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緩むスキル

 最近、真夏の暑さである。春はあったようななかったような感じで一瞬で過ぎ、これを書いている今、外は30℃である。我が家は早々にエアコンを入れた。4歳になる、我が家の暑がりの愛犬のためである。エアコンのリモコンが“ピッ”と音を立てると、それまで離れた場所にいたのにいつの間にかエアコン近くに陣取り涼風をうけて満足げにしている様子がとても可愛い。
 
 夜などは少し冷えた床に寝転がって、私の足に体を乗せてくるのももふもふしていて可愛い。そのまま足で撫でると私の足の裏が気持ちいいし、撫でられている本人もリラックスしてさらに撫でを催促してきたりする。その時の表情はリラックスしきっていて、
 
「君の野性はどこに行ったのだ?」
 
と真顔で聞きたくなるレベルの惚けぶりである。家庭犬なのでそれはそうなのだが、ここまで無防備でいるのもどうなのだ。と思ってしまうほどである。
 
 ところで、私は犬の専門家ではないので予想でしかないのだが、こういった姿勢には、環境によるところが大きいのではないだろうか。もっと言えば弛緩できる環境でないと、緩んでいいかどうか、守られていていいかどうかの判断力は、安心できる環境でこそ培われるのではないだろうか。

 緩んだり守られたりするためのスキルが必要かと聞かれれば、人間を含む多くの生き物で必要なのだろうと思う。特に判断力。今いる環境下で気を緩めていいのか、目の前の人に甘えたり弱みを見せたりしてもいいものかどうかを見極める力。これは生きていくのに必要なスキルだと思う。

 そう、緩むことができるのは、生得的なものというより一つのスキルだ。犬も人も、いつもいつも緊張して気を張っている生活が続いていたなら、緩むことを学習できない。

 今も目の前で緩みまくっている愛犬の姿は、私たちが彼女に緩むスキルを4年かけて教えてこられたということなのだろうから、それについてはちょっぴり誇っても良いかもしれないと思っている。
 
 しかし愛犬、私が足を動かしたからといっていかにも理不尽そうに見上げるのはやめてほしいのだ。母は足が痺れただけなんです。

                   (C.N)

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