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カノセカイ

「カノセカイ」という、蝶がモチーフのアクセサリー、ピアス、簪などのハンドメイド作品を制作していた鹿野さんが亡くなったとのことです。お悔やみ申し上げます。

↑「Ventriloquist」(ヴェントリロクイスト)根本さんのブログ。写真の方が鹿野さん。
(このブランドも大のお気に入り。ハイクオリティなのでなかなかお値段に手が届きませんが…。後述の淡いピンクのバレッタはこのテナントで購入)

(追記)告別式の様子(Facebook)
https://www.facebook.com/udonnchan/posts/1585976761472307?pnref=story

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私は直接の面識はないのだけど、いつもTwitterでは次の作品を作りたいと言っていた。でも彼の闘病が厳しいものなのはTwitterで見ていて痛いほどわかっていて、せめて参加予定だったデザフェス(ご両親や知人が代理になる予定だったと思う)には間に合ってほしいと思っていた。
といっても、私は仕事で行けないのだけど…。

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最新作品で好きなのはこのあたりかな。
お金と使用予定がなくて残念ながら見送ったけど。

いつでも覚悟はしていたつもりだけど、やっぱりきつい。
こういうことがある度に、もうこれ以上好きな物を増やさない方がいいんじゃないか、好きな物なんてない方が良いんじゃないか、と思う。(まあ、資金が追いつかないという現実的な理由も常につきまとっているのだけど)
今他に思いつく限りだと、氷室冴子さんや鷺沢萠さん、岡崎律子さんかな。

「タナトフォビア」…といって何人の人がわかるか、わかっても「そんなの誰にでもあるのにわざわざもっともらしい名前をつけなくても…」という話になっちゃうのだけど、ここは私の書き殴りの場所でもあるので、医療機関に診断してもらったわけではないし、詳しい説明はスルーして進める。日本語では「死恐怖症」。

自意識過剰が原因だと思うのでどうしようもないのだけど、まあ私の場合は「私が“私”としてこの世に存在していることが不思議で怖くて苦しくなる」。
実際今、過呼吸気味になっているし、少し動悸もある。
ただこれはもう正直、ずーっと前からあることなのでもうしかたがない。しかたがないと諦めたら少し楽になったのでそうしている。

「どうして私は“私”なのだろう」なんてことは小学生の時に既に思っていた。今よりずっと漠然としてはいたけど。
そして「死にたい、自殺したい」と思ったことがない。むしろ、「“自分”の意識が消えてしまう、自分で“自分”を認識できなくなってしまう」ことに怯えている。
ああ、だからといって「死にたい」という人の気持ちがわからないわけではない、と思う。私だって「私なんかいなくても…」とか、過去の恥ずかしいことや後悔がフラッシュバックして、のたうちまわることもある。

話が逸れた。
まあ、なので私が気にかけている人達、親しくしてくれている人達は、長生きしてね、て話です。

私はオシャレにはあまり、というかだいぶ興味がないのだけど、カノセカイ作品を複数持っている。

たぶんこんなとこかな。椿バレッタの下、赤と青のクラッシュパターンみたいなやつはもう材料がなくて廃盤になったけど、見た瞬間に一目惚れ。canoueの世界観に似てるな、と思ったことを覚えている。確か、HESOMOGEさんの「青い鳥のタロット」個展でA STORY TOKYO(新宿新南口店)に行ったのがきっかけかな。病気が発覚したのは、その後だったのか、その時既に、だったのかちょっと覚えていないのだけど…。

私は数年前に母親を胃癌で亡くしているので、どうにもやりきれなかった。地元とは相性が壊滅的に悪いので、それもまた別の意味でいろいろ大変だったけど…まあそれはおいといて。
本当になにもできないんだよなあ。
抗がん剤が効くかどうかは体質によるので、結局ほぼ運だし。
詳しいことは書かないけど、何が正しいのか、本当にわからなくなるし、「なにもできなかった」という周囲の人間の後悔というか、無力感がすさまじい。

私の場合は、趣味での本が読めなくなった。
ほのぼのコミックエッセイとか、脳に負荷がかからないものでないと無理で、活字だけだともう脳が拒否してくる。漫画でも、テーマが重かったり、複雑な舞台設定なんかあったりすると、もうだめ。内容や背景を自分の頭の中で構築するのがしんどくて無理だった。
ようやく最近改善傾向になってきていたのだけど…。

