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「ホワイト企業ならどこでもいい」就活で爆死した私が「書く仕事」で食べられるようになるまで

新生活ということで、新社会人や就活生に何か伝えられることはあるかなぁと筆を取ってみます。

わたしが伝えたいのはただひとつ。道を間違えたと感じたとしても、あとからどうにでもなるということです。

ここに堂々と晒すのも恥ずかしい話なのですが、私はかなりクソオブクソな大学生活を送っていたと思います。

中高と4年間アメリカの学校に通い、車通学のもと、親の監視下で比較的真面目に過ごしてきたこともあり、ひとり暮らしの大学生になった途端に何かが爆発しました。

どこに行っても、何をしても、何時まででも自由にしていい。

このミラクルな環境が怠惰大学生を作り上げるまでにそう長い時間はかかりませんでした。

大学では大した勉強もせず、楽単と呼ばれる楽しそうな授業をうまい具合に履修して、2階席でお菓子を食べながらのうのうと過ごし、そのほかはバンドサークルに飲みに明け暮れる日々を送りました。

何なら高校生のころからろくに勉強をしていなかったので、4年間の滞在期間に対して英語力が乏しいのも大きなコンプレックス。

さらに、当時は声優になりたいという夢を抱いていたので、オーディションを経てかなり有名な声優事務所の特待生になったにも関わらず、大学が楽しくて次第になおざりに。

ほぼ毎日、冗談抜きで歌うか飲むかしかしてないと思います。インターンに至っては意識高い系が行くものだと思って見向きもしていませんでした。

そんなもんだから、就活がはじまったときもまったく準備をしておらず、「そもそもわたしは会社員にならなくちゃいけないんか?」ぐらいのゆるい気持ちでのんびりと構えていたのを覚えています。

自己分析の一環で「得意なこと」や「好きなこと」を書き出してみても、「音読をすること」「歌を歌うこと」と「文章を書くこと」と「本を読むこと」ぐらいしか思いつかない。

安直ですが「声優になるか出版社に入るかの2択しかないじゃん」と思いました。(大真面目)

そこから、なんとなく出版社を目指してマス読を読みあさり、試験対策のために講座に通い、中央図書館で本を読み、OB訪問をするなど、ひととおりのことはしてみたのですが、そこで初めてまわりの熱量との差に圧倒されることになります。

「どうしても出版社に入りたくて就浪してます!」

こんな学生たちがゴロゴロいるのです。各出版社が採用する新卒の人数は多くても4人。試験対策として過去の芥川賞や直木賞を読みながらも、「いやこれわたしフツーに落ちるんじゃね」と悟りました。

受験とは違い、筆記試験を通過したからといって採用されるわけではないのが就活。しかしわたしには試験も面接も突破できるような、出版社に対してアツい情熱もなければ、誇れるような実績もない。

「やめよう」とシンプルに思いました。ここは“なんとなく"で目指すとこじゃねぇと。

そこからは、「じゃあ声優しかないじゃん(愚か)」としばらく声優事務所のオーディションを受けたり、DAMカラ経由で歌手オーディションを受けたりする日々。

しかし、いざ受かっても最終的に親バレし、「レッスンを受けるためのまとまった金をすら工面できないのに声優になれるか」と至極真っ当な指摘を受けて、再び就活をスタートします。

もういろいろブレブレなんです。

バイトでも何でもして自立して生活費もレッスン費も自分で賄い、腹を括って夢を一直線に目指す勇気がないから、親のせいにして夢に蓋をしたんです。

そして、「もうホワイト企業ならどこでもええわ」と手当たり次第面接を受け、運良く拾ってくれたのが1社目の超絶ホワイト雑貨メーカーでした。

よく、「学歴カード」と言われますが、中の人間がクソだと「学歴カード」って全然意味を成さないんです。帰国子女だろうが早稲田卒だろうが志が低すぎてバンバン落とされまくったわたしが通ります。

そんなわけで4/1は全然ウキウキせずに迎えましたし、10人の同期とともに会社の歴史を学びながら「会社って学校みたいやな」とヌルいことを思っていました。

ただ、それでもこんなわたしをせっかく拾ってくれたのだから、せめて迷惑はかけないようにやるべきことはちゃんとやろうと、自分なりに業務をこなす日々を過ごしました。

そこから状況が一変した…というわけではないのですが、しばらく働いてみたところ、「働くこと=社会の歯車になること」という認識から、「働くってそんなに悪いことじゃないな⁉︎」と思うようになっていきました。

