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私がアメリカ美術大学院で2年間向き合って書いた母娘関係についての卒論と作品紹介 第3話

ありがたいことに第1話が「note 創作大賞 2023」中間選考に選ばれ、続きを書くのにまたしばらくたってしまったことに気がつき、やっと第3話を書いています。

この記事は今年5月にアメリカ美術大学院を卒業する際に製作した卒論 (Master's Statement)、「Girl Good Good Miku」の内容を和訳して少しずつ紹介をしています。第1話、2話も一緒に読んでいただけると嬉しいです。

前回まで、斎藤環氏による母親からの娘の支配の代表的な形態:「献身」「抑圧」「同一化」に沿って、「献身」と「抑圧」について話しました。

第3話では、第3章「同一化」と第4章「Be in Control ー主導権を持つ」を紹介していきます。


第3章 同一化

Mothers Become Daughters, Daughters Become Mothers

母親と娘は経済的にも精神的にも依存しており、お互いを支え合う傾向があります。世間では友達のような関係を築いている「仲の良い」母と娘が見られることが多いと思います。 しかし、臨床的にはそれは共依存の問題とみなされています。

娘がすでに母親と一体化している場合、母親を否定することは娘にとって自分自身を否定することと同じことになります。

斎藤環氏は「母殺し」の難しさを『母は娘の人生を支配する』で述べています。自分の母親を「殺す」ことは自分自身を「殺す」ことになるので、娘にとってこの共依存を変えることは非常に困難だというのです。

ここまで相互依存関係が進むと「プラトニックな近親相姦」の関これは、フランスの精神分析学者キャロリーヌ エリアシェフとナタリー エニックヒによる『だから母と娘はずかしい』で使われる用語です。近親相姦という言葉が使われるのは衝撃的です。 プラトニック近親相姦とは「性行為を伴わない近親者間の近親相姦」を指します。(近親相姦の 3 つのタイプのうちの 1 つです。他の 2 つは、親族間の近親相姦と、同じパートナーを持つ親族間の性行為です。)

より一般的に日本では「一卵性母娘」と呼ばれていると思います。

作品1: My Twin

My Twinは、スクリーンプリントされた2枚1組のアルミ板で構成される。幼少期に撮ったハローキティの双子であるミミィ(大多数の人がその在を知らない)と私の写真、私の母の写真とのコラージュをスクリーンプリントした作品です。コラージュはとミミィと私の間で2つに分かれているが、母の写真は私と同じ側に寄り添っている。娘の自立には物理的な距離とは関係なく、批判者として娘の頭の中に存在するインナーマザー(内なる母)を切り離さない限り困難である。作品を通して、バウンダリーがなく過剰に依存し合う「一卵性母娘」の関係における娘の自立の難しさを探ります。

先ほども述べたように、母と娘の密着関係は物理的以上に心理的に絡み合い、独特の親密さが自立を妨げます。 斉藤氏は、『母親が娘の人生を支配する―なぜ「母殺し」は難しいのか』の中で、日本の心理学者高石宏一氏の言葉を引用して、娘がこの葛藤を克服することの難しさを強調しています。 高石氏は、「女性の『自立』とは、母親から離れてパートナーと暮らしながら、母の娘として母親の世話をするために時々家に帰ることである」と述べています。 第三者は適切な境界線を作ることで関係を改善することがよくありますが、それは完全な解決策ではありません。 絶望的に聞こえるかもしれないが、たとえ家出、結婚、留学などで母親から物理的に離れたとしても(私自身の実例)、娘は結局圧倒的な罪悪感を感じてしまいます。

『ラプンツェル』では、再び(第2話)自立することに対する娘の罪悪感がよく描かれています。 ラプンツェルが葛藤を乗り越え、ユージーン(三人称)の助けを借りて再び塔を出る決心をしたとき、彼女は次のような経験をします。
自分自身の中で起きた小さな「戦争」:これまでにないほど自由になれるという興奮と、自分の行動が母親の気持ちを打ち砕いて傷つけるかもしれないという恐怖と罪悪感です。

私はまるで自分自身を見ているようだと思いました。この気持ちを乗り越えるのがいかに大変か私は痛感しています。

ユージーンはラプンツェルを励まし、自分の願いを達成するために母親の願いに反することも成長の一部であり健康でさえあると示唆しました。その言葉はラプンツェルと同じくらい私にも響きました。

作品2: Untitled

Untitledは、長い真鍮の棒と積み上げられたおもりの 2 つの重要な要素で構成されるインスタレーション作品です。 棒は壁に対して湾曲していて、何も止められなければ自然に滑り落ちます。積み上げられたおもりは棒の先端に置かれています。 この 2 つの要素は、それぞれが期待される役割を果たしながらも、互いに影響を与えながら絶妙なバランスを保っています。 同時にちょっとした動きで今にも崩れてしまいそうな雰囲気もあります。高石氏が主張するように、女性の「自立」とは共生と共存の微妙なバランスの問題なのかもしれない。この作品は、断ち切るのではなくバランスをとることによってのみ管理できる共依存の母と娘の関係を呼び起こします。

