アンチ・エピックス――『女のいない男たち』評

何かを喪失した男たち――あるいは「まえがき」のある短編集について

今春出版された村上春樹の短編集『女のいない男たち』に出てくる「男たち」には、女が「いない」のではない。不在や非所有としての「いない」ではなく、一度は女のいた男たちの話であるから、「いなくなった」という方が、ここのニュアンスはより正確に伝わるだろう(従って賢者タイムは出てくるが、例によって魔法使いなど皆無の世界である)。

その意味で、この短編集の全体を貫いているテーマは、喪失だと言える。それぞれをこの視点から見ておこう。

ドライブ・マイ・カー 

癌で妻を亡くした個性派俳優の家福。彼が喪失したのは、最愛の者だけではない。 

妻は、ある「喪失」をきっかけに、それを埋め合わせるかのように不貞行為に走っていた。このことが、家福が妻の死去によってもたらされた喪失感から抜け出した後、彼を捕えることになる。家福は、妻の不貞行為に理由を求めていた。その理由を探るべく、その相手の男と酒を飲むのである(ちなみに、二人が入る店の描写には、よく注意して読むことをお勧めする)。

初めは男を懲らしめることも考えにあったが、それを家福はいつの間にか放棄する。彼は、その男と飲むことで、彼なりにその男を理解し、そのことによって男と同席する目的を喪失する。その喪失とは、理由を探すという本来の目的が、不貞行為に理由がなかったことを無意識下で理解したことに他ならない。

理由を求め続けてきた家福に、理由の不在を告げて理解させるのは、ぶっきらぼうな若い女性の専属ドライバーだった。彼女は、家福ははっきりと気付いていないが、懲罰を放棄した彼の気持ちを、赦しへと導いてもいる。と、同時に、読者を、家福が理由を探すという目的それ自体を喪失していたという地平へと運んでくれる役回りでもあるのだ。 

イエスタディ 

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