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他所はよそ、うちはウチ。

  今回は親の話を書こうと思います。少し長くなります。
AVやってるとたまーに聞かれます。
「AVやってる事、親は知ってるの?」
はい、親は知ってます。でも認めてません。
もっと正確に言うと、父親は容認しており、母親は断固として認めてはくれません。認めない方が当たり前というか…応援してくれる親御さんの方が珍しいとは思います。中には両親共に反対していて、孤立している女優さんもいらっしゃるでしょう。私はまだ父親から応援して貰えているだけましです。恵まれている方です。
そして私は半分家出状態です。こちらも正確にいうと、父親の元には帰れますが(とはいえもう5年以上帰ってないけどw)、母親とは全く連絡を絶っている状態です。
人によってはそんなの親不孝だとか、親の気持ちになって考えた方がいいだとか言われるかもしれません。でもそれは当事者じゃないから言えること。
どうして私がそうしようと決断したのか、今日は少し重たくはなりますが、そんなことを書いてみようと思います。

私の両親は私が4歳の時に別居してしまい、私は母に引き取られて育ちました。別居の原因は色々あるものの、一番大きなきっかけは妹が流産したことでした。
家の中で飛びかう喧嘩の声や母の泣き声をほぼ毎日聞くのも辛かったですが、3人で暮らせなくなったこと、仲良くしていた幼稚園のお友達と離れ離れになってしまうこともとても辛かった。
たまに父親を交えて3人で月に一度ご飯に行くことがありました。でも、母親の機嫌はすこぶる悪かったし、父親のところに私が取られてしまうんじゃないかと母に常に手を強く握られていたのが私には苦痛でした。次第に母親の言葉を通して思い込むようになったのは、私の妹が死んだのは父のせいで、私はそんな父のことが嫌いということ。教育とは、洗脳とは怖いものですね。

昔から母は厳しかったです。厳しいエピソードは色々ありますが、よく話をしてびっくりされたエピソード例としては、
・暗くなる前に家に帰りなさい。毎日メールしなさい。
基本夜18時には帰宅しないと怒られたし、遅くなってもいいかと許可を取ったにも関わらず、その日帰ってきたら懇々と「こんな遅くまで…」と文句を言われました。一人暮らしの時期も少しあったけど、必ず20時に一日の報告メールを送るように言われていました。生存確認だそうな。
・女子会でもお泊り会に行くの禁止。
中3の時に歩いて10分のお友達のおうちでのお泊り会に誘われたけど、お泊り会は自分で家賃が払える年齢になってからじゃないといけないという当時は全く理解不能な理由で禁止されていた。
・彼氏を作るときは結婚を前提に選びなさい。
小1の時に好きになったAくんは一人っ子だからだめ!小3の時に好きになったBくんは長男だから好きになってはだめ!
「お母さんはCくんがベストだと思う!次男だし、両親教師でCくんも頭いいからきっと将来もちゃんとしてるし!」いやいや…小学生やぞ。普通に人を好きになってはいけないのですか?笑
でも、洗脳されてたようで、中学の時に彼氏ができそうだったのに、「この人と結婚していいのだろうか?長男だし、成績もよくないし…」で振ってしまったんですよ。あー、もったいないことしてる。

といったところですが、これが20歳超えた時でもこのルールだったのでなかなか辛いものでした。もう少し緩くしてほしいと頼んだこともありました。でも、口癖は他所はよそ、うちはウチ。あと、自然とそれが当たり前になってくんですよ。これが不思議で怖いところ。
とはいえ、社会にでてから良かったと思うこともあります。
挨拶をきちんとしなさい、お礼や謝罪の言葉はちゃんと言いなさい、靴をそろえなさい、お金の管理をきちんとしなさいといった基本のキは口すっぱく言われてきたし、ちょっとした生活の知恵や社会的常識なんかも母は人より詳しいほうだったので、ちゃんと育ててもらったなとは思います。
自分でいうのもなんですが周りの同世代や業界の子の中では結構しっかりしているほうだと思います。よく目上の方からもしっかりしていると褒められます。なんやかんやで今の私があるのは母親のおかげです。
そんな厳しい母親と長い間暮らしていましたが、私にとある転機が訪れます。
それはもちろんAV女優になるために上京することを決めたこと。
AV女優になるきっかけとかのお話はこちらに書いているので、まだの方は読んでもらえたらと思います。

