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うまく書けない記事ほど好評なの、なんで?
ここ最近で、書くのがとっても大変だった記事がある。
そういう記事ほど読んでもらえるこの現象、なんなん????(ありがたや…)
ふたつとも、めーーちゃくちゃ書き直しました。
もちろんnoteには筆跡が残らないから、どれだけ書き直したかなんて伝わらないと思うけど。
・・・いや、もしかしてそういうのも何となく伝わったりするんだろうか。
なんで書くのが苦しいのか
書きたいことはある、言いたいことはあるのに、それが自分の思うように(しっくりくるように)言葉にできない、という点。
それから、「ある出来事があって、こういう経緯でこういうことを思った」という、流れをうまく書けない、という点だ。
自分の中にはたしかに「ストーリー」がある。
それをちゃんと表現しないと、読んでる人からしたら「急にどしたん?」ってなるんじゃないか…って思ってるんです。
私自身がそういう「ストーリー」の方が気になる、というのもあるかもしれない。
生活の中で何かを「体験」したことで、こんなことを思ったんだ、というストーリー。
それってその人だけの特別な体験じゃないですか。
そういうのを読めるっていうのが、noteの良さだと思ってるんです。
昨日のことばと広告さんの記事を読んで、私は「うまくまとめなきゃ」という思考で自分を縛ってたんだなー!と気づきました。
そして、いつのまにか背負っていた肩の荷を、おろしてもらった。
そうだ、noteや個人のブログってむしろ、そういう「もどかしさ」もある、「自然体」な文だからいいんじゃないか。
さっき「ストーリー」が・・・って書きましたが、考えてみればスジの通ってない思考をすることもあるなって。
「書かないことも意思表示」っていう記事を書いた最初のきっかけは、本当はコンビニでの体験だったんです。
ある日コンビニに行ったら、食べ物が何にもなかった。冷蔵庫の故障?かなにかで。
それを見て「なんでだよー!」って憤ったと同時に、(いや、365日食べ物をいつでも買えるようにしてるコンビニって、よく考えたらすごくない?)って思った。
そして、コンビニは普段「ここにはいつでも食べ物ありますよー!」なんて大声で言ってない。
言ってないけど、静かに、環境を整えて待っててくれてる。
そこから「大声で言ってることだけがメッセージじゃないなぁ」っていう気づきを得たんです。
でも、先日これをnoteに書こうとした時は、このエピソードから「書くこと」というテーマに持っていけなくて・・・諦めました。
でも、今書いた説明でよかったんじゃない?伝わったんじゃない?って、書いてて気づいた。
うまく書けない記事が読まれるのは
そこに、本物があるからなのかも。
本当に思ったこと、本当に言いたいこと、本当に書きたいこと。
そこに書いてあることが、どこかからコピーしてきた言葉じゃない、自分の言葉だからだ。
きっと、これが文章を書く上で一番大事。
だから、構成がヘタでも、表現に苦しんでも、ちゃんと届くのかもしれない。
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