しあわせって、何だっけ 何だっけ♪
「しあわせって 何だっけ 何だっけ♪」
これを読んで、ポン酢を思い出すそこのあなた。
昔のCMって、忘れないもので
普通に歌えちゃいますよね〜(*´艸`*)ァハ♪
さてさて…先日、おかげさまで私は
無事note1周年を迎えることができました。
その際、皆さんと交流をしていて
〝僥倖〟を感じたので
それについて書いていきます。
しあわせって何だっけ?
またポン酢を思い出しちゃうわぁー(笑)
それはさておき、幸せとは
「心が満ち足りていること」という事なのですが
満ち足りていると認識できる状態かどうかは
普段における自分の思考次第です。
甘い物を食べて、幸せ。
自由な時間を感じて、幸せ。
あたたかいお風呂に入って、幸せ。
犬と寝転んで、幸せ。
小さな幸せは何処にでも転がっています。
それでいくと
転がっている幸せに気付くことなく
拾うこともできないならば
自分が幸せな存在だと思うことは
どうあっても難しいですよね。
古来より、人間という生き物は
幸福になる為の方法を探してきたように思いますが
幸せになる、のではなく
幸せで在る、の方が
幸せへの近道なのかもしれないと思うのです。
〝コップの水を満たそうとするのではなく
コップを小さくして、既に満ちていると感じる〟
一般的に幸せそうに見える方が
実際のところ
幸せを自覚できているかは分からないのです。
僥倖(ぎょうこう)
そんな風に
〝気付けば自分の周りにある幸せ〟とは別で
コンフォートゾーンより外にある
自分だけでは作れない幸せがあります。
それは…
『偶然的であり、思いがけない幸せ』です。
偶然で思いがけないということは
自分の思い通りにはいかない
世界線にあるもののように感じます。
noteという場所で記事を書き続けることは
エゴであり、自分を主張することです。
そこに何をのせるかは人それぞれ。
思えば、note上で私という人間をまとめるなら
「記事を書くことは私の勝手なエゴだけれど
どうか、誰かの何かに触れることができますように」
などと思う欲張り者なのです。
そんな欲張り者の私の記事を通して
1年という歳月を
共に歩んでくださったフォロワーさんから
沢山のあたたかい言葉をかけて頂いたことは
私にとって、まさしく〝僥倖〟でした。
そして
サポートという名の誕生日プレゼントをくださった
Echoさん、Hiroさん
あらためて心から感謝申し上げます。
おわりに
人生を面白がるには
〝自分ひとりで感じられる少しの幸せ〟
に気付けるほんの少しの心の余裕と
〝自分ひとりでは用意できない思いがけない幸せ〟
に恵まれる為の
気持ちと努力が必要なのかもしれません。
「noteを1年続けて見えたもの」とは
人により違うわけですが
私に見えたものは
「積みあげてきた作品や交流の中で見つけた
あたたかい言葉たちと素敵な出会い、
そして励まし合える仲間」でした。
今、あなたは何が見えて何を感じていますか。
どうかあたたかいものでありますように。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまたね。
そのお気持ちがとっても嬉しいです。 心から…ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ*.゚