みこと心理臨床処

2021年5月開業。臨床心理士&公認心理師によるカウンセリングルーム(三軒茶屋…

みこと心理臨床処

2021年5月開業。臨床心理士&公認心理師によるカウンセリングルーム(三軒茶屋)。カウンセリング・WAIS-Ⅳを行っています。詳細は、下記、HPまで。 こちらでは不定期でコラムを発行します。 HP:https://mikoto-kokoro.com

マガジン

  • 心たちのすることは

    心理職による連載コラム第3弾。 更新は毎週月曜日です。 私たちは、どうやって自分の心と向き合い、付き合いながら、生きているか。 理屈では動いてくれない私達の「心」がしていることについて、考えることが今年の私達のテーマです。

  • つれづれコラム

    みこと心理臨床処のスタッフによる、つれづれコラム。気が向いたときにだけ、心に移りゆくよしなしごとを書き綴ります。ほぼ、ひとりごと。

  • 拝啓、みこと心理臨床処 様

    2023年から始まったみことスタッフ3名によるリレー方式の往復書簡コラムです。 みこと心理臨床処の雰囲気を、皆様に、感じてもらえたらと思います。

  • 家族だって他人

    臨床心理士&公認心理師3名によるリレー形式の連載コラムです。 家族って何だろう? 家族に傷つき、家族に癒され、家族に振り回され、それでもなぜか期待し、求めてしまう。誰でも一度は家族の一員であり、家族について考えてしまう人もそうでない人にも贈る、心理学の視点で書かれたコラムです。

最近の記事

転がる心

とは有名な徒然草の書き出しだが、自分の日常には「徒然なるまま」な時間が殆どないことに、このたび気づいてしまった(苦笑) 隙間ができると、すぐに次のことを始めてしまうし、なにかの作業中にさえもスマホで音楽やポッドキャストの番組を流してしまい、「心に移りゆくよしなし事」と向き合う時間を殆ど取らないほど、情報の海に浸かって生きている。 そして気がつけば、音楽に聞き入ったり、ポッドキャストのトークに笑っていたりして、自分の思考は中断することがしょっちゅうである。一言で言えば、集中力

    • WISC-Ⅴ始めました

      待ってました! というあなたにも、WISC-Ⅴってなに?というあなたにも、少しお話させてください。   WISC-Ⅴとは、ウェクスラー式の子ども向け知能検査のことで、5歳から16歳の子どもの知能を測ることが出来る検査です。 これまでみこと心理臨床処では、成人向けの知能検査であるWAIS-Ⅳしか取り扱いがなかったのですが、この度子ども向けの検査であるWISC‐Ⅴを導入しました。しかも最新版のⅤ。   WISC-Ⅴはどんなときに使うのかというと、子どもの認知特性を知りたいときに、

      • 眠れない朝にサヨナラ

         夜になったら眠る。眠くなったら眠る。このように、非常にシンプルに眠れれば楽なことこの上無いと思うのですが、眠るというのは、簡単なようで難しいこともあり、なかなか厄介な代物です。 身体や脳を休めるために「眠り」というものはあり、それなら疲れれば眠れるはずなのですが、疲れすぎるとこれまた、眠れないこともあるという難しさ。 人は眠らないと生きていけない訳ですが、気が立っていたり、考え事が頭から離れなかったり、次の日の楽しみに心が躍っていたり、気持ちが沈んでいたりと、心の中がざわざ

        • 心の宿るところ

          先日、今年度の大学での講義が全て終わった。私の講義は自分で言うのも何だがそこそこ特殊で、学生たちに正解を与えない。正解と正解のぶつかり合いがこの世界を構成している、と担当講師(つまり私)が考えているからだ。 人の心に万人共通の法則や正解があるのなら心理学などいらない。よってノーベル文学賞はあってもノーベル心理学賞は絶対にないと私は思っている。葛藤こそが人生であり、心ではないだろうか。 という講師の暴論のもと、毎度毎度、正解のない問いに挑まされた学生たちは少々気の毒ではある

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        記事

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          こころと私と、私のこころ

          例えば、カウンセリング室での一幕として、こんなやりとりがあります。   クライアントのAさんが、「これこれ、こういうことがあって、その時、自分はこう思っている、ということに気がついたんです。」と嬉しそうにおっしゃるので、私も一緒に嬉しくなって「それは新しい発見ですね」と返します。するとAさんは、さらに自分の感じ方や、考え方について、話し続け、新たな自分を発見していきました。   また、クライアントのBさんは、未来の選択肢の◯◯か☓☓のどちらを選ぼうかと悩んでいて、「条件を整理

          こころと私と、私のこころ

          心は裏腹なんて言わないで

          と 歌ったのは竹内まりやですが、これって本当なのでしょうか。まあ、そういうときもあるよね、とは思うのですが、いつもってことはないでしょう、というのがまずひとつ。それから、言葉と裏腹なのは女心だけなのか、というのがふたつめの疑義です。男心は裏腹じゃなくて、いつも直球なのだろうか? だとしたら男という生き物はあまりにも単純すぎないですか?   おっと、別に歌詞に文句をつけたいわけではないのです。この歌の詞のように、女心はいつも言葉と裏腹、つまり女性は本音を言わないものだ、という価

          心は裏腹なんて言わないで

          心は口ほどにものを言うか

          心というのは面白いもので、姿かたちは見えないのにあると分かる。不思議なものですね。その心をどうにかして見ようとすると、それは他の媒体を使って表す(表される)ことになります。 一つは、よく心と対になるものとして言われる「身体」です。身体の感覚や顔の表情などを通して、私たちは心を表層化します。しかし、それも案外単純にはいかず、涙が出て泣いていれば必ずしも「悲しい」ばかりではありません。悔しくても涙が出るし、嬉しくても涙が出ることがある。胸が締め付けられるように「苦しい」場合でも、

