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私が毎日noteを書いていないのに、毎日書いているように見られる理由

たまにTwitter上で絡んでいる人たちと会う機会があるのだが、そのときに必ず決まって言われる言葉がある。

それが、「毎日更新していて本当にすごいです!」

…という言葉。これに対してわたしは「えへへぇ」と返す。えへへぇではない。だってわたし、別に毎日更新しているわけじゃないんですよ。

特に今年の夏は書籍の執筆に追われていたので、「いや無理っす、書けないっす」と自主的におやすみをしていたし、長いときだと2週間ぐらいドロンしていたときもある。

冷静に考えて、毎日ひとつのことをやりつづけるのはとても大変なことだ。毎日健康に過ごせていたらいいけど、たとえば病に倒れたときは書きものをしている場合じゃないし、うっかり疲れて眠ってしまうこともあるし、緊急で友だちに呼び出されて話を聞いているうちにてっぺんを超えることだってあるし、特に理由がなくてもフツーに忘れてしまうことがある。

では、なぜ「毎日更新していてエラい」と思われるかというと、みんなのほうだって毎日わたしのことを見てくれているわけじゃないからだ。

人間とは不思議な生き物である。出かける前に「変じゃないかしら」と鏡で身だしなみを整えるけど、実際にそのへんを歩いている人の身なりなんてまともに見ない。そりゃあまりに奇抜だったら目が行くかもしれないけど、基本的にはそこまで気にならないはずだ。

現にわたしは今日母が着ていた服が何色だったかも覚えていない。

以前、アメリカの学校に通っていたときに突然ものもらいになってしまい、「これでいじめられたらどうしよう…」と行きの車のなかで電子辞書をひらいて必死に「ものもらい」を英語で調べて釈明の準備をしていたことがあるが、結局誰にも指摘されなかった。

わたしたちは自意識過剰すぎるのだ。人は人のことをつねに気にかけられるほど暇じゃない。

わたしは書籍の宣伝だって大々的にしたつもりだったけど、発売から1週間経ってから「知らなかった!おめでとう!」とコメントをもらった。そういうものだ。みんなは他にもフォローしている人がたくさんいるし、タイムラインを全部眺めているわけじゃないし、発信ひとつひとつをすべてチェックできるわけじゃない。これが事実!

だから、「よし、この人は毎日更新をちゃんとしているな」なんてわかりっこないのである。

それに、「絶対に絶対に毎日更新しよう」と決めるのはすごく良いことだけど、あまりに高すぎる目標を立てると失敗したときに立ち直れなくなってしまう。

だからわたしはいつもゆる〜い目標を立てている。noteに関しては、「なんとなく毎日更新してるふうに見えればいいや」ぐらい。完璧主義は挫折すると戻ってこなくなるので、完璧すぎる目標は立てないほうがいい。

でも、そうやってゆる〜くハードルを設定したりすると、いつの間にかひょいと超えてしまうことがある。そういうものだ。

だから、ちょっと失敗しても「今日は書くのを忘れてしまった…」と筆を置かないでほしい。わたしだって毎日できてるわけじゃない。『書く習慣』という本の著者ですらできてないんだから(笑)。完璧じゃない自分を許してあげてほしい。

ゆるくても確実に続けることのほうが大事なんだからいいのよ。自分のペースでいきましょう。 

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