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白pomera日記 2023.01~

年が変わったので、別記事にします。
(2/15更新: 1/14〜2/3、日毎の見出しをつけることにしました)

2023/02

02/03 最終課題・未完

提出はした。悔しいことに文字数で半分、ストーリー展開上は1/3くらいまでしか書けず、未完での提出。
小説の書き方と生活と人生を見直したい。

2023/01

01/31 鮎川誠

今度は、鮎川誠の訃報。シーナ&ロケッツを聴く。

01/29 自分との戦い

自分との戦いに負けている。

01/28 『アニメージュ』読み放題

近所の大宅壮一文庫にて、今月末まで『アニメージュ』読み放題をやっており、いろいろ読んできた。おもに79年〜80年あたりのもの。
自分が最初に買った『サイボーグ009』が表紙の'79年6月号が懐かしくも刺激的。巻頭は『宝島』最終回再録で、アニメ自体は見ていなかったのだけど(日曜日でフジTVの名作劇場の裏番組だったはず)、出崎統監督の名をここで初めて知った。『009』特集ではいきなりアニメ制作プロセスのフローチャートを載せていて、どんなセクションがあって1本のアニメが作られるのか、たぶんこれを読んで勉強した。劇場版『999』の主題歌決定カラーページの色合いは深みがあった。そしてこの号で『ガンダム』の存在も知ったし、聖悠紀の漫画(『黄金の戦士』いきなり最終回)も初めて読んだ。
'84年の号には、同時上映作の監督コンビ対談、押井守×大森一樹。クリス・マルケルの『ラ・ジュテ』(スチル写真つまり静止画を何枚も映していく)のような映画を撮りたいと考えていた過去からの『ビューティフルドリーマー』、ゴダールからの『すかんぴんうぉーく』
『ラ・ジュテ』のような映画、のような小説というのは、どんなものがありうるだろう……? と空想を巡らせる。

01/27 BUCK-TICK新譜、創作AIと人間

BUCK-TICKの新譜、3月のシングル2枚と4月のアルバムの発売が近づいてきているけれど、FC会報のインタビューで伺える片鱗がまたおもしろい。一日一音色の進捗というこだわり(さすが今井寿!)。
AIにイラストや文章や音楽の作成能力があっても、レコーディングでスタジオに籠ってひとつの音色をつくるのに一日かける、人間のこだわりに勝るものができるとは思えない。だから今のところ、クリエイターの生産性向上になるという以上の魅力を感じない。
あと以前、藤井太洋さんが「AIがたくさん小説を作っても、それを評価する人がいないとレベルアップしないはず」と言われていて、数年経って状況が変わっているとはいえ、AIに審美眼てあるのかしら? という疑問はある、いまのところ。
でも、こんな現状維持的な認識の頭をぶん殴ってくるようなAIを、期待したいとも思うのだけど。

それにしても、ツアーの合間にレコーディングしてるって、デビュー35年のバンドじゃないな。正気か?

01/26 『イリアス』はどのように記録されたか?

藤村シシン講座アーカイブ『ギリシャ神話の文学史にせまる』の初回、『イリアス』の前半回を視聴。2020年に聴講していたオンライン講座だけど、全8回のうちの3回目から受講したので、初回、2回目のホメロス回は見ていないのだった。
「イリアスはどのように記録されたか問題」がとても興味深い。『イリアス』に「書く」と言う動詞は出てこない、ホメロスは文字を「書く」ということを知らなかったのでは? という最近の研究成果。真相は後半回で明かされるのであろうか?
それにしても、現代では自明の概念が過去には存在していないということも、その逆も、当然ありうるのだけど、じっさいに直面すると想像を掻き立てられる。ある動詞が存在しない未知の古文書、あるいは何を表しているのかまったく不明な動詞が存在する古文書の発見からはじまるSF……
『神狩り』か、あるいは『中動態の世界』か?

