こんにちは、みるださんです。 私はお店をオープンした際、ランチを出す自分の周りの飲食店はみんな「ラル」だと思っていました。 うどん屋さんだろうが、カレー屋さんだろうが、とんかつ屋さんだろうが。 そして、「他のお店にはお客さんが来るのに、何故うちには来ないのか」「他のお店では行列を作ってでも待つのに、何故うちの店は5分も待ってくれないのか」と自分を責めてばかりいました。 でも駅周辺でランチをするお客様の数は決まっていて、うちのお店にお客様がくれば、その分他のお店には来ない
こんにちは、みるださんです。 ちょこっと前のことだけど、 展示会に出すマフィンが傷んでいて、3000個の商品を回収するという事故がありました。 一人で作っていたからというのも言い訳にしかならないし、 だめなことはだめなんだけれど、 きっと御本人は凄まじい後悔の念を持っていることだろうに、 嫌がらせや自粛警察みたいに吊るし上げなくてもいいのになと思ってしまうのは私だけだろうか。 他人事には思えないんです。 それは賞味期限が云々ということじゃなくて、 3000個もの商品を5
一昨日、昨日とお店でイベントをしていました。 ちっちゃなマルシェイベント。 お店の前にテーブルを出して、1日目はフードを、2日目はハンドメイドのアクセサリーを売りました。 店内ではお弁当を販売したり、占いやワークショップをしたり。 集客力もお金もない私がやるイベントなので、告知のポスターも手作り、本当にこじんまりとしていてお客様のメインはお店の日頃からのお客様や出店者のご友人が多かったけれど、それでも店頭の販売エリアはインスタのストーリー見てきたよとか、自転車で通りが
企業に勤めている方には、会社の理念と言うものがあって、それが社会貢献に繋がっているのだろうけれど、 小さなカフェをやっている私ができている社会貢献って何だろう。 「居心地の良い場所」を提供することが社会貢献なんだろうか。 お勤めしている時、経理畑で、いわば「会社の中」を支える側に回っていたから、自分の仕事が社会貢献に繋がっていると感じたことが正直ないし、その感覚が今まで続いている。 だからなんだろうか、 60を前にして「社会貢献」がしたいと思うようになったのは。 どん
トイレに行っている時 お風呂に入っている時 自転車を漕いで出勤している時 に限って、noteに書けそうなネタが思い浮かぶのは何故だろう。 出だしの文章まで思い浮かぶのに、部屋に戻ったり、店に着いたりした途端に綺麗さっぱり忘れている。 私の先輩は、大切なことを思い出したらそれを忘れないように枕元にメモを置いているって言ってたし、常連の社長様も常に胸ポケットにメモとペンを持っている。 でも、私の場合、たいてい「書けない」時に思い浮かんじゃうんだよなあ。 通勤途中なら自転車止
こんにちは。みるださんです。 一時期「Giver」と「Taker」に関する本を読んでいた時があって、 その時私は自分はGiverにはなれないんじゃないかと思っていました。 誰かに何かをしてあげたい気持ちはあるけれど、自営をしている限り 「お金」がつきまとうのであって、何でも無償でやるわけには行かないし、ダンピングするわけにもいかない。 先日のnoteでも書いたけれど、コーヒー一杯で1時間も滞在されたらたまったもんじゃないけど、それを許容するのがGiverなんだろうか。
こんにちは、みるださんです。 今日は偏見にまみれていると承知の上で本音を書きます。 私はよくカフェで催される「お茶会」「ランチ会」がキライです。 嫌いどころか大嫌いです。 お茶会を催す方の多くが、その先に高額なバックエンドを持っていて、 いわば「お茶」「ランチ」という場で見込み客を教育しているようなもの。 自分の商品は高いお金で売るくせに、使っているカフェという場所にはドリンク一杯分しか払わない、1000円のランチ代しか払わない(それも大抵が参加者負担)そして長時間滞
こんにちは、みるださんです。 来年から、私は営業の拠点を移そうとしています。 今は夫と娘、姑と同居する関西で店舗を経営していますが、年明けから準備を始め、春には実母のいる九州で経営をする予定です。 なぜそうしようと思ったかというと、実母が一人になったからです。 一人になったと言っても、特段認知症になったというわけではありません。 それに妹家族も近くに住んでいます。 けれど、本人は慣れているつもりの運転は荒いし、家の中は要らないものがいっぱいだし、一人だから食べるものも
