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見極めのすゝめ:あなたにあるもの、あなたにないもの

自己肯定や自己受容という言葉が意味するものって、色々あるとは思うんですが、

わたしの思う定義のうちのひとつは、"ちゃんと、あきらめられている" だなぁって・・・今朝ふと思ったんです。


ちょっと妙な質問かもしれないんですけど、みなさんって、自分の生まれ持った性格や特質の中で、"きっぱりとあきらめられてるもの" ってありますか?


Photo by Quentin Lagache on Unsplash


明らかに見極める、ということ


そんなことを思ったのは、こちらの しいたけ.さんのnote記事を読んだことがきっかけでした。


無料記事の範囲から、わたしがピンときた部分はこちら↓

本当に自分の人生が切り開かれていくタイミングで、人が何をするのかというと、それは多分「自分には何がないのか」を静かに見つめることだと思うんです。

(中略)

それまでにすごく悩んだり、コンプレックスに感じたり、そういう時間をずっと抱えてきたからこそ、いざ自分の人生が切り替わるタイミングで「あ、私にはこういうのがないんだな。そうか」と言って、そこから何か、自分にとっての影の部分というか、他の人にはない部分を発見していく旅路が始まる気がどうしてもしてしまうのです。


あきらめるという言葉の語源はそもそも仏教用語だって言いますよね。


本来の意味としては "物事の真実の姿やありさまを明らかにすること" だとか、"明らかに見極める" といった意味合いになる、とかとか。


しいたけ.さんのnoteの中で、とある芸人さんの言葉から彼が考えたことっていうのは、この "明らかに見極める" に近いのかなぁと思ったりします。


自分には何があるのか、だけじゃなくて、自分には何がないのか、を静かに見つめる。そこから、発見の旅が始まる。


そしてね、わたしにとっての数秘ってまさに、"明らかに見極めること" を後押ししてくれるツールだなって、思ったんです。


みっこの数秘セッションを受けたことのある人は、ちょっと思い出してみてください。


必ず一度は言われましたよね、「あなたはこれをやってください。そして、これはやらなくていいです」って。笑


あなたがどんな性質や使命を持っているのか。

セッションでは、それらと同じくらい、あなたがどんな性質を諦めるべきかもお伝えしています。


セッションを受けてみて、イメージしてたのとちょっと違う展開だな、なんて感じた人も、もしかするといるかもしれないです。

その点については、ごめんなさい。笑


でも、同時に伝わったとも思うんです。


あるものだけではなくて、ないものまできちんと明らかにすることが、自分の歴史を理解したり、自分ならではの物語を作っていくうえで欠かせないことなんだって。


Photo by Cristian Escobar on Unsplash


自分にあるものを
陽だとすると

自分にないものは
陰と言えるかもしれません。


この陰陽の両方が揃ってひとつ=自分。


そして、陰も陽も、どうやっても変えられないものなのだとしたら、しいたけ.さんの記事に出てくる芸人さんの言葉の通り、それは "運命" と言えるかもしれない。


あの芸人さんにとっての、お酒が呑めない。


しいたけ.さんにとっての、胃腸が弱い。


あなたにとっての・・・なににあたるでしょうか?


自分の生まれ持った性質の中で、「もう、こいつと一生付き合っていくしかないな」って思っているもの。


今この場で、パッと出てきますか?