01/22 

私は何を書きたいのだろうに立ち返っている……

01/21 「蝉の女王」

その小説の梗概が、「ブルース・スターリングのよう」だとダールグレンラジオで評されていたので、「蝉の女王」を読んだ。30年ぶりくらいで読んだのだと思うけど、すごいな。
お金のかかった昔のヨーロッパ映画のような貴族的なデカダンスとシュルレアリスム芸術のような情景がすばらしく、しかし、すべては異星人とポストヒューマンたちの、人類ごときの理解や共感を拒絶する行動原理に由来する産物なのだ。
「うわ、こいつら人間じゃない!」という、20歳ごろのSFマガジンでの初読の興奮はないけれど、高密度のSFであることは揺るがなかった。個人的には、最初に読んだ「サイバーパンクSF」だったし、佐藤道明の挿絵がすばらしかったことを覚えている。

01/21 『メタバース』

今書いている小説は、舞台の一部がメタバースなので、いまさらではあるが加藤直人『メタバース』を読んだ。現在進行形の状況と、未来のビジョン。正直なところ、未来像は紋切り型という気はするのだけど。読めてよかったのはメタバースの歴史についての記述。自分はわりとメタバースを冷めた目で見ているのだけど、それは、90年ごろのシャロン・ラニアーのVR技術による第1波を経験していることが、冷めている理由の一つにあることが確認できた。30年経って、コンピュータの処理能力が上がったことによって現実的に使えるものになったのは確かなのだろうけれど、本質的なところは、あの素晴らしくもチャチなおもちゃだったゴーグルとデータグローブから変わっていないと思っているから。ただ、今のVRをちゃんと経験してはいないので、経験しないといけないな、とは思っている。
いっぽう少し前に読んでいた『スノウクラッシュ』は、退屈してしまい、単行本60ページくらいで読むのやめてしまったのであった。なぜ退屈なのかは小説作法的に学びはあったけど。

01/20 『文藝』批評特集とか

小説すばる文藝『SFのSは素敵のS+』と文庫本何冊かが、yodobashiから届いた。 文藝の批評特集がとても興味深く、冒頭の対談ほかいくつかの記事を読んだ。ゲンロン13の2作に触れられている水上文さんの季評も。
小説すばるの中野伶理さんのコラムは、個性が出ていて素敵だなあと思う。

原稿は序盤で躓いている。

01/18 『アンナ・コムネナ』3巻

佐藤二葉の歴史漫画『アンナ・コムネナ』3巻が出たので電書で読む。1ページごとの4コマ漫画なのに、ちゃんとストーリー漫画になっていて、フルカラーが細部まで美しい。姉アンナと弟ヨハネスの成長と確執。虚実入り混ぜた展開が微笑ましく、面白く、しかし先の展開を思うと辛い。

01/16 来期

発熱から回復。少し原稿を書く。
ひらめきマンガ教室6期の案内によると、大森望 SF創作講座との合同授業が来年度もあるらしい。

01/15 高橋幸宏

発熱、38℃。36.8まで下がったのだが、夕飯食べたらまた上がった。
高橋幸宏の訃報。『NEUROMANTIC/ロマン神経症』を聴く。RIP

01/14

発熱、38℃
解熱剤がないので、かぜ薬で熱を下げようとするけれどあまり効かない。

津原泰水/ 宇野亜喜良 イラスト/ Toshiya Kamei 訳という、すばらしい『五色の舟』が3月に出版されるらしい。
津原さんには、オンラインの文章講座で、他では聞けない創作の極意を教えていただいたり、質問に答えていただいたりしたことがある。残念ながら直接お会いする機会や自分の作品を読んでいただく機会はなかったが。

01/13

新型コロナのワクチン4回目を打ってきた。

01/12

箱根まで日帰りドライブしてきた。
目的地はポーラ美術館。「ピカソ 青の時代を超えて」展をやっていた。ポーラは館内だけでなく、雑木林の中の遊歩道を歩くのが気持ちよい。さほどお腹が空いていなかったので、レストランは利用せず、カフェでケーキを食べた。

01/11

恵比寿に、ジャン・コクトーの『美女と野獣』と『オルフェ』を観に行く。想定されていたことではあるのだが、暗くなるとすぐ眠くなるたちなので、『美女と野獣』は途中から寝てしまった。丁寧に作られていたという印象。
『オルフェ』はとても好みの世界観。現代を舞台にして神話を再現するというのはとても魅力的な試み。しかし、曲線的なフォルムの自動車が走り、詩人の集まるカフェがあるような世界は、それ自体すでに神話的な世界ではないだろうか?
自分の好きな映画監督や作家は、こういうものをちゃんと若い頃に観て血肉にしてきたのだなあと思い、自分の無教養が悔やまれる。
現代「」舞台にした神話もののファンタジーというのはまた挑戦したいのだけど、このような既存作品をとうぜんのように参照しつつ乗り越えていかなければ書く意味ないなあと思うのであった。

