ハッピーエンドで終わる恐怖

 本来まとまってから書くべきなんだけど、不明瞭でも純度の高いまま文字に起こしたいという気持ちが先行して、ちょっと思いつきベースで書く。

 1月初旬の深夜、「鬼滅観たー?」って言う話の流れから、ハッピーエンドとバッドエンドのどちらが好きかという話になった。その子はハッピーエンドが好き、と言っていて、理由を尋ねると見終わったあとにハッピーがいいから、とのこと。なるほどその場でその物語を完結したいのか。

 映画もドラマもアニメも本も演劇も、私にとってはまだまだ続く物語の1部を切り取ってるに過ぎないから、ハッピーエンドで終わるには恐怖がある。まだまだ登場人物の人生は続くのに、観客側にはハッピーの時点までの提供が怖い。

 その点バッドエンドだと、今後の未来を想像できる余白はある。だからついバッドエンドを選んでしまう。立ち直ったり上を向く姿に心を打たれるというか、だから物語は完結しないでほしい。

 昨日『消しゴム山』っていう演劇を観てから、突如として洗濯機は壊れ、突如として読んでいた本に洗濯機が洗濯物を回す様子が描写された。洗濯機が象徴的だったからそこその後の生活に影響しているのかもしれないけれど、なんかそういう演劇や小説が自分の生活に入り込んでくることって往々にしてあるよなって思ったって話。

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