Photo by Elizabeth Lies on Unsplash


"運命"という前提から人生を組み立て直す


ここからが、今回わたしの書きたかったことなんですけどね。


わたしね、「この問いにパッと答えられる人って、もしかしてそんなに多くないのかも?」って思ったんですよ。


自分はこれが苦手だ、とか、ここが弱い、とか、普段考えたり、口にすることはあると思うんです、誰でも。


だけどね、「これはもう、諦めたわ」って言えるもの、すぐに出てこない人って意外と多いんじゃないかと思って。



ちなみに、こんなことをわざわざ邪推してるのにはちゃんと理由があります。笑


わたし自身がつい最近(と言わず現在進行形で)、自分のある性質を "あきらめた" んです。


大袈裟に聞こえるかもしれないですけど、「これは運命だ」って受け入れて、その前提から人生を組み立てていくことに決めた。


感覚としては、本当にそんな感じで。


でね、そう決めたときに、気づいてしまったんです。


わたしは今まで、あきらめてなかったんだって。


Photo by Seth Schwiet on Unsplash


案外、未練タラタラなのかもしれない


わたしの中には、いつもこんな声がありました。

頑張れば、変われるかもしれない。

というか、変わらないといけない。

自分は、こんなもんじゃない。

こんな自分ではいたくないし、いてはならない。


ベタな話ですけど、無意識では、思い込み・執着・未練、タラッタラだったんですね。


そしてありがたいことに、あらゆる現象が、いろんな苦しさが、教えてくれました。


「それ、頑張る方向性が違うよ」って。


あぁ、苦手だとか、こういう性質あるなぁって考えてはいたけど・・・ちゃんと、あきらめてはなかったね。って、気付けました。


分かっていても、決めてはなかった。


変えられない事実として、あきらめることを。


しんどさはあったけれど、結果的には、まさに しいたけ.さんの言う「自分には何がないのか」を、静かに見つめることになったのでした。


そして、何がないのかが明確になったとき、影が光の輪郭をはっきりと浮かび上がらせるように、


何があるのかが同時に浮き彫りになっていきました。


何をやっていくべきなのかを明らかに見極められるようになりました。


さらに不思議なことに、自分に "ない" ものが、この世界にたくさん "ある" ことに気付けました。


わたしの中にはなくても、誰かの中にちゃんとある。

だから、わたしが持ってる必要はないんだなぁって。


ないはずなのに、なぜか世界が豊かになった。


しいたけ.さんのいう、"本当に自分の人生が開かれていくタイミング" だったのかな。


悩んで悩んで、ある時、はたと気づいて。

新たな扉がオープンした。


そんな4月末です。


Photo by Clyde RS on Unsplash


その時が来たら、それがタイミング


最後になりますが、ひとつだいじなことを。


みなさんも、「気づいてはいたけど、決めてなかったことあるな」って思ったら、ちょっと意識して、「あきらめてみっかー」って、暫定的に結論を出してみてもいいかもしれません。


そして、様子を見てみてください。


そうしたら、

「じゃあ、どうする?」って、新しい工夫が生まれてくるかもしれないし

「じゃあ、こうしよう」って、やるべきことが明確になるかもしれない。


逆に、いや、やっぱり諦められない・・・ってなったら、それはそれでよくて。

また自分の中に取り戻したらいい。その選択は、どこまでも自由です。


ただ、あきらめるのが難しい場合もあるなって、わたしは今回思いました。


算数ができないとか、地理が分からないとか、料理のときは壊滅的に雑だとか、そういったライトなことって諦めやすいものです(すべてわたしの実例です笑)。


でもそれが、自己価値に関わることとなると、一気に難しくなるもので。


「それが "ない" って、人間としてどうなの?」って思うくらい、自分を成り立たせるために必要だと思い込んでる条件。


それを自分自身の特性が満たせないとき、わたしたちはたくさんの遠回りをしながら、時間をかけて、自分の運命に気づいていくんでしょうね。


そしてこれは、はやく気づかなければならない、わけではないと思うんです。


あきらめられる時が来たら、あきらめればいい。

壮大な遠回り、壮大な無駄も、ちゃんと旅の一部だから。


ただし、時が来たと思ったら、決める。


そんなことを、頭の片隅に入れておいてもいいかなって思います。


ささ、すっかり長くなりましたが、今日はしいたけ.さんのnoteから、思ったことを書いてみました。


前回の投稿からだいぶ時間が空いちゃったんですが、Instagramの方ではちょこちょことつぶやいています。


お時間ある時にでも覗いてやってくださいね。



そして、下書きになってる記事もちょこちょこあるんですが、書ききるところまではなかなかいかず・・・そんな記事、けっこうあります。


いつかお目見えできますように。笑


それではみなさん、また次の記事で。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。

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みっこ



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