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タイパや効率化に物申す/ミヒャエル・エンデ 『モモ』

時間に追われイライラする大人たち、立派なおもちゃを与えられても退屈そうに遊ぶ子供たち…

1973年に刊行されたミヒャエル・エンデの『モモ』は、時間泥棒に奪われた時間を取り戻す冒険ファンタジーで、子どもの頃に読んだ方や映画を観た方も多いかもしれません。

ふと懐かしくなって、かなり久々に読んだのですが、正直言って50年前の作品とは思えないほど現代社会への風刺が効いていてびっくり。

タイパや効率化が叫ばれる現代社会を生きる大人の心をグサグサと刺してきます。
児童文学だと侮らず、是非手に取ってほしい作品です。

人間から奪った時間で生きる「灰色の男たち」(時間泥棒)。
彼らは、人生で大事なことは成功することであると言います。
そのためには「時間節約こそ幸福への道」「きみの生活をゆたかにするために時間を節約しよう!」と人々に説き、時間貯蓄銀行の会員を増やしていきます。

何というか、よく目にする自己啓発本のようです…

次第に人々は、仕事のあらゆる無駄を減らすためにお互いを監督し、余暇の時間さえせわしなく遊ぶようになります。
そして、みんなだんだん怒りっぽく、落ち着きなく、とげとげしい目つきの人間になっていくのです。

読んでいると、これは私のことでは?と思い当たる節がありまくり。
仕事では自分にも周りにも生産性を求め、おしゃべりをしている人にちょっとイライラしたり。
いつからこんなに心がせわしなくなってしまったのでしょう。

そして、さらっと怖いことが書いてあります。

時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした。じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとりみとめようとはしませんでした。

人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです。

ミヒャエル・エンデ; 大島 かおり. モモ (岩波少年文庫)

これは、まさに私のことなのでは…
昔と比べると圧倒的に時間を効率良く使い、手に入る情報量もできることも増えたのに、なぜか心が満たされないように感じることがあります。

ちなみに一番怖いと感じたのは、灰色の男がモモに会いに来て、人形を渡す場面です。
同じ言葉を繰り返す人形に対し、モモは退屈ながらも、なぜか人形から離れることができません。
さらに灰色の男は、人形にお洋服や小物など買い与えれば退屈しない、それでも飽きてしまったら今度は別の人形、という風に新しいものを次から次に手に入れればいいと言います。

退屈なのに離れられず、次から次に新しい何かを手に入れようと探し続ける様子は、まさにひたすらスマホをいじり続ける「スマホ依存」と一緒なのでは、とつい考えてしまいました。

他にも至れり尽くせりのおもちゃに対し、「空想を働かせる必要がなく、頭は空っぽのまま眺めているだけ」といった記載もあります。
何も考えずスマホを一日眺めている私のこと?とドキドキ…

ちなみに本作では、いわゆる『傾聴力』についても書かれています。
子供時代にこんな大事なことを教わっていたとは全然気付きませんでした。

モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。モモがそういう考えをひきだすようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。ただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。

ミヒャエル・エンデ; 大島 かおり. モモ (岩波少年文庫)

さて、本作の訳者あとがきには、「人間が人間らしく生きることを可能にする時間、そういう時間がわたしたちからだんだんと失われてきたよう」と記載されています。

タイパ、効率化で得られるものもたくさんあります。特に現代は、どれだけすばやく正確な情報を得られるかで、仕事や人生が左右されます。

けれども、頭空っぽの状態でひたすらスマホを見ている時間は、たとえ情報を入手していても何か違うような気もします。
「人間らしい時間」って一体何なのでしょう。
私はこれで良いのでしょうか…

何だかとても子供向けとは思えないほど濃密で、考えさせられる一冊でした。


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