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日記 "not completed"編(2024/1/9〜30)

書く習慣、くらいのつもりでいる日記ですが、忙しくなると放置してしまいます。2月5日の今も、他に書くべき文章はあるのですが。
タイトルは江口寿史原画展より。


2024/01

1/9 創元SF

創元SF短編賞に応募した。
過去作の加筆修正版。後から振り返ると、加筆部分と既存パートが繋がっていないのでは? という疑惑もあったり、アップロード直後とは違って自信がない。いずれにしても、2ヶ月後くらいには1次選考の結果は出る。それまでは終わったものとして、次のことをやる。

1/14 編集会議・カラオケ

「V系SFの部屋」スタッフによる編集会議。というよりはカラオケ大会。
Mさんめっちゃ歌上手い。

1/17 ニュースレターVol.2発行

V系SF通信のニュースレターVol.2を発行した。「V系SFの店」では、先月末から無料のニュースレターを始めた。ライブレポート、ディスクレビュー、アンソロジー第2弾『セカンドアルバム(仮称)』の告知など。そのうち、SFの紹介記事なども書きたいと思っている。隠し球はまだある。
今回は、自分が書いた2本の記事を配信した。1本は昨年12.29のバクチク現象の渾身のライブレポート。もう1本はV系SFアンソロジー・セカンドアルバムのテーマ公開
詳しくは、ニュースレターを見てもらえるとありがたい。

1/19 SF創作講座、梗概提出

タイトルは早めに決めていたものの、ギリギリまで構想が立てられず。
けっきょく〆切当日に何とかした。梗概書きながら、その場でベタにキャラの名前作るのは適当すぎでは? ネーミングの楽しさが、キャラクターの性格を考える楽しさに繋がるとしても。

1/26 SF創作講座、梗概選出

斜線堂有紀さんと集英社・田中玲遠さんがゲスト講師。自分は毎回現地で受講しているのだけど、オンライン受講や欠席の方もいて、ゲンロンカフェの中は混雑はしていない。提出数も下がってきたし、そういうものではあるかもしれないが、もったいない。新型コロナ以降、オンライン受講のインフラが整備され、首都圏以外に在住の方でも受講しやすいのは良いことだと思う。一方で、教室で対面で講師や受講生と話せるメリットを考えると、それができない状態での受講はもったいないとも思う。

斜線堂さんの講義はとても内容が充実しててよかった。再現性のある、奇想を生み出すための斜線堂メソッド。ただし、大事なのは、基礎となるデータベース構築のための読書量と分析プロセスだし、もっと大事なのは、再現性のない「どうしたらいいか分からん」の部分を、各々で生存を賭けてやっていく、というところではある。それは当たり前のことで、教えてもらったら急にアイデアが生まれたり小説書けるようになったりはしない。

梗概は呼ばれた順番が最後で、今回は箸にも棒にもかからないのか? と思っていたところ、斜線堂さんと田中さんが共に推してくれ、3本ほどあった当落戦場で競っている作品の中から、自分のが選ばれることになった。4期の時に他の受講生から学び、この日の斜線堂さん、田中さんの講義での言葉でさらに確信したけれど、アピールは大事。自分の作品が多くの読者に届くように、作者はできる限りのことをすべきだろう。先月、今月と連続で選出されている藤さんが前に懇親会で話していたけど、この場は「コンペティションの場」であるし、一般の各種公募にしたって、応募数を見れば分かるように、どんぐりの背くらべの過当競争なのだから。

4期で一緒に学んだ藍銅ツバメさんが会場に来ていて挨拶。小説すばるで新連載が始まった。楽しみ。同期の活躍は刺激になる。

1/27 懇親会

0時を回ってからオールの懇親会。
V系SFアンソロ『漆黒の熱量』を一部お買い上げいただく。
今月はシャーベットを忘れずに注文できた。

1/28 ヴァースノベル研究会

SF創作講座繋がりの人と、そこから別方向の繋がりの人と、有志6人のヴァースノベル研究会というのをやっていて、5月の文学フリマで本を出す予定でいる。ヴァースノベルというのは、詩と小説の混じり合った表現のこと。アン・カーソン『赤の自伝』が、代表的な作品だろうか。
毎月集まって勉強会のようなことをやっている。今月は『アニアーラ』を読んだ。ただ、自分は半分までしか読み終わっていなかったのだが……

