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No.219 旅はトラブル / オランダ・アムステルダム&イングランド・コッツウォルズ訪問ひとり旅2012(21)道端沿いの小さな墓所

No.219 旅はトラブル / オランダ・アムステルダム&イングランド・コッツウォルズ訪問ひとり旅2012(21)道端沿いの小さな墓所

No.218の続きです)

イングランド・コッツウォルズ地方テットベリーのホテル「The Close Hotel クローズホテル」に2泊、レンタカーで Painswick ペインズウイック、Castle Combe カースル・クームの村を訪れた。昼間に訪れたせいか、どちらの村もそれなりの観光客がそぞろ歩きを楽しんでいた。蜂蜜色と灰色のシックな石壁の村Castle Combe カースル・クームは、アメリカ人と思われる団体客の三原色の服で、微妙な釣り合いを見せていた。

テットベリーなどやや大きめのコッツウォルズ地方の「街」でも、中心地を離れるとすぐに「村」の顔を見せる。小さな教会や可愛いお店を見るのも楽しいが、ここでは「街」の中でアフタヌーンティーでもゆっくりと飲み、意味もなく「村」をぶらつくのが一番の過ごし方のようにも思えてくる。

楽しい思い出を作った「The Close Hotel クローズホテル」での食事もこの朝が最後だった。軽めの「コンチネンタル」ではなく、しっかり目の「アメリカンブレックファースト」を注文したので、ランチは食べなくても充分なお腹具合になった。フロントのNaomiさんの笑顔に見送られながらチェックアウトを済ませ外に出ると、イングランドに入ってから毎日浴びている柔らかい陽光がこの日も射していた。

前日に予約を済ませた次の2泊の滞在先「Lucknam Park Hotel and Spa ラックナムパークホテル」のチェックインの時間まで3時間近くある。雑誌「Figaro Voyage フィガロ・ヴォヤージュ」に載っていたLacock レイコックの村を観光した後にホテルに向かうことにした。

コッツウォルズ地方のドライブは楽しかった。軽い坂道を登るときに時々当たる枝の音と感触、下り坂に入る時に目に入る前方の田園地帯、平坦な道沿いにぽつんぽつんと立ち並ぶ家々はいずれにも花や低木がそっと寄り添っている。

小さな村の一つを過ぎた辺り、前方右手に独特の雰囲気を湛えた空間が見えた。小さな墓所だ。境界線を示す石垣は僕の膝あたりまでの高さの形ばかりのもので、四方を囲んでいるようだった。車を降りて見ると、石垣が切れている箇所があった。何人の人がこの小さな入り口から、この小さな墓所に入り花を手向けたのだろうか。

入り見ると、日本の墓石に比べるとずっと薄い石の群れが等間隔に列を成し、一瞬、沢山の木の板が大地に突き刺されているようにも見えた。誰もいない墓所に爽やかな風が入り込み、周りの木々がサラサラと答え、墓石の前の花がちょっと首を傾げる。時たま通り過ぎる車の音までが優しく感じる。

小さな風ぐるまと水色の花が供えられた墓石は子熊の形をしていた。刻まれた文字は Thomasトーマスくんが一歳の誕生日を迎えることなく天国に向かったことを示していた。近くには「6歳の・・・ここに眠る」との文字が刻まれた墓石もあった。幼い子を亡くした親の思いはどんなだったのか。

こちらに眠る方は本が好きだったのだろうか、墓石はちょっと傾き、本の見開きの体(てい)だ。すこし先に行くと、高さは20センチメートルほどか、横に細長いグレーに黒い斑点が美しい花崗岩の横には「THEIR LIFE A BEAUTIFUL MEMORY, THEIR ABSENCE A SILENT GRIEF」の文字がある。訳すと「彼らの命 ひとつの美しき思い出、彼らの不在 ひとつの静かな哀しみ」とでも言えようか。日本では見当たらない、石に刻んだ故人への言葉が、赤の他人の僕の心にも染みる。

墓所の奥の方に行くと「1914」の数字の多いことに気づいた。第一次世界大戦開戦の年である。今は平穏に想えるこの小さな村も、戦争の大きな犠牲になったのかと昔日の重さを感じる。

「The Close Hotel クローズホテル」フロントのNaomiさんが、イングランドでは珍しいと言っていた、雲一つない空を見上げる。悠久の時が流れているこの瞬間にも世界の何処かで争いがあり、残された人の心と新たな墓石に愛しき人の名前と悲しみの言葉が刻まれていく。

この小さい墓所はそんな思いを僕に抱かせた。レンタカーに戻りエンジンをかける。ゆっくりと走行車線に車を戻す。僕の残りの人生の中で、再び訪れることはないであろうイングランド・コッツウォルズ地方名前も知らぬ村のはずれ、道端沿いの小さな墓所に目を移し、小さく「さよなら、ありがとう」と別れを告げた。

・・・続く


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