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子どもにまつわる本音 Part 1ー夫婦編

「結婚は?」という質問から解放されると、もれなく「子どもは?」と聞いてくる質問オバケが出てくるので、

(そうやってズカズカ質問してくる気色悪さはさておき)、

はたして自分は今世で「子どもがいる未来がほしいのか」について、

今日は書いてみたいと思う。

***

まず、「子どもがほしいか」と聞かれると、

答えは「ほしい」になる。

でも、厳密にいうと、

少し違っている。


今までは、

いわゆる、普通の女の子が、ただ一般的に抱くような

「いつかは子どもがほしいな」とか、

「いつかは子どもを持つんだろうな」っていう、

曖昧な気持ちで、「ほしい」と思っていたんだけど、

結婚して、めちゃくちゃ大好きな旦那さんがいる今、

27年間生きてきて、初めて抱く感情があって。


それが、

「わたしと旦那から生まれてくる子どもに会いたい」

っていう気持ち。


「ほしい」っていう気持ちとは少し違っていて、

「ほしい」というより、「会いたい」。

存在しない誰かのことを、それこそ、

「恋しい」と感じることがある。


それは、旦那と長い間、国際遠距離恋愛をしていたときに、

「こんなに長らく会えてなくていいの!!??ほんとに実在してるの!?会いたくてたまらない会わせてくれーー!!!(泣)」と、

切実に願っていたときの気持ちにすごく似ていて、

「愛している旦那とわたしから生まれた子ども!!??そんなの存在することができるの!!??会いたい、会いたいんだけど…!!!!」

っていう気持ちなんだよね‥!


それは、ただ単に

「子どもがいる」ことや、「子どもを育てる」ことに興味や憧れがあって、

「ほしい」と言っていた今までとは、

絶対的に違う。

「子ども」っていう対象のことよりも、

「この人との」っていうところに、

完全にフォーカスがいっている。


そして、そのことに、少し戸惑っている。


そして、それとは別のところでね、

「大好きな旦那の子どもに会いたい」と思う気持ちが強くなれば強くなるほど、

「大好きな旦那と2人でいたい」という気持ちが、相対して大きくなっていて。

「会いたい」「恋しい」っていう気持ちがあっても、

そこに、子どものことを「(旦那と同じくらい)愛している」っていう気持ちはないから、(まあ、まだ存在していないからね。(笑))

想像すればするほど、

「やだよ、旦那との生活、邪魔しないでくれ。」

っていう気持ちも出てくる。


だって、子どもがいるからできないことや、

ためらってしまうことや、

夫婦の衝突や、

乗り越えなきゃいけない壁って、

「いい」か「悪い」かは別として、

そんなのは、絶対に絶対にあるからね。




難しいと思うんだよね。


「大好きで愛しているからこの人との子どもがほしい」と思うんだけど、

「大好きで愛しているから、別に子どもなんかで埋めなくても、2人で十分満たされている」とも感じていて、

じゃあ、旦那への大好きレベルが落ち着いてきて、

「大好きだけど、そろそろ2人にも飽きてきたから子どももほしいな」っていう気持ちになるくらいまで少し待てばいいのかな、とも思うけど、

そもそも、「飽きてくる」ような人と人生の残りをいっしょに過ごしたくないし(笑)、

「ちょっと飽きてきた」と感じる頃には、

そもそも「この人との子どもがほしい」という気持ちも落ち着いてきてるんじゃないかと。


大好きで、「愛しているーーー!!!!」っていうテンションで子どもができたら一番嬉しいような気もするけど、

その状態だとわたしはまだまだ、

「愛しているーーーー!!!からまだまだ2人きりでいたいぞ?」

という気持ちがあって、

勝手に抜けれられないループにハマっているような気になっている。(笑)