          心は口ほどにものを言うか

          『心たちのすることは』~プロローグ~

          新しいシリーズコラムの第1回目ですね。   私たちひとりひとりが持っている「心」。同じ出来事に遭遇しても、心の動きはひとりひとり異なります。   「頭では分かっているのに、心がついていかない。」そんな思いをしたのは、1度や2度ではないはずです。理屈では動いてくれない私達の「心」がしていることについて、考えることが今年の私達のテーマです。   さて、コラムの第1回を書くに当たって、みなさんと共有したい詩が一編あります。 読むたびに、私の心はヒリヒリと痛みます。茨木の言う「感受

          『心たちのすることは』~プロローグ~

          新年のご挨拶

          皆様、明けましておめでとうございます。 みこと心理臨床処も今年で4年目になります。 少しずつ、ご予約が増え、三軒茶屋でのカウンセリングも馴染んできたように思います。 昨年は10月から4回シリーズでの専門家向けの研修を始め、今月で最後の回を実施します。 また、5月頃に、新たな研修も予定しております。 少しずつ、私たち、みことメンバー3人で出来ることを続けていけたらと思っております。 今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。 さて、話しは変わりますが、昨年1年間続け

          こころってなんだ?

          「心とはなんぞや」とは、また大きな問をぶつけてきましたね。   見ることも、触ることも、質量を測ることも出来ない、つまり存在を科学的に証明することが出来ない「心」というものを、在ると仮定して、測り、分析し、学問にしよう、という、心理学の始まりからして、「心」とは明確に定義が出来ないものです。(操作的定義は色々とあるでしょうが)   けれど、我々は「心」の存在を、難なく信じることが出来ます。それは、「心」は痛んだり、高鳴ったり、弾んだり、張り裂けたり、晴れたり、沈んだり・・・ 

          こころってなんだ?

          心とはなんぞや

          優しさの定義は難しいですねえ。私はあまり優しいと言われたことがないのできっと優しい人ではないのでしょう。そもそも優しさの優の字の字源を調べてみると、「憂」える「人」のことらしいので、こちらは当てはまっているかもしれません。 そう考えるとカウンセラーは憂える人であり、その姿勢やあり方が優しさゆえによるものと一般的に誤解されがちなのもなるほど、と思います。優しさがスキルになったり優しさでスキルが身についたりするならこんなに楽そうでシンプルなことはないですよねえ。 実は優しさを

          師走の忙しなさ

           今週で12月も半ばに突入します。早いものですね。 今年は、暖冬というのか異常気象というのか、いまだに関東では暖かい日も多くて、12月と言われてもなかなか実感が湧きません。 街には、イルミネーションが灯り、クリスマスツリーも飾られているのですが…。 やはり12月の冬空には、キンっと冷えるような冷たい空気が似合います。その空気を朝に夕に感じてこそ、年の瀬だなという空気を実感できていたのだなぁと、今になると思えます。 何とはなく、日々も年末に向けて忙しくなっていき、気持ち

          優しさの味

          前回のコラムで「優しさ」ってなんだろう?とありましたが、これは、ありふれているのに、難しい問ですよね。   私の中で「優しい人」のモデルは、子どもの頃から「風の谷のナウシカ」の主人公のナウシカでした。そのせいか、私の中で優しさはいつも強さとセットでしたね。人に優しくあるためには、強くなければいけない、みたいな。   「優しい」を辞書で引くと、①姿・様子などが優美である ②他人に対して思いやりがあり、情が細やかである ③性質が素直でしとやかである。穏和で、好ましい感じである ④

          優しさのお届けもの

          土砂降りの雨を前に、傘を忘れてどうしようかと思案している時に、後ろから来て傘を貸してくれるわけではなく、   「私たちも忘れちゃった! どうするかねぇ?」   と、笑いながら空を見上げるそんなイメージが、お二人のお手紙コラムを読んでいて浮かんできました。   そこから、一緒に雨宿りをするもよし、どこかのカフェでお茶をするもよし。もしくは、土砂降りの中で一緒に濡れながら帰るのもありかもしれません。途中の帰り道で、別々になってしまったとしても、きっと一人になった時、その時の様子を

          優しさのお届けもの

          後ろめたくて寂しい日

          友がみなわれよりえらく見える日よ・・・   ええ、ええ、私にも覚えがあります。同窓の友人たちが仕事でどんどん活躍したり、海外に留学したりしていく中、自分は・・・ と。   自分が怠けているように感じるとき、他人のほうが自分よりずっと頑張っていると思うときも、恥ずかしくて頑張っている人の前に出られないような気持ちになりますね。   私は、自分の子ども達が小さいとき、育児と家事で手いっぱいで、社会で活躍する友人たちと比べて「なんでもない」自分が、かなり、後ろめたくて寂しかったです

          後ろめたくて寂しい日

          友がみなわれよりえらく見ゆる日は

          表題は という石川啄木の有名な歌の上の句を少々変えてみたものです。こうしてほんの少しでも変えてみると、啄木の歌の才能と、彼が抱えた痛いほどの孤独がありありと伝わって来ますが、それはさておき。  どうして自分だけ、という思いがもたらすものは本当に多岐にわたります。  そんな時は自分というものが卑小に見えて仕方なく、新しいものに手を伸ばしたり新しい場所に足を踏み入れたりといったことは難しくなるような気がします。  自分がそんな場所やものにふさわしいと思えなくなるから。

          友がみなわれよりえらく見ゆる日は