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あらためて、美術館の空間と向き合う。【美術館再開日記4】

再開1週間目の会議で、思いがけず「からっぽでいいから展示室を開ける」ことが決まった。当館の場合、からっぽだと、ふだんは移動壁などで隠してある窓を見せられる。それなりに長く勤めている人は、それが何を意味するか知っている。ただの白いハコにはならない。美しい借景をも堪能できてしまう空間になる。


ゆえに、どれだけ良い展覧会を企画できるかと日夜身を削っている学芸員にとっては、禁じ手でもある。「こんな時じゃないとできないことだし、無料開放だし、来場者も喜ぶかも」という意見が多いなか、黙って複雑な表情を見せる同僚はいた。当然である。何も企画しなくていいなら自分たちの存在意義がない。

会議の終わるころ、「最後の部屋はどうする?」と誰かが言った。窓がひとつもない、いわば普通の展示室だ。一瞬、ああ、あの部屋はどうにもならないという空気が流れたのを読んで、「過去のパフォーマンスの映像でも流しましょうか」と提案した。そうだねいいんじゃない、というところで会議終了。

余計なことはしなくていい、と却下されることも想定していたので、これこそ思いがけない展開である。きちんと名前をつけるまで、日記ではこのおまけを「ドサクサ企画」とか「ねじ込み展示」と呼んでいた。「やっぱりやめとけ」と言われかねないと疑心暗鬼でもあった(なぜだろう)。窓を開けるメインの部分については、副館長がそのものずばりの名を早々につけた。「作品のない展示室」

2009年、一学芸員だった副館長は「内井昭蔵の思想と建築」という企画展を担当した。当館を設計した内井昭蔵の大回顧展だ。建築家の思想を最もよく体現する作品としての当館の姿を、できるかぎりそのまま見せつつ展示をつくった。

当時、勤めて9年目の私も、この企画展で建物の力を知ったひとりである。建築にからめたダンス・パフォーマンスを本格的に行ったのもその時だった。以下の写真、1枚目は新鋪美佳さんの、2枚目は鈴木ユキオさんの作品である。撮影はまるやゆういちさん。野外だが、ただの「外」ではなく、建築があることで初めてかたちづくられる外部空間に目を向けられるようなイベントだった。

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さて「作品のない展示室」。
メインのタイトルはすぐ決まったものの、開けるまで1か月もない。作品を何も置かないといっても、それなりにやることはある。おまけ担当の自分はとてもやることがある。「映像でも」、とさらっと言ったが、そのへんのモニタで映像をちょこっと流すだけで済ませる気は最初からなかった。ふだんは有料で人を入れている広いスペースを使えるのだ。しかもウチの建築を見て下さいというメイン企画に続くおまけである。建築と絡むパフォーマンス・プログラムの数々を、ここでガッツリ紹介しない手はない。

その後すぐ、休館日も含めてまる2日、おまけの構成と出品資料について考え続け、週明けにはそのプランをほぼすべて捨てて仕立て直しつつ(「やめとけ」と言われても別の場所でできるように)、来場者の動きの変化を観察し、そもそも展示プランってふだんどうやって考えてる?を同僚と話しながら、大半の時間は、次年度の企画展の予算の使い方についての資料をつくっていた。金勘定金勘定金勘定。そこは割愛するが、以下、再開第2週の4日分の日記。

美術館再開7日目。6/10。現場で考える。

朝、開かずじまいとなった展覧会の
借用作品を返しに行く同僚を見送る。
今日はさほど大きくない数点ゆえルートバン。

夕方、戻ってきた同僚に相談する。
ねじ込み小展示の件。
いっしょに空っぽの展示室に行く。
親身になって考えてくれる。
自分の展覧会は幻になったのに。

まる2日沈潜して考えたプランを
かなり捨てることにした。
現場に身を置くとあっさり捨てられる。
図面だけでものごとを進められる人は
すごいと思う。私には無理だ。。
明日また現場で考える。