純粋に、

「みんなは一体どんな心意気で子どもを持つんだ…?」ということが、

そして、

「わたしはどんな心の状態なら全力で『よし!いま!子どもほしい!!』みたいな気持ちになるんだ…?」

と、そんなことを考えたりする。

(「とりあえず身を任せてみたら?」と言われたりするけど、「任せるってなんだ…?」と思う。健康的な体であれば、任せていればそれは妊娠するということだし、任せていてもできないのであれば、それはなんらかの問題があるかもしれないっていることで、ここでの「任せる」ってつまり(健康体を前提としたうえで)すでに「子どもを持つ」っていう選択をしてる、ってことだよね。)


正直、旦那とは2人でしたいことがまだたくさんあって、

年齢とか、出産適齢期とか、

そういうものを全く気にしないでいいのであれば、

あと10年くらいは2人でいたい、という気持ちが(今のところは)ある。


「行ったことがないところ」や、

「体験したことがないこと」は、

とりあえず、ひととおり、

一つずつ、

旦那といっしょに足を運んでみたいし、

思い出づくりをしたい、

と思ってしまう。



存在していない「子ども」を愛することはできなくて、

そうなると、

「あなた(子ども)がいなければこんなこともできたのに…」

っていう感情が簡単に想像できる。


子どもを持つことを選んだとして、

いずれは、子育てを終えたあとに、

旦那と2人になる時期はまた訪れるのだと思うのだけど、

でも、物事には、「旬の時期」というものがあって、

たとえば、

好きな子の自転車の後ろに二人乗りをしてキュンキュンするのは、

高校生のときだからこそ価値があるのと同じで、

「そのときこそ味わえるもの」というものが、あるように、

まだ若くて、元気で、自由で、まだまだ新しい一面を知る楽しみがあって、大好きでたまらないいまのこの「旬の時期」に、

まだまだ味わい尽くせるものがあるんじゃないかと、

どうしても、思ってしまう。

(まあそれと同じように、子育てを終えたあとの2人には、その時期なりの「旬」があって、いくらでも違う楽しみ方はできるのだろう、とは思っているのだけど。だけどもね。)


「そんなふうに思うなら、焦らなくても、

子どもを持つのは、十分夫婦の時間を楽しんでからにしたらいい」

とも思うのだけど、

そんなふうに心の折り合いをつけるのは、

まだまだ先になる気がしていて、

そんなときが来るのかもわからなくて、

旦那といることがどんどん楽しくなって

2人でいることがどんどん快適になっていくかもしれない。

だけど、そんなに悠長に待っていると、

体はどんどん老いていくし、

とらなくてもいいリスクがどんどん高まっていくし、

それはそれで、わたしにとってはとても恐怖で、

「高まると分かっていながら抱え続けているリスク」があることが、

とてもイヤで、すでにストレスになっている。






とはいっても、ね。


子どもが実際にできたら、

我が子のことが愛おしくなって、

旦那と2人で旅行をしたり、

仕事でいろんなことを達成したり、

そんなことはどうでもよくなるくらい

「我が子を育てるほどの幸せはない」

「子どもを産んでよかった、幸せだ」

っていう感情を持つこともあるのかもしれない、

とも思う。


「旦那と2人でいたときよりも、何倍も大変だけど何倍も楽しくて価値が高い…愛おしい…」

と思ったりするのだと思う。



もう27にもなったから、

世の中には、

「想像を超える感情」が存在することを、

わたしは知っている。


たとえば、

猫が嫌いだったわたしが、

実際に飼ってみると、

自分のペットの猫は例外的に可愛くて溺愛していたり、


人といると疲れてしまって他人となんて暮らせないと思っていたわたしが、

旦那とは四六時中いっしょにいることを望んでいたり、


何か学校とかで事件があったときに、「他人の子を守るために自分を犠牲にする教師なんてありえない」と、(教師の親に持つ身として)思っていたわたしが、

自分が小学校で働いてみてその気持ちが理解できたり、


物事には、「実際にその立場にならないとわからない気持ち」

というのが、必ずあって、

それはわたしの想像を有に超えてくるし、

今はほんの1ミリも持ち合わせていない感情が、

新たに生まれることもあるんだよね。


そう考えると、なんの疑問もなく、

子どもを妊娠、出産しないとわからない感情が、

必ず存在するんだろうな、と思う。




そして、結局そんなものは、

わたしのちっぽけな頭で想像力を働かせても到底分かるものではなくて、

「旦那と2人でも十分満たされている」っていう現実にある幸せと、

「子どもがいたら幸福度がさらにバク上がりするかもしれない」っていう想像の幸せを、

天秤にかけて比べるのは、とてもむずかしいし、

「どっちがいいか」なんてわからない。


「子どもがいる世界」と「子どもがいない世界」を同時には見られないからね‥!


