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こどもたちが久々にやってくる。コレクションを上手に増やす。どっちも美術館の明日になる。【美術館再開日記17】

子どもがグループで来るって!!!当館ではまったくの日常だったはずのことが、大事件のような扱い。コロナ時代だ。そうなっちゃったのだ。やわらかくって、ちっとも言うことを聞かない生命体にふれると、あらためてじわーとなる。

そんな事件に興奮する日もあれば、人に会わずに黙々と作品に向き合う日もある。ゆくゆくは当館のコレクションに入るかもしれない作品群の調査。コロナ&予算削減ゆえによそからモノを借りることが難しくなるのなら、自分の持ち物だけでなんとかする、そんな企画展を何本も考えるしかない。どこもそうなるだろう。でもそう悪いことじゃない。それがまっとう。


美術館再開54日目、8/4、晴れ。子どもたちが来る!

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※撮影は堀哲平さん。この日、「作品のない展示室」のクロージング・プロジェクト撮影の下見にいらしていて、記念すべきひとときを、たまたま撮ってくださっていた。↑


都内のコロナ検査陽性反応者ざっくり300人。

今日はソワソワである。
午前中、子どもがたくさん来るのだ。
といっても16人。160人ではない。
16人なんて「たった」だったはずだが、
「たくさん」な体感だ…。

区内で「子どもの居場所づくり」の
活動をする方が、その16人を連れてきた。

その方に初めて会ったのは、2月のトーク
「如月小春を読みなおす」のとき。
故・如月さんは30年前、当館で
演劇ワークショップをお願いした劇作家だ。

まだまだ「ワークショップ」が珍しい頃。

そんな人についてのトークをききながら、
この美術館は使える、と確信してくださったのか、
終わった後に楽しそうに話しかけてきた。
何かいっしょにできませんか、子ども連れてきたいですと。

あーウチはいつでも何でもご相談にのりますよ、ボランティアもご協力できますし。
とこちらも楽しくなったのに、コロナ。
ボランティアが直接案内役を、できない。

※ウチのボランティアは「そのへんのおっちゃん、おばちゃん」が多い。たとえば、こんなおっちゃん。↓



しかし地下創作室では着々と準備が進んでいた。
この数ヶ月で、子どもがひとりで、
または大人と一緒に使えるマップやクイズや
工作キットが営々と生み出され、それが本日、
ガツンと一挙お披露目となったのだ。
今日の子たちが、初めて使う。↓

ボランティア担当もボランティアたちも、
そりゃもうワクワクソワソワウロウロで、
直前にああキットが足りないと騒ぎになり、
「塚田さん悪いけど子どもへの前説よろしく」と
突然役目が降ってくるが笑、そういうのも
久々すぎて異様に新鮮。

セミの声に包まれて16人の人たちに会う。話す。
年長さんから6年生まで。
いちいちいろんなレベルのツッコミが入る笑。
これだーこれ。ちっとも話が進まない。

「作品のない展示室」に入るなり
ド派手に色鉛筆セットを床にぶちまけたり、
まあいろいろありつつ。


最後の「特集」の映像なんて興味ないかな、と思ったら、
何人かはボーと見ている。

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えー、これ、さっき入ってきたとこ。
何やってるの。

なんか怪しい動きしてる。

なんかこれー、ずっと見ちゃうー、
なんかー、怪談ぽい。

…そうねー、夜にけっこう怪しいこと
やってるのよねー、ここって笑笑笑。


美術館再開55日目、8/5、晴れ、暑い。黙々と黙々と、作品チェックの日。


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都内のコロナ検査陽性確定者ざっくり300人。

今日は半日、ひとりで収蔵庫にこもる。
以前、汗水垂らしてつくった企画展のご縁で、
新たにお預かりした作品のチェック。
いずれ「ウチの子」になるかと思う。
そしたらどういう企画ができるかなー。

地味に地道に自力で企画展をつくると、
そのような報われ方が訪れる、こともあり、
それが独自性のある未来の企画の苗になる。

メディアと組むハデハデ展との決定的な差は、
お客さんからは見えにくいけど、そこ。
苗の蓄え。コレクション。

十数年単位で見たときには館の基礎体力
の差として、歴然と目に見えてくる。

とはいえ日本の(公立)美術館業界が
コレクションを本気で使う&育てることに
真剣になり始めたのは、ここ20年ほどか。
バブル完全崩壊のあとである。

私が世田谷美術館に入ったのは2000年で、
その頃まさに各地で試されていたのが
「コレクションを活用した企画展」、それも
「教育普及的な観点」から工夫をこらすもの。
私もそういう企画展にすぐ投げ込まれた。

※作品に絡めて、いわゆる「来館者参加型」の何かをやってくれと主担当に言われ、「みんなで作品タイトルを考えて投票しよう!」「自分のこころのなかの花を描いて、壁に貼っていこう!」というささやかなコーナーをつくった。20年前のことだ。どちらも表現シェア系のミニイベントで、いまならSNSでハッシュタグつけて当たり前にできることを、アナログで必死でやった。が、写真、ちゃんと撮ってなかった。「記録を残さないと、なかったことになる」と思い知るきっかけにもなった。↓


やる気満々の新入りとしてびっくりしたのは、
「昔は良かったのに今はこんな…」という
空気が、しばしば事務室に漂うことだった。

それから20年。

リーマンショックに東日本大震災にコロナ。
使えるお金は減るばかりだが
そもそもバブリーなお金の使い方を知らないし
羨ましくもない自分は、少なくとも
「昔は良かった」と思ったことは一度もない。

若い世代はますますそうだろう。
いま持ってるものを使う。
上手に組み合わせる。そこに悲壮感なし。

あとは「とことん使い倒す」
「仰天な組み合わせを探し続ける」という
関西のおばちゃんみたいなしたたかさが
あれば言うことなしだろう。
私も日々おばちゃん精進を重ねております。

もしサポートいただける場合は、私が個人的に支援したい若手アーティストのためにすべて使わせていただきます。