私が日本語教師になった7つの理由
私は日本語教師という仕事が大好きで、
この仕事に出会えたことが人生で一番ラッキーなことじゃないかなと思うほどなんだけど、
日本語教師という仕事を知った時は、こんな仕事があるの、、、!わたしがやりたいことにぴったり、、!どんぴしゃすぎる、、、!
って感動するほどなりたい理由がたくさんあった。
ひとつめに、
①”日本語”という言語が好き
だということ。
私日本語の例えば”は”と”が”の違いとか細かい文法の違いとか、そういったことを紐解いていくのがすごく楽しい。
もともと物事を論理的に考えていくのが好きなタイプなんだけど
言語って唯一?人が無意識に、論理的ルールを考えずに使っているものだと思ってて、
例えば、誰かになにかをアドバイスするとき、どうして前は”~たらどうですか”と言ったのに今は”~たほうがいいですよ”を使っているのか、
どうして”春になると桜が咲きます”と言えるのに”春になるとピクニックに行こう~”とは言わないのか。
人って言語という超論理的ルールがあるものを無意識に使って操っていて、
これってわたし的にものすごいことだと思う。
こうして使えているににその論理が分からない日本語の言葉や文法たちを論理的にかみ砕いてその謎を解いていくという過程がすごく楽しい。
ふたつめに、
②英語を話さなくてもいい
ということ。
これは私が日本語教師になった理由の中でもっともレイジーな理由だと思う。
私、留学してたんだけど、なかなか英語が上達せなくて、ホストファミリーにも英語のことでひどいことを言われ、
”ああ、無理だ”って挫折しちゃったことがある。
帰国するころには
”もう英語なんて二度と勉強したくないし外国にも行きたくない。第二言語話者がネイティブのようになるなんて、限界がある”
って思ってしまっていた。
でも外国人と話したり、異文化にはまだ興味をもってて、
”私が日本語を教えられれば、完璧な英語を話せなくてもいいのでは?不完全な英語と不完全な日本語があればそれはもう完全で完璧じゃん!”
という結論に至った。
それに、例えばなにかおいしいものを食べたときに
”oh delicious!”より、
”うわ、めっちゃおいしい~!!!!”と言いたくなるのが母語話者としての性分だったので、
自分が楽になるために、日本語を教えられるスキルは役にたつぞ、
と感じた。
3つめに、
③教師にはなってみたいけど学校では働きたくない
ということ。
私は教師という職業には興味をもっていたけど、激務な小中高等学校では絶対に働きたくなかった。
私の両親が教員なんだけど、授業以外のレポートや保護者対応、生徒指導、部活動、行事、がもう多すぎてそれはそれは激務。家に帰ってくるのも遅い。
そんな両親が反面教師になって、私はプライベートを何よりも大切にしたいというのが基本軸としてできてしまっていた。
そんなとき出会ったのが日本語教師。
教えるということをしながら、公立や私立などの”学校”ではないフィールドで働ける仕事だった。
5つめに
④”楽しい”
ということ。
仕事をする上で、自分が”楽しい”かどうか、という感情はすごく大切。
こう考えるようになるまでにはいろいろあって、
私には日本語教師とは別に中学生のころからやりたいなと思っていた夢があったんだけど、大学生のときその一歩を踏み始めて、”私にはこれは楽しめない”と気づいてしまったことがあった。
楽しくないと、続けられないし、健康的じゃない、そして何より仕事が”偽善”になる。
”誰かのために”やってあげている”という感情で仕事をしたくなくて、
私が心から楽しいと感じられた”日本語教師”という仕事だった。
5つ目に、、
⑤留学のとき助けてくれた人たちへの恩返しをしたい
ということ。
大学生のとき留学してたんだけど、それがもーーーー大変で、
あの時ほど苦しくていろいろたくさん考えて涙を流した時間はないと思う。(今となってはいい経験だったと思うけど)
でもそんな中でも助けてくれた人たちがいて、
そこから私も、
日本で”留学生”として生きている人たちを助けたい。
と思うようになった。
(そのときは日本語教師は留学生に仕事を教える仕事だと思っていたけど、実際は日本語教師という仕事はいろいろなフィールドで教えられる職業でその点もめちゃくちゃグッドなポイントだよ)
⑥私にできる国際協力
初めて留学生勉強している日本語のクラスを見学させてもらったとき、
世界中のいろんな国の人たちが国籍や性別、職業や年齢関係なく”日本語”という一つの言語を媒介としてコミュニケーションをとっている様子を目の当たりにして
”これだ”と思った。
私は中学生ぐらいのときから”国際協力”とか”世界平和といったものにぼんやり興味を持っていて、それこそ開発学について勉強したり発展途上国ボランティアに参加したりしてたんだけど、
いきついたのは、国際協力、国際共同のためには一人の人間がいかにして”異国のだれか”について想像力を働かせられるかだという結論に至って、
”日本語教室”そのもの自体が”国際共同”のそのままの形であるとも思ったし、日本語を学ぶ外国人が日本人とコミュニケーションをとっていくための”日本語”を身に着けることができれば、
彼らにとってもそして日本人にとっての”想像できる誰か”になっていく、世界を繋げていけるんじゃないかなと思ったよ。
⑦”カタコト”の日本語が”カタコト”ではなくなった
日本語教師になるということは、外国人が日本語を習得していく過程が分かるということ、それはつまり、
①彼らが日本語で言わんとしていることが(たとえ間違っていたとしても)理解しやすくなるということ、
②自分自身がやさしい日本語が使えるようになるということ。
まだ日本語教師になる前、すごく仲良くしていたスペイン人の友達がいて、
その子は日本語がぺらぺらだったからいつも日本語で話していたんだけど、
言葉のふしぶしにいらっとする瞬間があって、
でもそれがどうしてなのか分からなくてずっともやっとしていて。
それが日本語教師になって、
①彼女が使っていた文法がどういう機能をもっているのか、
②彼女がどういう誤用をしていたのか、
③私のいらいらの正体は何だったのか、
ということがすっと分かった。
この感動は忘れられないと思う。
それだけじゃなくて、彼女に対しても分かりやすい日本語を使えるようになった。
それまでは彼女とうまく言葉が通じないときとかにいらっとしてしまってたけど、
日本語教師になってから、なる前に自分が”第二言語話者”にとっていかにめちゃくちゃな難しい日本語を使っていたのか、ということがよく分かって反省したよ。
これが私が日本語教師を目指した理由だよ。
とにかく大好きな仕事で本当に出会えてよかった。
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