衝動的に書いてるのでとりとめがなくなってしまった。
とりあえず今はここまで吐き出せればいいかな。
後で消すかもしれませんが、一応「ロバの耳」ということでお願いします。

(追記)なんかやっぱあとからいろいろ出てくるな。
結局自分のことばっかりかよ、とも思うし。
でも作家って業の深い商売なのかな。
この人にしか作れない、というのが売りではあるけど、反面、いなくなったら、作れなくなったら、もう需要には応えられない。
「作品」という形で残るかもしれないけど、でも、新作・更新はない。
作品はなくても、何らかの形で誰かの心に残る、ということもあるだろう。
でもそれだって、形のない曖昧な物だから、いつまでも覚えていられるとは限らない。
「生きた証」がどんどん色褪せていく。過去になってゆく。
しかたがないことなんだけど、私にはそれがどうにもやりきれない。
だめだ、やっぱりうまく言えない。

(追記2)ただ、もし私が死んだとして、私のことは忘れてしまってほしいとも思っている。
正直、空気が読めないからいろんな人に嫌な思いをさせたり、失礼なことをしてしまっていると思うので、いっそのこと忘れてほしい。
私のせいで、嫌な思いをさせてしまうのなら、いっそ記憶ごと消してほしい。
だけどもし、少しでも「楽しい」とか思ってくれた瞬間があったとしたら、そのことだけ、「楽しいと感じたことだけ」を片隅に残しておいてくれたら嬉しいかなと思う。
ムシのいい話だし、それでチャラになるとは思わないけど。

私は「私が“私”として認識してこの世に存在していること」が不思議で不思議でしかたがないのだけど、もうずっと長いこと不思議に思い続けているんだけど、でも自分が死んでしまった後のことは、正直全く興味がない。私が私としてこの世を認識できなくなってしまうのは、寂しくて哀しくてしかたないとは思うけど。それだけ。
別に葬式もしてほしいとは思わない。
墓も別にいらない。
というか地元の墓に入ることだけは絶対に嫌。
あーもう気分が滅入るから「死」のことは極力考えない方が良いとわかってるのに無理だ。
ちょっとここで強制終了。

(追記3)

【メシア】Lyu:Lyu/現CIVILIAN
多分あなたが居なくたって 世界が止まることは無いし
恐らく僕が居なくたって あの子は今日も笑っている

【うつくしさ】Kalafina
手に入れた星の雫は
ただの石ころに変わってく
遠くで煌めいているものが
僕等を縛る

【glimmer】Annabel
伝う軋み 辿って
遠く光る 光巡る

うつくしい灯が枯れて
深い痛みにきみをさらう
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まあ見てわかると思いますがw暗いです。
でもできればそれぞれ一曲通して聴いてほしい。
落ちこみたい時に、一緒に底まで落ちてくれる曲。

「メシア」は、原曲はLyu:Lyu/現CIVILIANさんなので、ここで囁一さんの名前を挙げるのは、おそらくどちらにとっても失礼なのだろうけど、本当にごめんなさい、失礼を承知の上で、それでも私の最期は、囁一さんのピアノと歌声がいいと思っている。無理なのはわかっているけど。せめて妄想だけは、許してください。
新井素子さんの、何の本だったかな、遺書というのはそれだけで、内容がどれだけ理不尽でも、ものすごいわがままでも、肯定されてしまう。「遺書」という形を取るだけで、それが許されてしまう。たぶん、「ハッピー・バースディ」だったかな。こういう、ふだん当たり前にありふれている些細なことが、実はとんでもない構造を抱えていたっていうの、ほんと新井素子さんらしいなと思う。

そして、またしばらくpianismicシリーズにお世話になります。(囁一さんのピアノは、精神安定剤なので)

【SoundCloud - @sasa1】
*pianismic1
https://soundcloud.com/tag-sasa1/sets/pianismic1

*pianismic2
https://soundcloud.com/tag-sasa1/sets/pianismic2

*pianismic3
https://soundcloud.com/tag-sasa1/sets/pianismic3

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