、いつも横並びでいる夫婦なのだ、我々は。
相手の目を見て話すことなんてすごく少ない。
化粧を変えようが髪形を変えようが、気づかれない。
そして、後に言及するオカン化現象ともかかわるのだが、パートナーというのは、同じ船に乗り航海する。
前に進むのか、錨を下ろすのか、帆をたたむのか「指示」「合図」がどうしても恋人の時よりも多くなる。
子供が生まれると余計に、目を四六時中そちらに奪われるため「的確な指示出し」は「声」で「シンプルに」なりやすいんじゃないかと思う。
我が家は役割分担をやりすぎた結果、互いが「いる」ということだけでOKだったのだ。
「いる?」「いるよー」「じゃあ行こうか」てなもんだ。
パートナーシップの盲点はここにある。

お母ちゃんいつの間にこんな大きい子育ててたんや

オカン化現象についても、このパートナーシップ+分業制ってのが少なからず影響してくると思う。
他人同士が家族になるためには、「家族観」が関わるが、結局家族のことってたいがいは育ってきた家族しか知らないもんだ。
夫も私も、自分の育ってきた家族は昭和の家庭によくある亭主関白で、妻が一歩下がり家のすべてを把握するという家だった(それぞれの家庭の内実は全く違うけれども)。
そこで育つと、やはりそういう家庭像を当然としてしまう部分が多いし、子育てとプラスされると「尽くす」と「育てる」がごちゃごちゃになってしまう。
すると、夫の領域にズケズケ入り込んだり、ヤイヤイ言ったり、甘やかしたりしてしまう。
夫も、とにかく雑務をすべて私に甘え、子供の主張のように決定権だけ持とうとする。
これが慢性化することで、でっかい子供を育てているような構図になる。
すると、冒頭の「家族だから」が「互いに親」ではなく、「オレの親」的な感じにすらなり、余計に異性間交友と真逆に向かっていく。

なのでね。
彼女諸君、妻になってもゴキブリは夫にやっつけてもらうべきだし、電球はわざと逆向きに回してできないフリくらいかまして頼るくらいがいいと思う。
私はもう手遅れなのだ。
顔色変えずにGを倒すし、子供を肩車してショーとか見ちゃうし、電球どころか洗濯機も一人で持ち上げてしまったし、家具の組立なぞ夫に任すと何週間もかかったりして耐えられないから自分でやってしまうし、何か買いに行くのも余計なお世話でついでに夫のほつれかけのパンツとか思い出して新品を買いそろえてしまったりするのだ。
オカンでも家政婦でもない!!と言いながら、やってしまってるのだ。
これは鶏が先か卵が先か問題と同類なのだ。
「気が利く」は他人に発揮せよ。
相手に活躍の場を与えることは、すごく大事だと思うのだ。
いや、この発想も育児要素があるかもしれない…。
しかしながら、相手の異性として居続けるのは、凸と凹をしっかり認識させることでもあると思うのだ。

ふう。長くなった。
2以降はまた、近いうちに。


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