世の中には「察して欲しい」と相手が察してくれるまで待つタイプと、きちんと伝えて分かってもらおうとするタイプがあるそうで、私は100%前者です。 「伝えて分かってもらおう」とすると、途中で感情的になってしまうし、語彙が少なくて機微が伝えられないし、伝えて相手に伝わらなかったときの落胆が酷いです。 そんな私が今やっているカフェは 「時間制」です。 料金は滞在時間によって変わり、その間はドリンクはフリーオーダーです。(と言っても、機械でボタン押して出てくるやつじゃなくて、きちん
2015年にカフェを開業し、今年で9年目を迎えました。 開業当時49歳だった私はもうすぐ58歳に。 大学生だった長女は結婚し、次女も来年自活したいと言うようになりました。 時の流れは本当に早いですよね。 「いつかはカフェを」と漠然と抱いていた夢を勢いでオープンしてみたはいいものの、苦難や失敗の連続、それでもカフェオーナーとしての生活はすっかり私の一部になりました。 今の私にはカフェオーナー以外の道は考えられないし、お店を通して誰かの役に立ちたいという気持ちにも変わり
こんにちは。みるださんです。 飲食店の廃業率って3年以内が7割、10年続けているのは全体の1割と言われているけれど、個人店に至ってはそうでもないのかなという気が最近しています。 手厚い補助があったからかもしれないけれど、コロナ禍でも駅前の個人の飲食店さんって殆ど潰れなかったし、むしろしんどかったのはチェーン店の方のようにも見受けられました。 次から次にお店が変わっているのも大きいところだし(これは外から見たら潰れているだけど、やっている側からしたら折り込み済みのような気も
こんにちは、みるださんです。 父の葬儀の際、涙はこんなにも出るのかと思うほど止まらず、 一年ほどはふとした瞬間にその日のことが思い出されてまた涙が止まらなくなって、通勤の自転車を泣きながら漕いだりしていたのですが、 実はそこまでいうほど私は父と上手くやっていたわけではありませんでした。 むしろ高校生の時は日記に父のことを「死ね」と書いていたし、 勉強をがんばったのも、なるべく遠くの大学へ行くため。 初めて関門海峡を渡った時、 「二度と帰ってくるもんか」と思っていました。
こんにちは、みるださんです。 今までの自己紹介はこちら⇓⇓ 突然父が亡くなったため、現実として受け止められない母のことも気になり、また様々な事務手続きもあるのにGWに突入することから、 私はお店の営業を3週間ほど休むことにしました。 とはいえ、3週間休業はは営業的には正直きつい…(その前にも1か月休んでるしね) しかも突然休んでいるのでお客様に説明もできていない… 困った私は「未来チケット」という前払いのチケットを販売することにしました。 今置かれている状況も正直に載
こんにちは。みるださんです。 「なぜカフェを開業したのか」と問われたら、 もちろん憧れもありましたが、 荒れていた家庭生活から逃げたかったのと 「自分という人間を認めて欲しかった」気持ちがありました。 承認欲求、強すぎたかもしれません。 動く駒の一つとしてしか見てもらえない会社での立ち位置への不満。 そして、娘が生まれた後も産休だけを取って仕事に復帰し、「仕事と家事と育児を両立している私」は家族からは当たり前で、 何からも誰からも自分の努力を認めてもらえてはいないという
こんにちは。みるださんです。 私は現在アラカンで、 今までのカフェ経営や、これからやろうとしている事業のことを考えた時、 自分が生きてきた過程を振り返り向き合うのは大切なことなのではと思ったし、私の記事を読んでくださる方への「私」という人間をちょっと知ってほしいとの思いから 今更ながら自己紹介を書いています。 なんせ60年近く生きてきたので自己紹介も長いです(笑) 初回はこちら⇓ 若い時の夢が宝くじが当たらないとやれないことが分かった私は、フツーに就職した会社で、当時か
2年もお休みしていたので、今更ながら自己紹介をしようかなと思います。 お店を始めて8年が過ぎました。 私自身はアラカンです。 なぜカフェを開業したかというと、 大学時代(40年前)にアルバイトしていた2つのお店(一つは純喫茶、もう一つは今考えるとカフェと言われる場所のはしりだったかもしれません)の仕事を通して 単に憧れたからです。 純喫茶の方は、梅田という場所柄、業界の人が打ち合わせに来たり、近くのホテルマンが休憩に使うようなお店でした。 ホテルマンは10分そこそこの休