すると、だんだんと欲が出てきて、「もうちょっとだけ楽しいことがしてみたい」と思うようになったのです。

2社目に選んだのは、サイバーエージェントでした。それまで「書くことを仕事にしたい」とWebメディアの会社ばかり受けていたのですが、たまたまエージェントに紹介されたのです。

余談ですが、転職活動というのは就職活動よりもはるかに気がラクでした。「まわりは内定が出ているのにわたしだけ…」と気負うことなくマイペースに進められたし、総合ではなく職種採用なので入社してからやることのイメージが具体的に湧く。驚くべきことに、「転職楽しいやん」とすら思いました。

サイバーにはちょっとした思い入れがありました。中学2年生のころ、わたしに言葉を発信する楽しみを教えてくれたのは他ならぬアメーバブログだったからです。

そのなかの広告事業本部で、クリエイティブディレクターという肩書きをもらい、ダイレクト広告のディレクションをすることになりました。クリエイティブディレクターの仕事は、書いたり描いたりするのが好きなわたしにとってなかなか楽しいものでした。

商材理解のためにゲームをやりこんだり、キャラクターの相関図を作り、良い組み合わせを考えたり、ファンが喜びそうなクリエイティブを考えたり、撮影のディレクションをしたり。

一方で、形に残らないものを作るのはどこか寂しいことでもありました。当たり前ですが、Web広告では数字がすべてで、いくらクリエイティブに思い入れがあろうと、効果が良くなければすぐに止められてしまうのです。

想いが行き場をなくしたことで、言葉がわたしのなかに溜まっていきました。遅い時間にタクシーに揺られながら、わたしはブログを綴り始めました。すると、読者が増えるにつれ、「やっぱり自分は書きたいのだ」という想いがふつふつと湧き上がってきたのです。

そこからの行動は早かった。社内転職制度を使い、ブログをポートフォリオにして株式会社新R25に転職。先輩に教えてもらいながら、ライター・編集者のキャリアを歩み始めることになりました。

そこから、「自分が行動さえすれば、やりたいことってやれるんだ!」と火がついて、社外コミュニティに所属して外でもライターの仕事をしたり、会社員と並行して声優の養成所に通い始めたりと、どんどん自分から動くことを覚えました。

夢を諦めたやる気のない大学生。働くことに何も求めていなかったホワイト企業営業マン。がむしゃらに働いていたクリエイティブディレクター。右も左もわからなかった駆け出しライター。

それらを経て、わたしは今、フリーランスでライターをしています。

何度も道を間違えたと思いました。

アメリカにいたころ、ちゃんと英語を勉強すれば良かった。大学に通いながら真面目に声優のレッスンを受けておけば良かった。就労したとしても諦めずに出版社の門を叩き続ければ良かった。惰性で就活なんかするんじゃなかった。

でも、どれも取り返せてはいないけど、最終的に今自分が立っている場所は愛しく感じます。

なんかよくわからないけど、学生のころは浅はかな間違いをたくさんしてしまいます。一つひとつの選択肢がびっくりするほどふんわりと軽い。気付いたころには、その選択肢は目の前から消えてなくなっているのに。もう取り返せないのに。

でも、取り返せはしなくても、なんとかすることはできます。

大変な遠まわりをしたけど書くことを生業にしようと決めて、遅いと言われても良いから声優をもう一度追いかけたことで、ほんの欠片でもあのころ欲しかったものを手にできているから。

だから、「あぁ、間違えたな」と思っても、どうか人生おわりだと思わないでほしいんです。願っても叶わないのなら、動くしかない。

発信する。応募する。連絡する。今いる場所から飛び出す。

それを続けていれば、少しずつ少しずつやりたいことができていく。少しずつかもしれないけど。

それが、わたしが新社会人と就活生に伝えたいこと、ひいては過去の自分に伝えたいことです。

なんとかなる。なんとかなる。と思いながら、1日1センチでもいいから歩いていこう。

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