みこと心理臨床処
心理職による連載コラム第3弾。 更新は毎週月曜日です。 私たちは、どうやって自分の心と向き合い、付き合いながら、生きているか。 理屈では動いてくれない私達の「心」がしていることについて、考えることが今年の私達のテーマです。
みこと心理臨床処のスタッフによる、つれづれコラム。気が向いたときにだけ、心に移りゆくよしなしごとを書き綴ります。ほぼ、ひとりごと。
2023年から始まったみことスタッフ3名によるリレー方式の往復書簡コラムです。 みこと心理臨床処の雰囲気を、皆様に、感じてもらえたらと思います。
臨床心理士&公認心理師3名によるリレー形式の連載コラムです。 家族って何だろう? 家族に傷つき、家族に癒され、家族に振り回され、それでもなぜか期待し、求めてしまう。誰でも一度は家族の一員であり、家族について考えてしまう人もそうでない人にも贈る、心理学の視点で書かれたコラムです。
皆さんは、「マインドフルネス」というのをご存じでしょうか? ここ10年ほどで、日本でも流行りだし、心理臨床の世界でもメジャーな概念になりつつあるものです。 マインドフルネスな体験とか、五感を使って今、ここにあるものを感じることで気付きを得るとか、呼吸法や瞑想、マインドフルネスの入り口になるようなワークなどなど、部分的なものは、私も知っています。しかし、改めて、マインドフルネスって何? どういうこと? と問われると、そこまでしっかりとした回答が出来ません。その時々の瞬間的
毎日生きていると、良いこともあれば悪いこともある。 眠れば次の日には元気になっていることもあるけれど、どうにもざわざわとしてしまって眠れない時や、いつまでも何か落ち着かないこともある。そんな時には、どうしたら良いか。 その心の荒れた海原に、舟を出して真正面から立ち向かうよりも、温かな光がさす方へ、まったく違った地面を歩くというのも良いんじゃないだろうか。 うつなどの心の病気になった時は、病気の症状として色々と悲観的なことを考えやすく、判断力も低下しているので大きな決
我々カウンセラーには、昔から強力な仲間がいる。それは何かというと、時間である。 時間は色々なものを風化させる。心の傷も、心そのものも、だ。味方につければこんなに心強い存在はない。時間がたてばわだかまりがほどけたり、こんがらがった心の糸が緩んでいったりすることもある。だから昔から我々は、時間が持つ治療的効果を時ぐすりとか時間ぐすりと呼んできた。ある意味、人が成し得ないことをしてくれる薬である。 時薬の効能は、例えば愛しい対象との別れの痛みを軽くする時によく発揮される。
子どもの頃は、絶対に飲まなかった野菜ジュース。何が悲しくて液体になった野菜を飲まなければいけないのか。世の中には美味しい果物のジュースがたくさんあるのに、よりによって野菜ジュース? うえー。。。 数十年の時間が流れて、今は自分から昼食に添える、1日分の野菜が摂れるという100%野菜汁。昔ほど不味いとは思わず、ごくごく飲めるのは、味覚の変化なのか企業努力のおかげなのか分かりませんが、果物のジュースに、味では全然負けるそれを飲むのは、調理しなくても、簡単に、必要量の野菜を摂
6月と言えば、梅の季節。梅雨も、梅の雨って書くぐらいですものね。 ある時、何を思って作ろうとしたのか忘れてしまったのですが、梅シロップをほぼ毎年のように、ここ10年ほど作っています。「ほぼ」というのは、何となくスキップする年があったり、梅を買って冷凍庫に凍らせたまではいいけれど、そのまま1年過ぎてしまった年もあるからなのですが…。 梅シロップ(梅ジュース)、作り方が色々あるようですが、私の作り方は、梅のヘタを取ったら、冷凍庫で凍らせて、その後、瓶に砂糖と一緒に漬けるや
最近、真夏の暑さである。春はあったようななかったような感じで一瞬で過ぎ、これを書いている今、外は30℃である。我が家は早々にエアコンを入れた。4歳になる、我が家の暑がりの愛犬のためである。エアコンのリモコンが“ピッ”と音を立てると、それまで離れた場所にいたのにいつの間にかエアコン近くに陣取り涼風をうけて満足げにしている様子がとても可愛い。 夜などは少し冷えた床に寝転がって、私の足に体を乗せてくるのももふもふしていて可愛い。そのまま足で撫でると私の足の裏が気持ちいいし、
雨音と言えば、「ショパンの調べ」という歌のタイトルがすぐに出てきてしまう年代なのですが、今、このコラムを読んでいてご存じの方はどのくらいいらっしゃるのかなと思いつつ、このコラムを書いています。 私は、そこまでクラッシックに通じていない人間なので、ショパンを連想するとその流れで思い出すのは、ラ・カンパネラを弾くピアノ奏者のフジコ・ヘミングです。 私は、生演奏で聴いた、フジコ・ヘミングのラ・カンパネラがとても気に入っています。 他のピアノ奏者の方で、素敵なラ・カンパネ
