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西地区の英雄

 レガの父トロスが広場に着いたとき、そこには既に二千人以上もの人がいた。人の波は一定の流れを作っており、その行きつく先は、タカダガが牽く荷台に腰かける男の元だった。
「よしよし、今回も勝つぞ」
 トロスよりも一回りは若い、恰幅の良いその男は、自らの元に集う人々の様子を、悦に浸って眺めている。彼はトロスらの住む西地区の地区長。街いちばんの膨らんだ腹を一度さすると、集まった人々に聞こえるように声を張った。
「いいか! 今年もこの時期がやってきた!
我々西地区は、去年同様勝利を収めるのだ!」
 地区長の声が響いた広場に、にわかに緊張が走る。石壁で囲われたこの街は大きく西と東に分けられていた。
 年に一度、それぞれの地区に王より武器が配られ、街の中央にそびえ立つ丘にて戦う。それは、トロスが生まれるよりも遥か昔から行われてきた、恒例行事とも言える争い。街ではこれこそが戦争だった。
「今回使用する武具を配る! 言うまでも無いが、この争いに勝てば王より報酬が出る! 成人を迎えた男は皆集まれ!」
 地区長の声に続き、広場に集う人々が声をあげた。それを合図に武具が配られ始める。十五の年を重ね、成人を迎えた者以外にも、彼らを見送る者もいた。
「よしよし、今年も行けそうだ」
 武器が配られる様子を荷台から眺め、士気の高さに満足している地区長。その傍ら、地区長の部下から手渡されるのは、槍や斧などの武器と革で作られた鎧。それらを手にする者の中には、今年十五になったばかりの者もいて、歯を震わせて怯える様子も伺えた。
 高揚と不安が入り混じり、広場は熱気を帯び始める。トロスもまた、自らを鼓舞しようと自分の胸を拳で二度叩いた。
「よう、西地区の英雄さん。張り切ってるな」
「パーシル。今年は早いな」
 トロスに声をかけたのはパーシル・ペントス。浅黒い肌をしたパーシルは、トロスよりも二つ年齢が若い。彼にはレガと同じ年齢の息子がいて、トロスとパーシルが昔からの馴染みのように、彼らの息子もまた、幼い頃から互いの遊び相手だった。
 ペントス家では、代々イニシャルを揃えることが習わしで、彼らはその頭文字をとってP・Pと呼ばれることも多い。
「いやー、去年は森で寝てたら号令が聞こえなくてな。俺だけ何の武器も無かったんだぜ? 俺の名前がパーシルじゃなかったら、きっと今頃あの世にいたさ」
 イニシャルをP・Pにすることで幸運がもたらされると、パーシルの家計では古くから伝えられてきた。
 ごく稀に、生まれた子にP・Pとならない名をつけたこともあったらしいが、その全てが若くして命を終えている。
「それは困るな。俺が死んだらうちの家族はお前に任せる予定なのに」
 基本的に騒々しいことを嫌うトロスだったが、古い友人であるパーシルに関しては例外だった。彼の騒々しさは何故かトロスを落ち着かせる。
「勝手なこと言うなよ! 俺も似たようなもんだぞ?」
 笑いながらパーシルはトロスの肩を叩く、トロスはただ曖昧に笑うだけだった。
「ところでパーシル。その西地区の英雄ってのは止めないか?」
「なんでだよ、事実だろ? みんなそう呼んでる。十五で初めて戦争に参加してから、西地区の勝利すべてにお前の活躍がある。みんなお前を尊敬してるんだ」
「それはありがたいんだがな……」
 トロスは自分の後頭部をなぜる。つるりとした肌が、彼の手を滑らかに滑らせた。
「どうもここ数年は上手くいっていない。勝利に貢献どころか、気づけば決着がついている始末だ。それなのに英雄だなんて呼ばれるのは、なんというか、恥ずかしい」
 そう言って俯いたトロス。それを見たパーシルは、すかさず快活な笑い声で沈みかけた空気を吹き飛ばした。
「おいおい、頼むぜ。この戦争に勝つか負けるかには今年の生活がかかってるんだからな」
「そこ、騒々しいぞ。早く武具を受け取りに来んか」
 荷台から広場を見渡していた地区長が、パーシルを指差す。
 見送りのために集まった者を除き、広場にいたほとんどの人間は、既にその身に革を纏い、手には人へと向ける道具を握っている。
 この場でまだ普段と同じ格好をしているのは、地区長とその部下、それにトロスとパーシルのみだった。
「はいよ。受け取りますよーっと。行こうぜトロス」
「トロス?」
「あの西地区の英雄?」
 パーシルが呼んだトロスの名は、人々を伝って瞬く間に地区長の耳に届く。地区長は興奮のあまり立ち上がった。
「待て! その者はトロス・ビーグか?」
 地区長が張り上げた声は、広場の視線を一斉にトロスへと集める。数はおよそ三千人。そのすべてがトロスに対し好意的な眼差しだった。
 視線を集めたトロスが見つめる先は、男の前に突き出た腹。深く息を吸い込むと、短くも辺りを震わせるほどの大声を返す。
「如何にも! ビーグ家のトロスにございます!」
「なんと! 西地区の英雄か!」
 トロス・ビーグ、西地区の英雄、二つの単語が広場を駆け巡る。トロスの存在に勝利を確信し、雄叫びを上げるものまでいた。
 ざわめきの中、トロスはただ静かに前へと足を運んだ。人垣が割れ、荷台への道ができる。闊歩するトロスの前を、パーシルが鼻高々に先導した。
「おぬしは?」
 怪訝そうな顔をする地区長を前にして、パーシルは実に堂々と自らの名を名乗った。しかしながら、その名が広場をざわつかせることは無く、地区長の部下から革の鎧と斧を受け取ると、素早く道をトロスに譲った。
「ほらよ。トロス、お前の番だぜ」
 広場の皆が見守る中、トロスが受け取ったのはパーシルと同じく斧と革の鎧。西地区の英雄と言えども、支給される武具の種類に違いは無かった。
 だがそれを身に纏う雰囲気は、他のものとは大きく異なる。威風堂々の言葉が良く似合う佇まいに、皆がまた声をあげ、塵の切れ間から差し込んだ太陽の光が、トロスを暖かく照らした。

