承認欲求の成れの果て
「承認欲求が強い人の特徴」を見ると、自分や自分の周りの誰かに当てはまる事が幾つか出てくるのでは?
私の場合はどちらも当てはまる。
というか、殆どの人がそうなのか?という位沢山いる。
そもそも、承認欲求というのは基本的に
「他人に認めてもらいたい」
「他人の目が気になる」
「他人と自分を比べてしまう」
「他人から羨ましがられたい」
など、とにかく
他 の 人
から見た自分を良く見せたい!
事を欲しているものが目立ちます。
でも少し心の奥を覗くと、それは自分に自信が無いからだと。
だから、他人に褒められて自分に自信を持つのだそう。
それが強くなっていくとその思いが無意識に常駐し、それを叶える為に誰かの足を引っ張って引きずり下ろしてまで自分を上げるという行為を平気でやってしまうそうです。
例えば仕事等でいえば、
①まずは仕事が遅いとか出来ない人を見つけ、その人が無能だと何となく伝えて周りにそのイメージを植え付ける。
これは初手の初手で、割とすぐに成功してしまうだろう。
②そしてその間に自分は誰かを手伝ったり、分かりやすく自分は仕事が出来ますアピールをする。
③自分にとって得になる自分より上の人を察知し、その人には気に入られようと動く。
④自分と同じ位のレベルで周りからも頼られてる人の足を引っ張る作戦に出る。例えば、その人が苦手な事を他人がいる前で振って、自分は上手くやって見せたり。
⑤そんな事を繰り返して自分を上げていき、周りからの自分の評価をジワジワ上げていくことに快感を覚えていく。
これは単なる一例で、勿論他にも承認の欲求を満たす為の行動は無数にあります。
ざっくり見ると、自分がよく見られる為に動いているだけで、そこまで悪い事をしてないのでは?と感じる面もあります。
承認欲求というのは、あくまで他人の目を気にして、他人から見た自分を良く見せたいというものなので、表面から見ると迷惑行為をしているわけではなく、その人が頑張ってやっている事でその点では良い事なのでは?と思います。
やめた方が良いのは、見ても分かる通り
人を落とすこと
この衝動は全て他人がいて成り立ってる事なので、
簡単に言うと、
3本位のロープがあって、
力の弱い人を抜き、
昇れそうな人と協力して上がって、
最終的にはその人を蹴落として自分だけ昇り切る。
下から見る他人はただ昇りきった人を凄いと思うので、そこを褒める。
そんな事世の中には沢山ありそう。
でもそれは仕方が無い事です。
他人は結果に興味があり、結果を出した段階でのその人を見るものだから。
じゃあその先は?
最終的な目標あってのその行動なら、それはまだ途中段階。
でもその行為自体に取り憑かれてしまったら、
どこかで自分を見失い、虚しくなってしまうのではないかと
思ったりもする。
きっと、承認欲求で大事なのは、
「他人」
ではなく、
「自分」
自己承認を満たす事なのだと思います。
それがある人は、上にいかなくても幸せだと思える人も多い。
他人と比べなくていいのだから。
「他人と比べる」という行為そのものに取り憑かれた人の成れの果てはどこにあるのだろう。
ある女の子が、整形に取り憑かれて
「ここがまだ納得いかない、私よりあの子の方が綺麗だ」
と、誰かと比べてどんどん沼にはまっていく。
完了したと思ったら、またそれより上の女の子を見つけては、またズブズブと自分を切り刻んでいく。
整形はいいが、それはあくまで自分を満たすだけのものにしたいのに、他人が絡んでくるから沼にはまって周りは泥だらけで見えなくなってしまう。
その女の子のゴールはどこにあるのでしょうか。
生きて活動している限り他人は切り離せない存在だから、とても難しく思うし、「そんな事言われても!」
と思います。
だから全てを否定は出来ません。
それでも、比べるのは昨日までの自分自身にして、他人はただの材料。憧れたり反面教師にしても良いけど
、自分が手を加えてまで引き摺り下ろす行為だけをするのは、いずれ自分が虚しくなるだけなのかもしれないという事を心のどこかには持ってあげたいと思う。
承認欲求
というのは、自分に自信がない人がなりがちだそうです。
そこから自分を満たす行動をどうやるのかは、
自分で選択したい。
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