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公開授業のすゝめ

昨年度からご縁があって入ることとなった県社研で、今年度公開授業をさせていただけることとなり、その授業が先週ついに終わった。
詳しい内容に関してはここでは省略する。先輩教員が文章化してくださっているので、そちらをご参照いただきたい。

いや、公開授業ってマジで大変!!!

最初に企画した案を研究会の学年団の先生方に「えぇんじゃない!?」と言われて、せっせと夏休み返上で形を整えたにも関わらず、夏場にお偉いさんたちに「いやこれはダメやで」と言われ、ゼロベースに戻されたお盆明け。
覆すほどのお偉いさんがこのタイミングで出てくるのが悪いのか、お偉いさんに見せるのをこのタイミングに設定している組織が悪いのか。はたまた、そのお偉いさんに匹敵するだけの知識を持っていなかった(自分含め)メンバーが悪いのか。
ぶつけようのない怒りからやる気をなくした。2学期が始まり、日々に追われ始めると一層優先順位は下がった。
なんやかんやで2学期下旬になり、先輩教員がケツを叩いてくださり、何とか納得のいく授業が計画できたので実践に至った。ここでお世話になった先生方には本当に感謝しきれない。

ちなみに、いろんな先生方とお話しする中で「私立だから、こんなこと(ゼロベースにされること)には慣れてないかもしれないけれど」と言われた。公立はこれをしょっちゅうやってるのか?だとしたら本当にすごいな…。その割に提出された先生方のレポートは大したことなか(ry

と、まぁここまで色々あったけれど、それでも僕は授業実践やってみることをおすすめしたい。理由を2つ紹介しておく。

①教材研究に意欲的になれる

いや、そんなもの普段からやってるよ、という先生が大半を占める(はずだ)と思うが、ここでいう「意欲的」とは多分そんなレベルではない。少なくとも僕は今回の授業実践をするうえで、一つの単元に向けてしこたま本を読んだし、先行研究にもたくさん目を通した。

7月末の時点で読み終えた本たち。
最終的にはこれにもう2山くらい。

普段から読まないわけではないんだけれど、問題意識を持って読もうとするから頭に入るし、読んでいて面白い。こういう時間が教員には必要だよなぁ、とつくづく思った。

②尖れる

これは先輩教員に一年目から言われていたこと。「これなら負けない」という尖った部分を作る。それが評価され、認められた時、ようやく教員として存在意義が出来る。
僕はまだ何も尖れていない。でも今回の授業実践を通して、尖り方を学んだ気がする。
今教育現場で何が求められているのか。どんなことまではされていて、何はなされていないのか。そのうち、自分のやりたいことはどんなことで、どんな意味があるのか。実践するにはどんな知識や手立てが必要か。
授業を考えれば考えるほどに、授業がたくさんの可能性に溢れていること、そして自分がまだまだ何も知らないことに気付けた気がする。でも、これに気付かず、というか、興味すら持たず、何となく教員している方もたくさんいるんじゃないだろうか。別にここでそれをとやかく言おうとは思わないが。

終わりに

最近、教師を勤め続けた先でどんな未来を描けるのだろう、と考えることがある。一般的な企業の社員とは違い、役職がどうとか利益がどうとか、そういうのではあまりないからだ。確かに、管理職になる、とかも立派なモチベーションかもしれないが、滅相もない話、全くもってなりたいと思えない。
大学の恩師は「とりあえず社会科の授業を極め続けたら?」と仰る。そうだよな。とりあえずそうしていくしかないよな。もっと僕自身が「学びが何たるか」を社会科を通してでも、もっと広く深く知る必要がある。未来の話は、提案性のある素晴らしい授業ができるようになってからでもきっと遅くない。

なんだかいつものまとまりのない文章になったが、こんなことを考えられる公開授業実践という場をいただけたこと、そしてその授業を支えてくださった先生方に今一度感謝の意を表して終わりにする。皆、公開授業やった方がいいぞ。

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