記事にも書いている通りめちゃくちゃに反対されました。前述している通り、母親はとても厳しい人です。AV女優になりたいです!って言って、「わかった!頑張ってね!」なんてことにはなりません。
小さい頃からクレヨンしんちゃんは見させてもらえませんでした。当時流行っていたお笑い番組も見させてもらえませんでした。ラブシーンのあるドラマはそのシーンになった瞬間にチャンネルを変えられました。マスカッツを録画してみていることが見つかった時なんて、出ている人たちは何者なんだとか、こんな変な番組見るのやめなさいだとか言われました。でも、勝手に録画を消すことはしなかったし、ちょっとエッチなもの、例えば絡みシーンのあるBL漫画、AV女優さんのイメージビデオ、ヘアヌード写真集が家にあってもこれはなんだとは追及しては来ませんでした。少しは理解があったのかなと思われますが、さすがにAV女優になりたいというのはやはり許されなかったです。
毎日泣かれて、毎日喧嘩をしていました。うちは結構貧乏で、部屋数がなかったので母と同じ部屋で寝起きしており、朝から晩まで言い合いしたり、泣かれたりで上京までの約2か月間はそんな調子でした。
事務所の会長さんにも随分と心配をかけてしまいましたが、私も精神的に限界を迎えていたので強引ではありましたが家出することにしたわけです。

上京してしばらくは、染みついたルールに縛られていました。前述していたルール通り毎日メールを送っていました。当時はなんとか説得したいという気持ちがあったので、面倒なルールも守っていました。
時に母から電話がかかってくることもありました。決まっていつ帰ってくるのか、いつ辞めるのかという話でとても辛かったです。上京してから半年はそんな調子でした。その頃から母の代わりに父とよく連絡をとるようになりました。
父は、自分のやりたいことをできずに実家に縛られていたタイプだったので、娘にはやりたいことをやらせてやりたいと応援してくれていた味方だったからです。出張で東京に来ているときはご飯に行ったり、相談事があれば連絡したりしていました。
母のメールの件で相談した際、さらっと言われました。
「着信拒否にしてメールアドレス変えたらいいよ。」
結構冷たい言葉な気もします。とても簡単なことだけど今までできなかった私の背中を押してくれた一言でした。

すべて絶ったその日から私は解放されました。すごく生きやすくなりました。
今日もメールをしなくちゃ、電話がかかってきたら嫌だなぁ…そんな鬱々とした感情から解放されました。
もちろん時折心配になることもあります。でも、また連絡を取りだしたらあの縛られる日々に逆戻りするのは怖くてできませんでした。
父に少し心配だと話すと、「本当に困ったり何かあれば父さんのところに連絡が来るんだから、心配しなくてもいい。」と言われ、少し気が楽になりました。
あれから約5年。いまだに連絡は絶っています。
たまに心配に思うこともあります。でも人の適正な距離感は人それぞれなのです。それが親であってもです。
自分の人生や考えかた、生き方が悪い方に向くものとは距離をとらなければ私が死んでしまう。
自分を大切にした生き方を私はしていきたい。そう思っての今です。
人の価値観や考え方を変えることは難しいです。本当は母も今では理解してくれていて、あの時反対したことを後悔していたりするのかもしれません。でも、それはあくまでも私の期待でしかありませんし、昔から私に仕送りを要求してきたりして金銭的に依存していた部分もあったので、親といえども連絡を取ることを再開することが正解とも思えず、現在は父とだけ連絡をとるようにしています。
父の言う通り、何かあれば連絡は必ず入ってくるはずですし、私は私の人生を、私自身を、今現在を大切にしていきたい。
父なんて、「たまに連絡してくればいいよ。連絡がなければ連絡する必要なく元気でやってるんだと思うし。」と言ってくれます。
とても気が楽です。私はこの選択に後ろめたさはありません。
色んな意見があって、親の気持ちがわかってないとかなんとか言われるかもしれません。でもこれが私の選んだ親との関わり方なのです。
他所はよそ、うちはウチなのです。

私は母に似て心配性です。感情的です。頑固です。そういうところに気付く瞬間は母に似ていて嫌だな。やっぱり血がつながってるんだなと思わされてすごく悲しくなります。
でも今のちゃんとしてると評価を受ける自分がいるのは間違いなく母のおかげ。
そして、こうして生を受けているのも母のおかげ。
感謝をしながらこれから一生懸命しあわせに生きたいな。

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