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ギリギリの移動のなかで。臨時休館前夜その1【美術館再開日記・序】


「美術館再開日記」の序章、「臨時休館前夜」。2020年3月の日記の抜粋、今回はその1。
この頃私は、コロナ感染症の情報を必死で集めつつ(その心労で身体に不調が出ていた)、移動への罪悪感を抱えながら(これも不調のもと)、次のプロジェクトへと気持ちを切り替えるためにごく短い台湾旅行に出かけ(第一波を見事に収束させた直後で、しかし日本ではそのことがまだ知られていなかった)、帰国後はどうしても会っておかねば、話しておかねばというアーティストたちのもとを訪ねていた。

すでにあらゆるイベントの類いが中止されつつあった。それでもアーティストたちは活動を続けていたし、小さなスペースは独自の判断でイベントを実施した。世田谷美術館も、人を集めるイベントは中止にしたが展覧会は続行。私は2021年度の展覧会の準備を続けていた。やがてそれも中止になる。

「臨時休館前夜」と書きつつ、今回は直接「コロナと美術館」の話ではない。ふだんの関心事を記した自己紹介に近い。あしからず。※で記したのは補足である。

2020年3月3日 台湾への旅と、ジンバブウェ出身の若手作家とのトーク

前の週のメモ。
2月末、3日間だけ台湾に行った。
スペイン、オランダ、明朝、清朝、大日本帝国、そして国民党・・・数百年にわたり絶え間なく「外」から支配され、1980年代末にようやく民主化が実現して30年少々の国。
特に歴史や文学の博物館の展示からヒタヒタと迫ってくる気迫がすごい。
未来を信じる力強い一歩を押し出しているのは、過去の凝視だった。
その過去にどんな個々人がどう生きて死んだかを明るみに出し続けること。

写真:国立台湾文学館。企画展のひとつは戦後の香港の文学について。折しもデモで揺れる香港に寄せる共感は、長年にわたって培われてきたようだ。

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帰国後すぐの3/1。
川越のカフェ&スペースNANAWATAにて、個展開催中の吉國元さんとのトーク。

1980年代半ばから90年代半ば、英国から独立してまもない南部アフリカのジンバブウェで生まれ育った吉國さんの作品は、徹底して彼個人の記憶と、現在の彼がここ日本で出会っているアフリカにつながる人々との交流から、生まれ落ちたもの。
個展タイトルは「来者たち」。過去に出会って今はもういない人たち、今はまだいないが未来に出会うであろう人たち。
「来者たち」は5/2まで。トークの抄録もいずれ読めるようになりそうだ。

記憶、記録というキーワードで現代の世界がつながっていることを、肌で実感する。

※NANAWATAはその後も慎重に営業を続け、無観客トークイベントも実施。国立ハンセン病資料館の学芸員、木村哲也さんとの濃密なトークだった(オンラインで視聴可)。吉國さんの個展は7月末まで延長された。

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トーク抄録「なぜアフリカを描き続けるのか」も含む小冊子PDF↓


2020年3月9日 メキシコのアーティストを訪ねて房総半島へ

延期になってしまった芸術祭のために滞在制作を続けているメキシコからの知人を、家人と訪ねる。房総半島のど真ん中、冷たい雨でけぶる山の中の元小学校の一室で、コートを着込んだままとてつもなく美味なメスカル酒をご馳走になる。


ヘラルド・バルガス。彼と会ったのはちょうど2年前の2018年3月、ベラクルス州ハラパの、これも何か隠れ家的な山中のギャラリー兼ビール居酒屋だった。
紹介してくれたのは矢作隆一さん。ハラパに腰を据えて、日墨両国で彫刻やインスタレーション作品を発表している。あの夜も寒かった。あの夜も昨日も、写真は撮らなかった。
メキシコ留学中の岡田杏里さんも同じ場所で滞在制作中。
帰りはバスターミナルまで送っていただく。
杏里さんありがとう、ヘラルドありがとう。待合所に芸術祭のポスターが。
※その後、この芸術祭はほぼ1年遅れで2021年に開催される見込みとなった。

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2020年3月15日 ナイジェリア出身・ロンドン拠点のアーティストを訪ねて、ふたたび房総半島へ


先週に続き、再び房総半島のど真ん中へ。
芸術祭のためにロンドンから滞在制作をしに来ているソカリ・ダグラス・キャンプに会う。ナイジェリア出身だが、ずっとロンドンが拠点。セタビでは彼女の作品を持っている。

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※2018年秋、「アフリカ現代美術コレクションのすべて」というコレクション展を担当したときに初めてソカリとコンタクトをとった。親身にいろいろ教えてくれて、2019年秋、初めて会えた。京橋のこきたない飲み屋でビールを飲みながら何時間も話した。あなたとは初めてじゃないみたい、来年2月にまた来るから会いましょう、とあったかい笑顔だった。コロナのコの字もない頃のことである。

さて、大型の金属彫刻をつくる彼女の、房総での仮スタジオは、自動車整備工場だった。それも現役の。

制作している両サイドでは普通におじさんたちが車を整備している。
ソカリが今回つくっている作品も自動車。ここの工場で使っているという真っ赤な塗料がたっぷり塗ってある。笑ってしまう。

乗ってみてよ、というので乗る。といってもドアなし座席なし。ソカリも隣に乗る(というかしゃがむ)。ますますなんだかおかしい。ちょっと小さめの車にふたりでギュッと寄ってしゃがんで、なんだか懐かしいワクワクだ。
ツナギを着てヘルメットかぶって、地味に溶接作業する小柄なソカリは、完璧に工場に馴染んでいた。下の2枚目の写真にもいちおう写っているのだが、馴染みすぎてほぼ眼に入らない。

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お昼は歩いて10分ほどの「養老渓谷」駅前の食堂がお気に入りで、日々行くという。食堂のおやじさんがなにかと世話を焼いてくれて、飽きないようにメニューにない品もつくってくれるらしい。
昨日はおやじさんは不在だったが、おかみさんがリンゴだの八朔だのイチゴだのを、不思議なタイミングでずいっと出してくれる。一緒に鶏そばをすする。

小湊鉄道の車中からはソカリ・スタジオの背面が見える。
一面の菜の花と、自動車整備工場。

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今回は、先日川越のNANAWATAでトークをした吉國元さんも誘っての小旅行で、なんだか面白かったね、とホカホカした気分で帰路についた。
吉國さん道連れありがとう。そういえばトークの抄録が完成しているのに、自分では宣伝をしていなかった。まとめて下さったNANAWATAの岡村幸宣さん、ありがとう。

信頼できる人とのつながりがいっそうありがたい日々。
あとはソカリが来週無事に帰国できることを祈るのみ。

※ソカリは数日早く帰国の途につき、無事にロンドンに戻ることができた。来年に延期された芸術祭の会期中に再来日できると良いが、そのあたりはわからない。







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