01/10

『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』読了。表現と身体と老いと介護とAIと未来についての、切実な小説。終盤の見せ場三つ畳み掛けるところの読み応えもすごい。
今期の創作講座で書いた小説には、『プロトコル……』と同様に30年後や25年後の未来の独居老人の孤独死や高齢者労働について書いているものがある。問題意識としては同じ部分があり、自作と比較せざるを得ない。埋めがたいギャップ。そして講座に講師として来られた著者にいただいたサインには「がんばってください」と書かれているのであった。

某ゲラを返す。ページの枠内に文章納めるテクについては、講座の梗概文字数1200ジャストにする訓練が役に立っていると思う。
わずかながら紙の年賀状をいただく方がいらして、寒中見舞いで返事を出した。なぜ年賀状を準備できないのか問題。

01/08

『水星の魔女』の1クール最終回を生で見る。母がシャアである不幸。初代の1クール終わりが、13話「再会、母よ」なんだけど、息子が兵隊を銃で撃ったことを拒絶する母と、積極的に「進めば二つ」と言って撃つことそして殺すことを母親のどちらがよいか? 士官学校の同級生や恋人がシャアなのより、母がシャアなのが一番不幸な気がする。さて2クールはここからどう続けるのか?

01/07

ダルラジV系SF企画で、伏見瞬・河野咲子賞をいただく。「恐るべき子供たち Les Enfants Terribles」というBUCK-TICKの楽曲を70曲以上引用した掌編。伏見さん、河野さんからの講評コメントが、的確に意図を汲んでいただいた評価で嬉しい。

01/06

配信を聴くことと本を読むこと、時間の価値とか重みとか考える。世情に疎い人間が社会からわりと隔離された生活を送っているので、タイパなる言葉が流行っているというのは年末の流行語大賞的な番組(たぶんWBSだったと思う)で初めて知った。それで、タイパ的なもののアンチテーゼとして、だらだらと話すトーク番組の価値という話を聞いて、それはまあ、一理あると思うし、SF創作講座関係者のラジオやPodcastの長時間番組も楽しくかつ役に立ってはいるのだが、これがアンチテーゼになりうるのかは疑問を持っている。トークの垂れ流される言葉の中に、自分にとって大事な言葉と出会う瞬間はあり、それは大切なのだが、出演者の書いている著書をちゃんと読む方が大事なのではないかと思った。とくに専門書の類。

神話に対して「学ぶ」という意識で接したのは、3年前、つまり4期最終課題を書いている時が初めてで、小学生の頃から学ぶことなく親しんでいる、今の子供たちがポケモンの名前を言えるのと同じようにギリシャ神話の神様や人外のものたちの名前を知った、いつのまにか覚えている存在だった。多くの再話、変奏があるのがギリシャ神話だが、安彦良和『アリオン』……大胆な異説の構築、土着性、父性の強さと愚かさ、母性の優しさと醜さ、光と影の両面を描いた漫画……を、中高生時代、80年代に読んだ漫画の影響は大きい。
この3年ほどで学んだことは、時代と作者によるバリエーションの変遷の経緯、現代まで残ることができたわずかな文献だけが正典となっているということ、それらはほとんど「貴族階級の男性」向けに書かれたものであるということ、「公式」(ホメロス, B.C.8c)よりも「2次創作」(オウィディウス, A.D.1c)のほうが広く認知されているということ、常に更新されながら、現代まで語り直され、生き延びていること。

01/05

ゲラを1件返す。

昨日の東京ドーム大会につづいて、今日も新日本プロレスを配信で見た。1年の総決算としての1.4に対して、新たな動きが見出されるのが1.5の大田区総合体育館。
変化をつけること、感情を表現すること、この先の展開を期待させ、不安を煽ったりワクワクさせたりすることについて、考えさせられた。
最速で変化を演出する鈴木みのると、頂点から墜ちることができる才能をもって感情を表現するジェイ・ホワイトの表現が図抜けていると個人的には思う。成田の逡巡も、YOHの脱皮した勢いも、ザックの全方位で新しいアクションもいい。

