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社会のデザインと企業のデザイン

デザイン学会の部会イベントに参加して

 デザイン学会の情報デザイン部会の内部イベント「デザインの知恵に迫るデザインのふり返り方の探索」に参加しました。テーマは、企業のデザイナーが自分自身のデザイン実践をふり返るというもの。自分自身、デザイナーといえる役割の人間ではないけれど、企業のデザインの難しさには思うところがあり、興味が惹かれるテーマでした。(企画者の皆さん、ありがとうございました。)
 具体的には、企業のデザイナーの方の実践とふり返りをまとめた資料をベースに対話がすすめられましたが、そこから派生した社会のデザインと企業のデザインの違いの議論が面白かったので、メモしておきたいと思います。

企業のデザインとそのジレンマ

 発表された方もそうでしたが、多くの企業のデザイナーの仕事は、UI設計だけに閉じず、サービス全体の体験を含むUX設計などに拡大しています。デザイナー本人は内発的な動機からユーザの体験を捉え直して企画をしたいと考えるますが、技術的、ビジネス的論理が優位な組織構造の中では、必ずしもその内発的動機が尊重される状況とはいえません。逆に、組織の中で他の社員や経営層から求められるのは、ユーザニーズという言葉で表現される市場を理解するためのデータや機能改善やマーケティングに活用できる根拠です。
 必然的に、デザイナーは人間の二つの側面をみながら、落としどころを探していくことになります。一つは、社会のなかで生活者として暮らしている社会的な人間としての側面。もう一つは、企業のビジネスモデルの一要素として消費活動をする経済的な人間としての側面
 この両面がみえながらも、社会的な人間としてのモノづくり・サービスづくりに携わりたいと思うのが、企業のデザイナーの立ち位置であり、ジレンマに陥る理由のように思います。
 「会社では客観側(経済的な人間としての側面)にひっぱられるので、主体側(社会的な人間としての側面)に自分自身を引き戻すために、今日のようなイベントに参加しているのだと思う」というのが発表された方の最後の感想でした。

社会のデザインとはどういうことか

 それでは、社会的な人間としての側面をみながらデザインをするとはどういうことなのでしょうか。
 対話の中で、京都学派の哲学者として知られる三木清の言葉をある先生が引用されていました。哲学入門によると、三木は科学と哲学を対比しながら、

科学の与えるのは世界像であって世界観でなく、しかるに哲学の求めるのは世界観である。世界像は客観的な見方において形作られるものであるに反して、世界観は主体的な見方において形作られるのである。前者は世界の対象的把握であり、後者は世界の場所的自覚である。

三木清「哲学入門」岩波書店, 1940

と述べています。この科学・世界像ー哲学・世界観の対比をもちいて、さきほどの経済的な人間に対するデザイン(企業のデザインなど)と社会的な人間に対するデザイン(社会のデザイン)を理解することができるという点で対話会は盛り上がりました。
 企業のデザインは、人間を客観的な見方で捉えます。たとえば、ユーザの何かのニーズやある瞬間の好ましい体験など、経済的な人間としての要素を部分的に捉えて価値を考えようとします。
 一方、社会のデザインは、人間を主体的な見方で捉えます。たとえば、あるおばあちゃんのこれまでの人生を鑑みてみる、自分の息子の将来に思いを巡らせてみるなどのように、社会的な人間として全体を捉えて価値を考えようとします。

社会のデザインの歴史?

 そのような社会のデザインのあり方は過去をふり返ってみると、あたりまえの行為のようにもおもえます。石器時代には、狩りのために槍を作るとき,作る人は使う人の体格から動きの癖,使う人がやる気になる好みの色などを考えて槍を作ることができたでしょう。つまり,作る人は使う人の価値観や問題意識,モチベーションなどを全体的に把握して道具を作ることができる関係性だったといえます.
 しかし、200年ほど前の産業革命以降、モノやサービスを効率的に作るための仕組みが発達したことで、作る人と使う人の関係性は大きく変わってきたといえるでしょう。そして、この関係性の変化が問題視されたのが、1950年代のSocio-technical system(Trist et al. 1951)の議論であり,以降、参加型デザイン、Coデザイン、リビングラボ、ELSI、RRIなどの研究領域が発展し、また、SDGsやウェルビーイングなどの社会としての価値観が提唱されてきました。
 このように歴史を見ると、効率化重視であるテイラー主義の良さ・悪さや時代との相性なども踏まえたうえで、企業のデザインは学び直しの時期に入っているといえるかもしれません。

企業のデザインが社会のデザインに近づくために

 それでは最後に、どのように企業のデザインが変われるのかについて少し考えてみたいと思います。
 冒頭の企業のデザイナーの話に戻り、その構造を図示してみます。

 組織(企業) > 企画者(デザイナー) > 社会(生活者)

組織(企業)のデザインの構造
組織(企業)のデザインの構造

 ここで秩序を握っているのは組織(企業)です。企画者(デザイナー)は組織の論理とは異なる論理をもっていても、組織の論理に合わせる役割が求められます。そして企画者は社会(生活者)の部分的な問題を客体的に捉え、価値を提供するのです。かくして、企画者(デザイナー)は、人間を経済的な人間として捉えた企画を実行することになります。

 これになぞらえて、社会のデザインの構造を考えてみましょう。

社会(生活者) > 企画者(デザイナー) > 組織(企業)

社会(生活者)のデザインの構造

 こちらでは社会(生活者)が理念として掲げられます。企画者(デザイナー)は主体的な生活者との関わりの中で、あるいは、みずからが主体的な生活者として、価値を考えます。そして組織(企業)は、その価値を実現する手段として活用されるのです。この構造は、企画者(デザイナー)や組織が社会的な人間に対する価値を生みだすを許容します。

 ビジョン・ミッションやパーパスなどを言語的につくり共有する活動には一定の効果があると思うのですが、経営者や組織運営の担当者だけががんばることには限界があるでしょう。
 そもそも、デザイナーは社会的な人間であり、企業も社会を構成する社会的な人間の集まりである、というあたりまえの考え方が、根底に必要な事なのだと思います。今回のイベントは、そんな考え方が共有された機会だったように思います。

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