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#それでもスポーツで生きていく・#1

スポーツ界の『生きづらさ』と自立の道筋

こんにちは。スポーツエッセイスト・岡田浩志です。

noteを使い始めてこれが、12投稿目。便利な機能やSNSとの連携など、ひととおり理解するまで1週間と11個分の投稿ページを費やしてしまいました。

この投稿から「毎日1投稿」をペースメーカーにして、『#それでもスポーツで生きていく』というテーマにつき、気力続く限り、思いや提言を綴っていきます。どうぞよろしくお付き合いください。

※ なお、時には気ままな投稿もしたいので、連載投稿の際、#それでもスポーツで生きていく、のハッシュタグをつけます。

本編1回目から当面、僕が人生のテーマを『#それでもスポーツで生きていく』に据えた経緯と、このテーマの『それでも』の部分について、掘り下げたお話しを書いていきます。

このお話の発端

note に初めて投稿した序章のなかで、私がうつ病に罹患し、転職活動もままならず、毎日布団の上でゴロゴロしているだけの苦しい日々があったことを書きました。

45歳独身無職で、全くもって自己肯定感を持つこともできず、自己分析しても『自分には何もない』と、諸々悩み続けて疲れ果てたその先に、見つけられた答えが『#それでもスポーツで生きていく』というキーワードでした。

このテーマに対し、自分が『何ができる』のか、問い詰めた結果、この『noteという武器』を活用し、スポーツエッセイストとして、表現していくことを決断しました。

テーマに『それでも』と加えた理由

『#それでもスポーツで生きていく』という僕のメインテーマには、あえて「それでも」という接続詞をつけさせて頂いているのですが、そこには、

    「スポーツで」は
『生きていけない(生きていくのが難しい)』
   →「それでも
   →「生きていく」

このように、スポーツで生きていくのが難しい、というロジックが埋め込んであります。

この難しさを、僕は「スポーツ界の『生きづらさ』」と名付けます

と、前回の投稿で書きました。僕自身が自立の課題を持つのと同じく、スポーツ業界にも、自立の課題=『生きづらさ』があるということです。

そして、そのスポーツ界の『生きづらさ』を要約すると、大きく5つに整理できると纏めました。

1.日本のスポーツ界は本当に「稼げません」
2.「やりがい搾取」が横行しています
3.組織が上意下達の「ピラミッド型」です
4.「経営上層部がサロン化」しています
5.現場からの「叩き上げ経営トップがいません」

僕は上記5つが、「日本スポーツ界の自立を阻む」5大要因だと考えているのです。

いきなり、結論から書いているのですが、ここから項目ごとに一つ一つ、丁寧に検討していきます。今回は、最初の「稼げません」という項目から掘り下げます。

日本のスポーツ界は本当に「稼げません」

日本のスポーツ業界の給与水準は本当に低く、僕の実感では、他業界の同役職の6割くらいの稼ぎではないか、というお話を書きました。

そして、同じスポーツでも日米格差があることは、様々なメディアが伝える通りの状況です。日本の市場規模が5兆超、アメリカが約5000億ドルと言われていますので、10倍近く差があります。

(参考資料)
【スポーツ産業の市場規模】世界と日本の現状の課題と将来性とは?
https://job-q.me/articles/4061

昨今プロ野球の観客動員が好調であったり、Jリーグ全体の収益が伸びている話題もありますが、欧米と比べたら足元にも及びません。

スポーツで稼ぐことが認められなかった歴史

なぜに日本のスポーツ界がこれほどまで稼げないか、その理由は、長らくアマチュアリズムが日本のスポーツ界を支配していたから、と考えられています。

アマチュアリズムの起源は、19世紀、産業革命時のイギリスまでルーツを遡ると言われています。

当時資本家階級の娯楽だったレガッタの競技会。労働者階級である船漕ぎを本業にするものの出場資格を認めなかった規定があったとされます。

こうした規定がピエール・ド・クーベルタンが創始した近代オリンピックにも、基本的な考えとして引き継がれます。アマチュア規定がオリンピック憲章から削除されたのは、1974年のことです。

(参考資料)
小林至 | スポーツの経済学 2020年に向けてのビジネス戦略を考える (PHP研究所, 2015)

日本型アマチュアリズムを加速した野球統制令

クーベルタンから書簡を受け取った嘉納治五郎氏を中心に、1912年のオリンピック第5回大会から選手団を派遣することになった日本。

それをきっかけに、今の日本スポーツ協会(日本体育協会、日体協)の前身となる組織も整備されていく一方で、スポーツを通じて報酬を得ることに関しては、スポーツ界の中だけでなく、行政からも厳しい制約を受けるようになります。

1932年に、当時の文部省の訓令として野球ノ統制並施行ニ関スル件(野球統制令)が発令されたのは日本のスポーツ界にとって象徴的な出来事。学生野球という競技団体の活動を、当時の国が団体を特定し、規制した、そんな異例ともいえる法令です。

学生野球の健全化を目的とした法令ではあったのですが、この法的根拠をもとに、戦時中は野球弾圧ともとれる様々な動きを誘発することになります。

戦後、敗戦に伴い日本の野球界も復興していきますが、プロとアマチュアが厳然と垣根を作り、別個の存在として推移していく、そのルーツにこの「野球統制令」が存在することは押さえておくべき史実です。

(参考資料)
中村哲也 | 学生野球憲章とはなにかー自治から見る日本野球史 (青弓社ライブラリー, 2010)

スポーツで稼いでよい時代にはなったが…

今でこそ、スポーツで稼ぐことを否定するような法的根拠はありませんし、2015年にはスポーツ庁も発足し、初代長官の鈴木大地氏が、スポーツで稼ぐことを是とする考えを明確に示し、2017年からの第二期スポーツ基本計画にもその方針は具現化しています。

ただ、個々のスポーツの捉え方として、スポーツ=稼いでよいもの、という認知は充分に進んでいるとは言い難く、スポーツ界の保守的な層には、その教育的価値倫理的価値を重んじるあまり、経済的価値は軽んじる傾向も根強く残っています。

こうした経緯で、日本のスポーツ界は「稼げない」という状況に至っているものと考えられるのです。

長らく日本のスポーツ界に「スポーツ=稼いではいけない」という認識があったことで、自立して存立する足腰を育てられなかった経緯があることは否めません。

これは、教育熱心で過保護な親のもと、自立心を養えなかった子の姿に似ている部分があります。

今、僕がうつ病からの回復を目指すのと同じく、日本のスポーツ界も、自立して存立できるよう闘っていく道の最中にある、ということです。

たいへん長文となり恐縮致しますが、次回は「日本スポーツ界のやりがい搾取」がテーマのお話しを書いていきます。

スポーツエッセイスト
岡田浩志

『みるスポーツ研究所』では、「それでも、スポーツで生きていく」皆さまの取り組みにもっと寄り添っていけるよう、随時サポートを受け付けております!