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やりたかった仕事が今もやりたい仕事か問題

知っている人は知っている、2006年のノーベル平和賞受賞者「ムハマド・ユヌス博士」および彼が創設した「グラミン銀行」。
当時そのニュースをフリーペーパーR25で目にした私は、そのA5サイズ程度の記事で、大学の研究テーマ、そして結局は大学院の研究テーマまでを「マイクロファイナンス」(当時はまず「マイクロクレジット」のみが主流)に決めてしまった。

今思えば、すごいな、と思う。そして、ぜひあの記事を書いた方に会ってお礼を言いたい。(が、あいにく記事を切り取ったものを紛失…泣)

そんなきっかけとなった、グラミンが昨日ついにグラミン日本として、日本にもやってきた。これまでにもユニクロや雪国まいたけとグラミンが会社を立ち上げたりすることはあっても、あくまでグラミンの本拠地バングラデシュでの事業。

それがついに、日本で日本の人のための事業としてスタートした。
しかも代表を務めるのは、自身が大学院生の頃インターン先でのセミナーに講師としてもお招きしたことのある菅正広さん。

※以降、特にグラミン日本の事業については今回は触れない。ので、興味がある方は是非、グラミン日本のサイトや検索の上ご参照ください。
ちなみに昨年の秋に現在はWebで展開されている新R25にも日本進出にあたり再びマイクロファイナンスおよびグラミン銀行が登場していました。

さて、タイトルの話に戻すと。
大学3年時にリーマンショックを迎え、就職氷河期に直面した私は、やれること、やりたいことを考え、機会にも恵まれ、大学院へと進学。

自身も何かしらマイクロファイナンスに関わりたい、とインターンをしたり、研究をしたり、マイクロファイナンスの(当時の?今も?)先進地バングラデシュに赴き、グラミンをはじめ様々なマイクロファイナンス機関を訪問、ヒアリング。

その後、東日本大震災が発災したこともあり、限られた環境下での機会創出や拡大の手段として日本でのマイクロファイナンスの応用・展開についても、少なからず考えた。

が、卒業後マイクロファイナンスの世界からはずいぶんと遠のき10年弱が経つ。そんな今日のグラミン日本スタートのニュース。正直にいうと、ちょっとだけ心がソワっとした。

あのまま研究をしたり、どこかの国でマイクロファイナンス機関に携わっていたとして、自身が日本でマイクロファイナンスを立ち上げたり、バングラデシュのBOPビジネス(この単語、何気に好きではないのですが)に携わったり、日本での展開をしていたかというとそんなこともない気もする。

今の暮らし、仕事に後悔はない。
けれども、かつて時間と想いを費やした動きが自分の国にやってきたこのタイミングで関われていない、なんならあまり把握できていない状況に、ちょっとだけ寂しさ、くやしさを覚えたのかもしれない。

バングラデシュに始まり、その名を世界にとどろかせたグラミン銀行、マイクロファイナンス。ノーベル平和賞から12年の時を経て、日本でどのような未来をつくっていくのか。日本の貧困が日々より問題視される中、日本の貧困が博物館に入る日は来るのか。とりあえずは追っていきたい。そして、何か関われる日が来たら、またそのフィールドに関わってみたいという想いもあることを備忘録まで。

インパクトが大きくなればなるほど、賛否両論あるマイクロファイナンス、そしてグラミン。でも、少なからずマイクロファイナンスという仕組みを通じて、こんな笑顔の女性たちが自分の暮らし、人生をそれに出会う前より豊かにして頑張っていることを、改めて心に留めてその可能性を見ていきたいと思います。

グラミン:バングラデシュの言葉ベンガル語で「村」の意。
大きくなっても、広がっても、村の銀行であった当初の想いが受け継がれますように。

二拠点生活にトライアル中。 各地域のこと、暮らし方のこと拙い文章ですが発信したいなと思います。サポートは移動費のカンパとして活用させていただきます。