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蒼色の月 #123 「電話」

なんとしても子供だけは私が守る。
私は弁護士から言われていた一つの約束事を、初めて破ることを決めた。

通常代理人として弁護士を立て、調停をしている間は,、直接本人同士で連絡は取らないというのがルール。
私もそう言われていてそれを守ってきた。
しかし一向にらちが明かない今、私は夫に直接交渉することを決めた。

それは木曜日の夜だった。
社員は大方帰っているはずの時間。
きっと夫は最後の後始末をして、帰り支度をしているであろう時間。
私は非通知で夫の携帯を鳴らした。
出ない。
私からではと警戒しているのか。
非通知でもう一回。
やはり出ない。
もう一回。
出ないとわかっていはいても、何度も携帯にかけたのには理由がある。
設計事務所の固定電話では、万が一社員が残っていた場合100%社員が出てしまう。そして社員から、電話の主が私と聞けば夫は電話には絶対に出ない。
これだけかければ、夫は私からの電話とうすうす気が付いているだろう。
ということは、私からの連絡手段は携帯電話と夫の頭にインプットされたはず。
少し時間をおいて、今度は私はわざと、社員のいない時間に事務所の固定電話に非通知で電話した。
長く呼び出し音が鳴る。
もう帰ってしまったのか。
その時、誰かが受話器を取った。

「はい。もしもし。浅見設計事務所ですが…」

警戒のかけらもない声で、読み通り夫が出た。

「…もしもし」

次の言葉がなかなか出なない私。

「はい?どなたですか?」と夫。

「…私です。…麗子です」

驚いたのか一瞬言葉に詰まった夫が、さっきとは打って変わった冷たい声でこう言った。

「はい?麗子?どちらの麗子さんですかね。ちょっとわからないな」

明らかに私を馬鹿にしている。

「あなた…本当に悠真の進学費用を出さないつもり?」

「は?なんのことですか?」

「なんのことじゃないよ。悠真のセンター試験は明後日なんだよ!」

「そんなの俺は知らないよ。悠真が勝手に受験するんだろ」

「勝手って…」

「それよりお前、電話なんかしてきていいのか。直接連絡とるなって言われてるはずだろうが。裁判所に言うぞ」

「そんなことは今どうでもいい。あなたね、この前うちに来た時、悠真に大学に行っていいって言いましたよね?」

「は?そんなこと言ったっけかな」

「言ったっけかなじゃないよ。子供たち3人の前で、悠真に大学に行っていいって言ったじゃないですか」

「子供たちがそう言ったのか?俺が大学行ってもいいって言ったって?聞き違いじゃないのか。そんなの3人が嘘ついてるかもしれないじゃん」

子供たちが嘘を?
私の中のなにかが切れた。

「ふざけないでよ。あたな子供たち3人を前にして、悠真に希望通りの大学を受験していいってはっきり言ってるから!」

「なんでそんなこと、お前に言えるんだよ。お前あの時、あの場にいなかっただろ。なのになんでお前が断言できるんだよ」

そうか。
家に話し合いに来る条件として、私がその場に立ち合わないことと言ってきたのは、こういう時のためだったのか。
許せない。

「大学に行ってもいいって、言ってないの?」

「ああ、俺は言ってない」

「裁判所でも言ってないって言える?裁判官や弁護士の前で」

「いくらでも言えるさ。だいたい子供の記憶なんてあてにならないだろ。裁判官たちもそう思うよ」

「あのね…録音あるからね」

「え?」

「だから、録音あるから」

「なに?もういっぺん言ってみろ」

「あの時の、録音あるから」

「お前、盗聴してたのか」

あの時の私の行為は、盗聴というのだろうか。
盗聴…だとしたら犯罪?

「私はこういう時のために、証拠として録音していただけだよ」

「卑怯な奴だな。お前それ盗聴だろ。犯罪だろ」

「だったらなに?あなたがお金を出すって言ってる証拠には変わりないでしょ」

「……」

北海道の小さな田舎町で、私は普通の田舎の主婦で、母で、妻で、長男の嫁で。おまけにクソ真面目な小心者で。
そんな私が盗聴なんて、夫には想像もできなかっただろう。
それはそうだ。私自身だって信じられないのだから。

だけど、人は変わる。
環境や、関わる人が変わると、良くも悪くも人は変わる。
夫が美加に出会って、別人のように変わったように。私も変わった。
嘘や、尾行や、人の身辺を探ったり、こそこそ証拠集めもした。
そして盗聴…。
私も悪いほうに変わってしまった。

「とにかく、私あなたがあの日子供たちに言ったことの全部、録音して持っているから。あなたがこれ以上進学費用のことで、うだうだ言い続けるのなら私にも考えがあるから」

「なに?」

「私も!考えがありますから!」

本当は考えなどない。
全くのはったりだ。
しかし、夫もこの小さな街で会社を経営している以上、世間体とか体面とか思うところはあるはずだ。

「畜生!」

そう吐き捨てると、夫は電話を切った。

終わった…
今私に出来ることは全てやった。
勝ったのか負けたのか、そんなことはわからない。
しかし、私にできることはやった。
私が今やったことはきっと、脅しなのかな。
そうだろうな。でも、それでもいい。
夫に電話したことで、ペナルティがあるならそれでもいい。

それで悠真を守れるなら、私は本望なのだ。

ルール無用のこの行為が、凶と出るか吉と出るかは後にわかることとなる。



mikotoです。つたない記事を読んでいただきありがとうございます。これからも一生懸命書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!