歌というメディアが好きだ。歌うのも好きだし聴くのも好きだ。メロディラインとアレンジと、歌詞の織りなす世界観が好きだ。 歌の作り手の天才性とは何だろうか、天才とはどのようなものだろうかと考えた時、その定義はたくさんあると思うが、最近私が思うのは、恋に落ちる瞬間を描ける人のことではないかということだ。そして、今私が天才だなあと思っているアーティストは、DREAMS COME TRUEの吉田美和、米津玄師、槇原敬之の3人である。 外出時の習慣としてサブスクした音楽をあれこ
気持ちの良い初夏の日曜日。お昼前の三軒茶屋駅周辺は、見渡す限りのひと、ひと、ひと。ざわざわと絶え間なく耳に届く、人の足音、いろんな言語の話し声、遠くで聞こえる車の音。雑踏、とはまさにこの光景のことである。 私は何を間違ってこんな雑踏の中に立ち尽くしているのかと言えば、陽気につられて、お昼を外で取ろうと、カウンセリングルームから出てきてしまったせいなのだ。みことのカウンセリングルームは小さいが安全で静かなので、週末の三軒茶屋がどれだけ人で溢れているかを、私はついつい忘れてし
何かを愛でる時の気持ちというのは、良いものです。何とも幸せな気持ちになりますよね。 少し前に、何でもかんでも「かわいい」の一言で表してしまうようになったことを、語彙力が減ると危惧する風潮があったと思います。たしかに、語彙力が乏しくなるという意味では危惧される事態であったかもしれません。 しかし、私たち日本人は、素敵なものを愛でること。何かを可愛いと感じ、いつくしむ気持ちは、減ってはいないなぁと感じます。むしろ、そこかしこにたくさんあり、一言だとしても表現することが増えて
洗足池公園というところに勝海舟夫妻の墓があるのだが、ご存知の方はいるだろうか。私はたまたま公園に遊びに行った時に知ったのだが、そこで読んだお墓の説明が大変興味深かった。 勝海舟の妻・たみは「海舟とは同じ墓に入りたくない」と遺言し、実際に別の墓地にたみの墓があったにも関わらず、海舟の子孫が二人一緒の墓に改葬したという。同じ墓に入りたくないとはなかなかだが、勝海舟の私生活を少し調べてみるとそれはそうだろうなあと思ってしまう。 幕末の江戸を戦火から守るという偉業で知られ
緊張するのである。 元々あがり症だし。というか、あがり症って一体、いつどのタイミングで、自分はあがり症だと決めるんだろう。などとは思うけれども、いろんな場面で緊張するものはする。 心臓がドキドキして、頭が真っ白。あんまり何かをしっかり考えられなくなって、頭が回らない。適度に緊張した方が、力は発揮できるとか、誰でも緊張するのは当たり前のことだとか言っても、うまく思考できなかったり、言いたいことを思い出せなくなったりしてしまうのは困る。たしか、ワーキングメモリーと言わ
最近、待つことが楽しい。 先日、夏から秋にかけて咲く花の種を一気に蒔いたからだ。そして思うのは、植物なんて種を蒔けば生えるでしょ、と簡単に思っていたつい最近までのわたしを今は叱りつけたいということだ。 恥ずかしながら、植物を種から育てることにここまで忍耐力が必要だとは知らなかった。どうやらわたしは自分で思っていた以上に、待てない人間だったらしい。 誰かや何かを待つことは嫌いではないけれど苦手だった。つい待てずに手を出してしまったり、のぞいてしまったり、あれこれと余計なこ
そんなに気負うことなく書いているこのコラムですが、もう何週間も、書くことがないというか、言葉に詰まったままになっています。誰かとおしゃべりをするのは好きなのですが、自分から発するようなことがない。つまり自分で紡ぐ言葉が見つからない状態なのです。 日々何も感じていないわけではないのですが、わざわざ言うほど(書くほど)のことでもないかなあと思ってしまいます。昔ほど、色々なことで心が動かなくなったのかもしれません。 あるいは視野を狭くして、考えることを限定して、余計
春。 過ごしやすい暖かな日差しに、舞い散る桜。新学期も始まって何かと明るい感じがする日々。 の、はずなのだが、どうにも体調が悪いのである。花粉もまだ何となく飛んでいるし、朝夕の寒暖差もあり、天気も何やら変わりやすいし。いつもより眠気が強く、胃はもたれやすく、疲れているなぁと感じる。 それに何より、なんか身体の調子が悪くてすっきりしないと、気持ち的にもすっきりしないで、鬱々としてしまう。心と体はつながっているとはよく言ったものだなぁと、毎度のように思ってしまうが、どう
三寒四温を経て桜が満開を迎え、やっと春と言えるだろうか。 2024年春の今現在、わたしのなかで、みこと心理臨床処三茶庵緑化計画が進行中である(プロジェクトリーダー・わたし、プロジェクトメンバー・わたし。) 手始めに、出先で見つけたお手頃のネモフィラ・インシグニスブルーを買ってきて、大きめの鉢に植え替えた。実はこのネモフィラ、種から蒔いて育てようとしたが大変難しく、発芽はしたけれど大きく育ちはしなかった。 これはやはり、いつも目の届く範囲に置いておかなかったからで