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しあわせって、何だっけ 何だっけ♪

「しあわせって 何だっけ 何だっけ♪」
これを読んで、ポン酢を思い出すそこのあなた。

昔のCMって、忘れないもので
普通に歌えちゃいますよね〜(*´艸`*)ァハ♪

さてさて…先日、おかげさまで私は
無事note1周年を迎えることができました。

その際、皆さんと交流をしていて
僥倖ぎょうこう 〟を感じたので
それについて書いていきます。

【⠀僥倖 (ぎょうこう)⠀】
① 思いがけない幸運。偶然に訪れた幸運。こぼれざいわい。
② (━する) 幸運を待つこと。思いがけないしあわせを願うこと。
精選版 日本国語大辞典

しあわせって何だっけ?

またポン酢を思い出しちゃうわぁー(笑)

それはさておき、幸せとは
「心が満ち足りていること」という事なのですが
満ち足りていると認識できる状態かどうかは
普段における自分の思考次第です。

甘い物を食べて、幸せ。
自由な時間を感じて、幸せ。
あたたかいお風呂に入って、幸せ。
犬と寝転んで、幸せ。

小さな幸せは何処にでも転がっています。

それでいくと
転がっている幸せに気付くことなく
拾うこともできないならば
自分が幸せな存在だと思うことは
どうあっても難しいですよね。

古来より、人間という生き物は
幸福になる為の方法を探してきたように思いますが
幸せになる、のではなく
幸せで在る、の方が
幸せへの近道なのかもしれないと思うのです。

〝コップの水を満たそうとするのではなく
コップを小さくして、既に満ちていると感じる〟

一般的に幸せそうに見える方が
実際のところ
幸せを自覚できているかは分からないのです。

目に見えるものだけでなく肌で感じよう🫶🏼💗

僥倖(ぎょうこう)

そんな風に
〝気付けば自分の周りにある幸せ〟とは別で
コンフォートゾーンより外にある
自分だけでは作れない幸せがあります。

それは…
『偶然的であり、思いがけない幸せ』です。
偶然で思いがけないということは
自分の思い通りにはいかない
世界線にあるもののように感じます。

noteという場所で記事を書き続けることは
エゴであり、自分を主張することです。
そこに何をのせるかは人それぞれ。

思えば、note上で私という人間をまとめるなら
「記事を書くことは私の勝手なエゴだけれど
どうか、誰かの何かに触れることができますように」

などと思う欲張り者なのです。

そんな欲張り者の私の記事を通して
1年という歳月を
共に歩んでくださったフォロワーさんから
沢山のあたたかい言葉をかけて頂いたことは
私にとって、まさしく〝僥倖〟でした。

そして
サポートという名の誕生日プレゼントをくださった
EchoさんHiroさん
あらためて心から感謝申し上げます。

みんな、あったかいコメントをありがとう🌹✨

おわりに

人生を面白がるには
〝自分ひとりで感じられる少しの幸せ〟
に気付けるほんの少しの心の余裕と
〝自分ひとりでは用意できない思いがけない幸せ〟
に恵まれる為の
気持ちと努力が必要なのかもしれません。

「noteを1年続けて見えたもの」とは
人により違うわけですが
私に見えたものは
「積みあげてきた作品や交流の中で見つけた
あたたかい言葉たちと素敵な出会い、
そして励まし合える仲間」でした。

幸せとは、求めるものではなく気付くもの🕊𓈒 𓂂𓏸

今、あなたは何が見えて何を感じていますか。
どうかあたたかいものでありますように。

最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまたね。

そのお気持ちがとっても嬉しいです。 心から…ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ*.゚