比べられないから、選んだ道を正解にしていくしかない。


無責任に聞こえるかもしれないけど、

いつか本当に子どもを妊娠したり出産したりするそのときまで、

わたしは、「子どもがいない、旦那と2人の人生を楽しみたいかもしれない」という気持ちを、

並行して抱えていくんだろうな、と思う。





そんなところで、

心に折り合いをつけるのは到底無理そうだから、

「もし」「子どもを持つ未来」を選ぶことになるとしたら、

それは年齢とか、仕事のタイミングとか、経済的なこととか、

そういうもの次第になってくるだろうなと思う。

心のほうは、いろんな感情を並行的に持ち合わせた状態で、

未来を迎えていくんだろうな、と。


だから、いまはこんなことをグルグル考えながらも、

(考えてもわからないから)あえて結論を出すことを目的に考えるのはやめよう、と思っていて、

頭に浮かぶことを、ただ、考えているよ(^^)


これから、

どんな感情に出会っていくのか、

楽しみにしている自分もいるんだ。


だからとりあえずは、

27歳、結婚2年目のわたしが考えた記録として

この記事を残しておくよ。(^_^)




***

「P.S」的な話を書くと、

わたしは、

久しぶりに顔を合わせた途端、

「子どもはまだ?」と聞いてくる親戚が、

胸くそ悪くて嫌いだ。

純粋に、「会いたくない理由」と、「嫌いになる理由」が増えていくからやめてほしい。

「その人生、なにを考えてどう歳をとってきたんだ」と、失望する。


子どもを産むことがどれだけ大変で、責任が伴って、

夫婦の一大プロジェクトで、人生が変わる出来事で、

自分の希望だけではどうしようもないこともたくさんあって、

そんなこと、

わたしより何年も長く生きてきて、

わかってるだろうに、

「なんでそんなことをズカズカと聞いてこられるんだろう」と。


家族や、親しい友だちと、

「子どものこと考えたりする?」っていう感じで

話題がのぼってくる分にはいいと思うんだよね。


だけど、年に数回会うか会わないかの、

親戚のおばさんやおじさんが、

顔を合わせて、

「最近どう?」とか、「元気にやってる?」とか、

そういう世間話さえさて置いて、

「いつ産むの?早く産みなさいよ?親孝行でしょ?」的なプレッシャーをかけながら、

あたかも人生の先輩ヅラをして聞いてくるのは、

すごく気色悪い。


仮にわたしが、

「いまセックスレスなんだよね」とか、

「トライしたけど流産したんだ」とか、

「子どもを授かりにくくて不妊治療してるんだ」とか、

「子どもは持たない未来を選ぶことにしたんだ」とか、

そんな現実を抱えていて、

そのままの回答をしたとして、

それを受け止めきれないような器ほどしか持っていないくせに、

そんなこと聞いてくるなよ、と思う。


わたしだって、あんたらに、

「終活とかそろそろ始めたの?(^_^)」とか、

なんてことは聞かない。



それに、あんたらのために産むんじゃない。


経済的なこと、キャリアプラン、人生設計、健康、夫婦仲、

子どもを産むにあたって夫婦で乗り越えていくいろいろな課題の、

どの一つも、ちょっとも知らない外野が、

口を挟まないでほしい。


どの課題にも、別に寄り添おうとする気がないくせに、

ただの自分の好奇心を満たすためだけに、

口を開くな。


できたらできたで、報告するくらいの、心はある。


せめてそれまで「黙っといてね(^_^)」という気持ちだよ。


−−−

Part 2はこちら







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