1/30 映画と原画展

朝から、『G-1.0C極音爆音上映』『江口寿史原画展 not completed』『哀れなるものたち』をハシゴする。映画は立川で、原画展は京王線の千歳烏山と芦花公園が最寄りの、世田谷文学館。

ゴジラのモノクロ版、しかも立川シネマシティならではの『極音爆音上映』である。ツッコミどころに突っ込む楽しさ含め、面白く観た。構成や演技の瑕疵を、ゴジラの迫力と神木くんのピュアネスで強引に押し切っている感はあるが、そういうところのツッコミ含めて楽しい。この映画は、東京に核落とされて黒い雨が降ったものの、国や軍隊がトンズラしたため民間の自助共助で何とかしてやり直すという話だと読める。米軍が出てこないことについて、笠井潔が「映画のど真ん中で暴れているじゃないか」とSNSに書いていたが、自分の眼で見てその通りだと理解した。浜辺美波が都合よくマリア様すぎてマリア・エクス・マキナ(機械仕掛けの聖母)といった趣きすらある。ところでアメリカで大ヒット中なのだが、核を落とした側のアメリカで受けてる理由を想像すると、ちょっと……東京=NY、G=イスラムテロリスト、という見立てが彼らの中にないだろうか。その上で、市民が自ら銃を手に取って戦う物語と思ってないだろうか。それから、第二次世界大戦という時代が、スチーム・パンク的な世界観の題材になりつつあるかもしれないと思った。約40年に19世紀ビクトリア朝を舞台にして立ち上がったジャンルが、そろそろ20世紀前半をターゲットにしてもおかしくない。

立川から、千歳烏山に向かう。乗り換え駅の分倍河原で下車して、昼食のパスタを食べ、独立系の書店を覗く。駅前のマルジナリア書店。入り口すぐの書棚に、牧野葛葉の既刊が3冊すべて置かれていた。

特急で分倍河原から千歳烏山へ。このあたり、前は住んでいたところから徒歩圏だった。裏道を10分少々歩いて世田谷文学館へ。
江口寿史が漫画を描いていた時代の、イラストと漫画原稿の原画展。漫画を描かなくなってイラストレーター一本になる時代の前のものだけの展示だとという。イラストの一枚絵での完成度も素晴らしいけど、それよりギャグ漫画の短編がよいなあ……。撮影可なので、ひばり君をたくさん撮った。売店で『日本短編漫画傑作集』の江口寿史の作品が収録されている巻と、ポストカードなどを購入。帰宅してから、単発ギャグ漫画中心の電子書籍をDLした。

『哀れなるものたち』、面白く興味深く観つつも、今日2本目、かつ夜に観たという自分のコンディション的には消化不良。成長物語ならではの、ゴールが見えずだらだら続く構成が眠くなってつらい。もっとも、それでも最後まで見れたのはシナリオの構造がしっかりしているのだろうと思う。そして、ああいう人工的な絵作りって、自分は苦手なのかも知れない。カラフルすぎる色彩も、レンズの歪みも疲れる。おそらく視覚過敏の影響で、もっと彩度を落とした映像が自分には向いているのだろう。朝見た『G』のようなモノクロ映像や、ドゥニ・ヴィルヌーヴの映画のような映像。
そしてこの映画はもちろん女性についての映画ではあるのだけど、ベラが女か男か、あるいはどのようなジェンダーの属性がどうであるかは、個人的にはこだわりなく観ていたことにも気づく。造られたものが自らの生を生きるという、人工生命の物語として、そのジェンダーもセクシャリティも属性の一つにすぎないという感覚。優先順位はそこにない、というか。これも、視覚過敏、感覚過敏と同じように、自分自身の内側から生じる読み方、見かたなのだろう。

(つづく)


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