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美術館再開9日目。6/12。ゼロから仕立て直す。

朝、金勘定。昼、今日もカフェ。
常連らしきファミリーや友人グループが
戻ってきている。

お店の使われ方も変わってきた。
ガラ空きだったお一人様席ばかりの店内、
横並び席エリアを上手に使って、3人とかで
さほど不便なさげに食事も会話も楽しんでいる。
一度こういうふうに動き出すと、
「そう使っていい」オーラがその場から
発生し始めるから、面白い。

午後いっぱい、ドサクサ企画。
敢えてユルめに仕立て直し、見た目も簡素化。
ガリガリがんばった感が出るのは鬱陶しいし、
ユルい方がいろんな同僚に助けてもらえるし。
そして土壇場で「そんなのいらない」と
追い払われても、「場外」で展開可能な身軽さに。
ゲリラ戦仕様…。

昨日は朝の砧公園で立派な泰山木に出会った。
ということを残業後の帰路で思い出した。
花が、ぬーっと咲いていた。

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美術館再開10日目。6/13。場のエネルギーについて。


「素晴らしく贅沢な環境をご提供できています」
と受付スタッフが苦笑いした。がら空きの館内。
いいよいいよ。そうやって笑うのが大事。

人数はともかく、日々の来館者の8割は
コレクション展を見ていく、というあたりに
落ち着いているようだ。

ドサクサ企画、
どうやら「場外」ゲリラ戦は免れる見込み(まだ油断は禁物)。
ただし他のスタッフに準備を手伝わせるような作業量の企画は不可。

まあ学芸スタッフはまだまだ(いや、もともと)
余裕もないし、それでも気にしてくれている人は
もちろんいるので、焦らず騒がずです。

昼はカフェのテラスで。
しばらく雨続きだろうから、その前にゆっくりと。
壁泉のほとり。ここもなかなかいい場所です。

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けっこうあちこち見どころのある世田谷美術館。
そのあちこちで、場のエネルギーを増幅させるような
いろんなジャンルのパフォーマンスが、
30数年行われてきた。のですよ。実は。

ということを、
今回のドサクサ企画でざっくりお伝えします。
明日(というか今日)から
関係者の皆さんに連絡しまくります!

美術館再開12日目。6/14。展示空間はカタログではない。

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6月14日、梅雨。
朝から金勘定の会議。先週から3回目か。
わかってもらえる資料づくりのコツを掴んだような。
懇切丁寧、えげつないほど親切に。
「塚田さんは本当に“教育的”」と同僚が呆れている。
そういわれるのは二度目である。光栄光栄。

午後、その同僚と
「展示空間のプランはどこから考え始めるか」
という話題になった。

私はいつも直前の展覧会の空間から始める。
つまり他人がつくった空間、
その空間の面白いところをなるべく自分も使い回せないかと、
他人が引いた図面を手に展示室をうろつく。

なんで?ありえない。
他人の図面なんか見たことない。
まっさらなところから考えればいいのに。
誰もやったことないこと考えるのが楽しいのに。
そもそも出品作品と章立てを考えるのと、
展示プラン考えるのは同時進行でしょ。
それに仮設壁とか造作物とかを使い回したって、
大した節約にはならないんだし。

と、かなり驚く同僚。なるほど、そういうものか。

私は、自分が考えつくことなんかたかが知れてると
思うのと、トシの割に経験も少ないから、
他人の作った図面と会場はいつも重宝する。
大なり小なり、いつもなにかを流用している。

ゼロから考えることも、あるにはある。
でもなんというか、基本はリフォーム系だな。

出品作品と章立て(構成)は、もちろんかなり
厳密に考える。それはカタログという書物用に。

でも展示空間は書物じゃない。
違う論理がある。別の読み方がある。
さすがに章立ては無視しないにせよ、
空間だと、自分の身体が動いていって風景が変わって、
書物とは違う想像力と直感が作動する。
よね?

こういう感覚的なことは
もう全然人によって違うので、本当に面白い。


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