第4章 Be in Control ー主導権を持つ


自立とは、感情的に重要な問題に関して自分自身を明確に定義することを意味しますが、感情的な距離を意味するものではない。

Harriet Goldhor Lerner,PhD 『The Dance of ANGER』

これは現在進行中の私自身の中の葛藤であるため、problem identifying practice(問題を特定するプロセス) が進むにつれて私の作品も変化してきました。

私はまだ母娘関係に影響を受けている自分自身についての作品を制作していますが、パワーバランスが少し変わってきていると感じています。

具体的には、ただ私が経験している母娘関係を単純に視覚化する活動から、自分自身の感じている窮屈さ、罪悪感、そして理想の関係を視覚化する活動
に変化していることに気づきました。

私にとって作品を制作することは、母親に面と向かって自分の気持ちを話すことにまだ抵抗がある中で、自分で決定を下し、リスクを冒して学び、コントロールを維持できる安全な場所です。私の実践の目的はこの最も親密な関係の中で独立した自己を定義し維持することです。

諦めるのではなく、新たに再挑戦することを繰り返す治療活動を探求、とても価値があり、断ち切ることのできない親密な愛を維持することを目的としています。

作品3: Soft Chain 

Soft Chainは2人用のチェーンで私からの他者への願望を具現化する。細くて壊れやすい真鍮ワイヤーでできたこの作品は、可塑性があり、
引っ張ると簡単に形が崩れてしまいます。2人が身に着け、適切な距離を保てている場合は、二人の間に繊細かつ平和なつながりを象徴する。はん
だ付けされた全ての接続点は、通常と違い酸化し黒くなった部分を綺麗にせずそのまま残されています。これは、2人の複雑でありながら親密
な関係を維持するための作業プロセスのリアリティーを表現し、その尊重の重要性を強調しています。


作品4: Girl Good

Girl Goodに「母親」は登場しませんが、私の実践は依然として母親との関係によって動機づけられています。

はかり、滑車、土嚢から成るインスタレーションです。 はかりは質量の異なる素材で作られた3つの錘で絶妙にバランスが取れており、わずかな変化
でバランスが崩れてしまう。バランスを保てても地面の土嚢を動かせばはかりは滑車からすべり落ちる。複数の要素がバランスを保つために必
要な密着関係を探る。錘を形成する銅の黒い箱は日々の関係から感じている負担で、日々増えていくものであるが位置は恒久的です。釣り合い
を調整するためには反対側の2つの錘で調整することが必要です。常に変わる条件の中で健全なバランスを維持する事に追われながらも、いか
に自己(selfhood)を守り、自立をしようとする娘の労力を具現化します。

タイトルの「Girl Good」は、漢字の「娘」が由来します。「娘」は女の子(女)と良(良)からなる文字で、 私の興味は、この漢字の成り立ちが娘に対する善良で責任感のある女の子としての社会的期待をどのように描いているかに興味をそそられました。 私は高石氏の女性の「自立」の定義にある程度同意しますが、それが必ずしも私が自我を持つことを放棄したり、娘として社会が求める良い子であり続けることを意味するとは思いません。

エピローグ

大学院入学当時は、まさか私が罪悪感を感じながらも母娘の関係に取り組んだり、このテーマについて研究をしたりすることになるとは一切予想もしていませんでした。

制作を通して私は、問題に名前を付け、問題の存在を認めることの力を体験しました。 フラストレーションの原因を明確に特定できれば、人間関係や個人としての自分の願望を知ることができます。 問題を認識すると、私の正体不明の怒りは自己主張に発展しました。私が参照したすべての参考に記載されているように、この問題には単純な解決策はありません。 健全な境界線を維持しながら親密な関係において分離を維持することは、生涯にわたる戦いになる可能性があります。母親からの独立を宣言することは感情的な距離を意味するものではないことを私は常に自分に言い聞かせています。 それはまさに、「自分自身」になるためのプロセスです。

そうは言っても、これだけのことを口で言うのは簡単です。そして、これだけ時間をかけて2年間向き合ってきたにも関わらず自分の気持ちや制作について母親に面と向かって話すのはまだ気が弱く、自信がないことを私は認めなければなりません。 研究と実践は私にとって最も安全な場所であり、自分自身を理解するのに役立ちました。 私のアーティストステートメントやこの卒論を書いている過程でも、たくさんの引用や心理的事実で自分の立場を裏付けている現状は、いまだに自分の意見が十分に有効ではないかのように時に感じてしまう自身の自信のなさを表しています。この困難でそれでも魅力的な関係は今後も私の思考を占拠し、私は引き続きそれを探求し続けるでしょう。


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