01/04

千歳烏山まで歩いて、図書館でアフリカの神話、民話の本を借りる。図書館の南側の窓に面した自習コーナーでは、広い机に老若男女が勉強したり、本や新聞を読んだりしている。堂々とパソコンを広げている人もいるので、この図書館ではありなのだろう(区内の他の図書館では禁止しているところもあった)。学生不可のコーナーは中高年、老人ばかりが席に着いている。カフェに行かずにここで作業してもいいのだけど、なんとなく躊躇う。正面の席との間にはアクリル板の衝立があるが、隣の席との間には無いからか。年老いた人たちの淀んだ雰囲気(それは遠くから感じたイメージにすぎないが、死臭、腐臭?)に対して忌避したいものを感じたからか。けっきょく、いつものスタバに行く。昼食時だったが、仕事が始まったためか席はガラガラだった(時間が経つにつれ混んできた)。一人用のテーブルの面積は狭いのだけど、それはワーキングスペースではないためそう言うもので、隣との距離が気にならないのはとても快適だ。確実に、コロナ前よりも他人との距離が近すぎる場所を避けたい感情に遠慮しなくなっていると思う。それは、感染リスクではなく、親しくない相手との距離感の問題だ。
ところで、老いた雰囲気への忌避と言うが、50代の自分が隣にいたときに、たとえば創作講座の若い人たちはどう感じているのだろう。不安と、すみませんという気持ちがよぎる。自分の嗅覚では関知できない加齢臭とかやはりあるのだろうか。
新日本プロレス恒例イッテンヨン、東京ドーム大会を配信で見る。鈴木みのる/ザック/ジュニアタイトル戦/ケニー・オメガ対オスプレイ/ジェイ・ホワイト対オカダ・カズチカ等々。ベストバウトはケニー対オスプレイでなどと、皆が語っている以上の感想が出てこない。正直、最後の試合は残念な内容だった。

01/03

送ったDMの反応がなく、Tweetも止まっていて不安。生きてるよね? 自分の無力さを感じる。
1年近く前に書いた小説を読み返す。5月の文学フリマに出すための、改稿、修正の検討のため。複数の人からいただいた感想も参照しながら、単純な修正以上の加筆ポイントを考える。以外と面白いと思ったり物足りなかったり。ラストはもう一歩突き詰めて書きたい、という結論に達する。関係メンバーとのdiscordに方針をポスト。直すのは、4月になってからだけど。

01/02

DMのやりとり。
都内の実家に日帰り。雑煮としゃぶしゃぶを食べて帰ってくる。

01/01

年末のうちに済ませておきたかったが、年が明けてから、SF創作講座の最終課題の冒頭を試し書き。1200字ほど。実作より前にプロットも設定も要検討課題山積なのだが、自分は、どんな文体、質感で書いていくのかが見えていないと、初稿を書き出せないのは分かってきたので、これも初稿前の準備のタスクの一つだ。
一度寝て起きてから雑煮らしきものをつくる。11月に金沢で買った文室屋のお吸い物に鶏肉を炒めたものを加え、焼いた餅を二個。なかなかに美味しい。ちなみに自分でつくった料理については、今はmastodonに写真をUPしていて、基本的に食事のための外食はしないのだけど、ちゃんと自炊している頻度は写真で分かる。まあ、個人的なふり返りというか、映えとかないので、フォローしている人たちにとってどうなのか? という写真ではある。

お年玉、『痙攣』3号が届いていた。巻頭言とBUCK-TICK論を読む。
とりあえずの感想、読み応えあるけど、全然ページ足りてない(笑) 「内なる擾乱」に向かうプロセスに「分裂」を見出したのが慧眼と思い、正月からいいものを読んだ気分。BTの凄いのは、この「分裂」がメンバー間の「音楽性の違い」なんかではなく作詞作曲担当の一人ひとりの中に分裂があり、結果、バンドとしても、まとまりながら分裂しているということだろう。
巻頭言の「エレキトリックギターという境界」で語られていることの先には、とうぜん今井寿の存在があるだろうなど、まだまだ様々な視点と解像度で読みたい。書籍化、ぜひ実現して欲しい。

(以上)

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