「ウオオオオ!」
 地面を揺らすほどの歓声。その中心にいるのは父であるトロス。赤毛のタカダガ、フィデルに跨ったレガは、その様子を遠くから眺めていた。
「お父さん? 凄い、お父さんだ」
 これまで、父や母から話で聞くだけでしかなかった戦争。その始まりの場において、我が父トロスが皆の羨望を集めている。
「俺はレガ・ビーグ! 西地区の英雄トロス・ビーグの息子だ!」
 気が付くとレガはそう叫んでいた。レガの興奮が伝わったのか、はたまた、飼い主であるトロスを見つけた故か、トロス目掛けてフィデルも駆けだす。
「うわ」
「なんだ」
 フィデルの疾走に巻き込まれまいと、分厚い人垣が不格好にばらける。一直線にトロスの元へと向かうフィデルが進む獣道は、ついにトロスが割った人の流れと繋がった。
「赤毛のタカダガ! 欲しいぞ!」
 地区長の声に振り返ったトロス。そこには、間違いようもない赤毛をしたフィデルと、息子であるレガの姿があった。
「お父さん!」
 速度を緩めたフィデルがトロスに近づく、その目の前で停止すると、頬をトロスに擦りつけた。
「レガ! なぜここに?」
 フィデルから降りるレガを受け止めながら、トロスは問う。レガの顔は、いつか見た塵ひとつない青空に向けるときのような、輝いた瞳をしていた。
「お父さん! 西地区の英雄、トロス! 俺はその息子さ!」
 トロスに抱きかかえられながらも、腕の中で暴れるレガ。その脇からパーシルがひょいと顔を出す。
「ようレガ。一人で来たのか?」
「パーシルおじさん! おじさんも凄い人なの? 俺のお父さんみたいに!」
 トロスと同じく眩い視線を向けられたパーシルは、少し悩んだ末に正直に答える。
「いや、俺は大した事ねえよ。お前の父ちゃんは特別さ」
「そっか……」
 レガの目はにわかに沈んだが、パーシルは白い歯を見せて笑っていた。沈んだ目もトロスを見ればすぐに輝きを取り戻す。
「ねえお父さん! なんでもっと話してくれなかったの? お母さんだって……」
「レガ!」
 トロスが一喝する。
「いいかレガ。確かにお父さんは西地区の英雄なんて呼ばれている。お前だっていずれ戦争に参加するだろう。でも今はおとなしく家で待ってなさい」
「でも……」
 食い下がるレガの髪をトロスが撫でる。
「帰ったら話してやるからさ、夜通し話すぞ、途中で寝るんじゃないぞ?」
「……うん!」
 応えたレガの髪を乱暴に撫でまわしたトロスは、そのままフィデルの背にレガを戻した。
「フィデル、レガを頼んだぞ」
 フィデルはクオンと一度鳴くと、自分もトロスに撫でられようと首を伸ばした。ふわりとした毛を纏ったその頭を、レガにするのと同じように撫でる。
「よし行け!」
 トロスの声にフィデルは走り出す。赤毛のタカダガとトロスの息子を一目見ようと、じわじわと狭まっていた道を再び割きながら、元来た道を駆けて行った。
「おうおう、もうあんなとこにいるよ。赤毛は珍しいだけじゃなくて足まで速いんか」
 着崩した鎧を纏ったパーシルが、遠ざかっていくレガに向かって手を振る。振り返ったレガもまたフィデルの上から大きく手を振っていた。
「トロスよ! あのタカダガを譲ってはくれぬか?」
 去り行く者の余韻を引き裂き、地区長がトロスに声をかける。
「申し訳ありませんが……」
 地区長に向き直ったトロスの顔は、既に父親では無い。頭を下げて断るトロスに対し、地区長がそれ以上食い下がることも無かった。
「まあいい。そろそろ出発するぞ! 中央の丘へ、いざ行かん!」
 トロスに申し出を断られた地区長だったが、彼もまた素早く顔つきを変え、本来の役目を全うする。
 彼が地区長になったのは五年前。若くして地区長に立候補した彼に対し、当時は不信感を抱く声も多く上がったが、五年もの間地区長の座に居座り続けていることが、彼の手腕を物語っていた。
 地区長の号令を皮切りに、不揃いな足並みの男たちは丘を目掛けて走り出す。
「今年こそ頼んだぞ英雄」
「トロス! 期待してるぞ!」
 トロスの傍を通りぬける人々は、彼に対し、口々に声をかけた。中には勘違いして、パーシルに声をかけていく者もいる。
「やってやろうぜ、トロス!」
 パーシルがひと際大きな声をかけ、斧を振り回しながら人の波にのまれていった。その後を追うようにトロスも徐々に速度をあげる。
 およそ三千の雄叫びは、家々を震わせ、臆病な鳥類イーブスを羽ばたかせる。彼らの向かう先にある、決戦の地である中央の丘までもが武者震いしているようだった。
 その頃、時を同じくして丘の反対側でも声があがる。しかしながら、その声は西地区のような気持ちの良い雄叫びでは無かった。

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