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無知は罪なり

前の日曜日、映画を見にいくことがありました。
今回見た作品はこちら。

友人に誘われてついて行ったのですが、なるほど確かに面白かった。公開日を見ると、今更のレビューにも思えてくるのですが、忘れないうちに、そして一応ネタバレにならない程度に、感想も含めて記しておこうと思います。

舞台は1945年8月の満州から始まります。ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、対日宣戦布告。満州国に一斉侵攻します。
主人公の山本は、敗戦濃厚ということを東京や広島の様子から察しながらも、1人の兵士として、そして父親として、妻と我が子を日本へ送り、1人満州に残ることを決意。
その後、ポツダム宣言受諾。とはいっても、私たちの思いもよらないところで戦争の名残がまだ残っていました。これは捕虜としてシベリアに抑留することとなり、苦しい思いをした、知られざる日本兵や民間人の話です。

とにかく重く苦しい日々が続きます。希望が見えたと思ったら打ち砕かれ、見えたと思ったら打ち砕かれ。これの繰り返し。終盤まで何もどうすることも出来ない無力さで溢れていて、「戦争」というものがいかに残酷なものであるかを人々に訴えていました。そして、そんな中でも希望を持つことを忘れず生き続ける強さを持つ山本さんの姿と、それを信じて日本で待つご家族の健気さは涙なしでは見られません。

また、主題歌の『Soranji』について。良い曲だと思いつつ、題名がどういう意味か分からず、気になって調べてみると、どうやら『諳んじる』という言葉とかけられているようです。この事実で2度泣かされることとなりました。この感覚はぜひ劇場へ足を運んで実際に体感してみていただきたいと思います。

話が一見変わりますが、今日で阪神淡路大震災から28年ということです。関西出身の私の先輩教員は、『体験していない世代』が増えることについて、防災意識の低下を憂いていました。
もちろん日々の学習において、それでもなお、こういった意識も育むのが私たちの使命です。しかし、やはりどうしても体験している世代とそうでない世代は、どこか当事者意識に差異がある。今の小学生はあの東日本大震災すら知りません。
何とかしてその意識の低下を防ぐため、VRなどといった今日の技術を活用して、擬似体験をするなどの対策がとられているところもあります。これらが子どもたちのどのような意識と行動を生み出すきっかけになっているのか、気になるところです。

一方、タモリさんが昨年末の「徹子の部屋」で「(来年は)新しい戦前になる」と述べた、という話を聞きました。
おそらくこれだってそうなんです。終戦からそろそろ80年にも到達しようかという今日、戦争を知る世代の人口が少ないのは当然のこと。そして、戦争を知る世代とそうでない世代の意識にはやはり差異があるのも仕方のないこと。この差異があるからこそ、歴史が繰り返されてしまいかねない。僕はこの映画からタモリさんの話を思い浮かべ、そう思えてならなくなりました。
「戦争は二度としてはならない」なんて言葉を使いながらも、戦争を経験していない私たちはどこかで「するはずがない」とたかを括っている部分があるのかもしれません。タモリさんの思う「新しい戦前」はいつどこでどんな形で現れてしまうのでしょうか。それを食い止める術は果たしてあるのでしょうか。

最後に、ソクラテスの有名な言葉を載せます。

無知は罪なり 知は空虚なり 英知持つもの英雄なり
ソクラテス

現代語っぽくするならば「無知は損をする。勉強できるだけの者は役に立たない。学んで行動する者だけが成功する」といったところでしょうか。

少しでも明るい未来の話ができるように、暗かった過去も含めて一人ひとりが意欲的に今の社会と本当の意味で向き合っていく必要がある年が近づいているのかもしれません。

※ ここまでの文章はあくまで私自身の切り口であり、プロデューサーさんは「この映画はいわゆる“戦争映画“ではありません。人間賛歌の映画であり、愛の物語です。」と仰っているので、戦争映画が苦手な人も気軽に見に行ってみてくださいね。

ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました!

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