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中学時代-わたしが制服を脱いだ理由7

援助交際、万引き、飲み会。
自分の不完全さから目をそらしたくて、
長期の休みは毎日の予定をそれらで埋めた。

親に気づかれないように、親に不信感を抱かせない為に
わたしは学校外の友達を片っ端から両親に紹介し、家に泊めては
「この前家に泊まりに来た○○ちゃんの家に泊まる」と言って外泊を繰り返した。

若さに、お金に、時間。
それらを持て余したわたしは、それらを刹那的に使う方法しか知らなかった。
沢山の「 モノ 」や「 人生経験 」を言い訳に
見たいように世界を切り取ろうとしたけれど、最後に残るのはいつだって欠乏感だった。

だけど、その欠乏感があったからこそ、友達が出来たのだと思う。
親からの虐待やネグレクト、両親の離婚、自殺未遂、精神安定剤。

学校も生活環境も全く共通点のない私たちが友達になるのに
そう時間がかからなかったのは、
決して埋められない欠乏感を抱えていることにお互いがすぐ気づいたから。

援助交際に万引きに飲酒。
道を踏み外すのは簡単で、みんなでやることによって、それはむしろ遊びの一種にすらなっていた。
「 愛情と歓心 」に飢えていたわたしたちはそれを埋めるためにひたすら刺激を求めた。
沢山のアクセサリーや洋服に囲まれれば、中学生には似つかわしくない外食をすれば
目先の意識がそこに行って考えなくて済むから。

今思えば、わたしたちにとっての援助交際や万引きの“それ”は現実逃避の一種だったのだと思う。
遊んで出掛けた先で万引きをして、1日の終わりに盗んだものの合計金額を競いあうことも
値札を見ずに洋服を買って、 外出先で気分にあわせて服装を変えることも
大人1人に対してわたしたち2人で援助交際をしてそのままホテルに泊まることも
全ては目の前の自分たちの感情や問題を刺激で麻痺させるためだった。

日々を消費して自分も消費させたとしても、やっぱりそこにも現実感は伴わなくて、感じるのは欠乏感だけだった。

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