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No.176 「比文よ!」上智大学比較文化学部の思い出(1)English Composition 1 での学び・その1

No.176 「比文よ!」上智大学比較文化学部の思い出(1)English Composition 1 での学び・その1

“Shinya, a great work!!”

ふさふさの金髪の縮毛にメガネをかけた顔が愛くるしい。上背もあるProfessor Pagel(ペーゲル教授)が教室に入ってくるなり、38歳の新入生の僕に顔を向け、両の手を打ち合わせ、教室中に何度も大袈裟な音を響かせた。椅子に座る僕は、自然とペーゲル教授を見上げる形となり体が後ろに倒れた。なんのこっちゃい。大学一年時の必修科目「English Composition 1 (英作文1)」のSecond Major Assignment(英作文1二回目の大きな課題)」提出後の授業でのことだった。

若き日の大学入学に失敗したので、僕が受けた範囲での中学高校の「作文」の授業との比較になるが、「English Composition 1 」での学びは、新鮮で刺激に満ちていた。

僕が中学高校で受けた「作文」の授業は「あなたの思ったことを素直に書きなさい」のように、心構えのような訓戒であったり、「語尾が『です、ます調』であれば、それに揃えなさい」と言うような程度の注意であったので、「English Composition 1 」においても、同じようなものか、大学受験などに見られる日本語からの「英作文」くらいに考えていた。

ところが、であった。

「自分の考えを相手に伝えるにはどうすれば良いか」の前提で考えよ。そのために「段落の形式をしっかりせよ。基本は4段落である。初めの段落『introduction 導入』部分で、テーマに対する自分の考えを述べよ。2段落・3段落の『body 主要部』においては例などを示して持論の整合性を図るべし。最後の段落『conclusion 結論』においては『introduction 導入』との矛盾が生じないようにして簡潔に述べよ」

そもそも「相手」「他者」という自分とは考えの違う人間に語ると言う前提であり、日本語のように「分かるよね、わたしの気持ち」との「相手との共通項はある」希望的観測の上には成り立っていない思想なのである。

どちらが良いとか優れているとかの話ではない。個人的には、日本人の優しさに繋がるそんな曖昧さも愛するのだが、日米交渉など国際関係において、日本の主張が伝わりづらい一因はこんな所にあるのかもしれないとの思いに至った。

続けて、段落ごとの注意である。

「一つの段落の中には『一つの』テーマ・考えのみにせよ。その中で、大事なことを述べてから具体的に掘り下げ、なお例などを示す『演繹法』で書くべし。具体例をまず示してから結論を述べる『帰納法』は、論文においては避けよ」

日本語の「説明文」に度々見られる「帰納的」な論の展開は、相手を説得させるには向いていないと否定される。その一方で、具体的な事象を伝えるニュース記事などにおいては「帰納的」な論が展開される事も多いとの指摘には、納得である。

加えて単語の選び方や、細かいところの技術的な指導である。

「英語は『類語』が沢山ある。一つの単語を重複して使うのは避けるようにせよ。例えば『environment 環境』と使ったら 何度も『environment』を使うのではなく ambient, atmosphere, surroundingなどの類語を考え、適用できるようであれば使用すべし」

「説明文などにおいては、何度も出てくる『語』が重要であり論の主題である」と言うような日本語の形式の採用は「English Composition」では適切ではないと知らされた。日本の大学入試などで採用される英文は、欧米の知識層によって書かれたものがほとんどで、その「段落構造」は「English Composition 1 」で学んだものであり、その発想の理解は、現在、英文読解などの指導をする立場にある僕の教授法の大きな柱の一つとなっている。

1992年当時、市ヶ谷にあった上智大学比較文化学部での刺激に満ちた授業は、リスニングが今一つの僕にとって厳しい時も多々あった。遠慮なく出される宿題課題への取り組みは、仕事の酒屋商売を終えた後の夜遅くから早朝に及ぶことも多かった。

自宅3階の学習部屋の机の上や周りに、辞書や参考になる書籍や雑誌を散らばらせ English Composition 1 のSecond Major Assignment の課題に選んだ「Magic as Entertainment(娯楽としてのマジック)」の執筆を進めた。自分の愛する趣味について書くのは楽しく、Word Perfect の画面が徐々に英単語で埋まっていく。書いた言葉が自分の体内に染み込んでいく。

明け方に執筆を終え、一階上の自宅の鍵をそっと開けた。連れ合いの由理くんが先に就寝していたが、目を覚まして「エラい頑張っとるんやん。ええもん書けたん、しんくん」と明るく聞いてきてくれた。「どうかなあ、まだまだのような気もするし、もっと早く書けないと健康には良くないね」と答える僕に届いたあっさりとした言葉は今も鮮明に頭の片隅に刻まれている。「ホンマやね、ちょっとは寝えへんと」

最初の頃の課題に比べれば「Magic as Entertainment」はマシかなと思ったが、ペーゲル教授の賞賛は意外であった。「大変興味深かった」との後に「シンヤ、マジックをするのか?」との問いかけが続いた。僕の返答より早く、教室の誰かが、しんやさんのマジック凄いですよ、と持ちあげてくれた。入学後すぐのオリエンテーションキャンプ、皆の前でマジックを披露して、一躍「比文のマジシャン」の地位を築いていたようである。

そうか、見せてもらえるかと、ペーゲル教授。比文のマジシャン答えて曰く、もちろんですとも。教室の一同、歓声と拍手。比文のマジシャン「ミスターペーゲル、どうせなら来週の授業の10分くらいを頂けませんか。そこでマジックをいくつか披露する。そしてこれは、English Compositionの授業の一環。マジック観賞後、教室のみんなに感想を書いてもらうというのは如何でしょうか?」

38歳の新入生だから許せる提案というより、自分のキャラクターだからと納得したい。ミスターペーゲルの回答が「オッケー!次の授業を全部あげよう」。教室のあちこちからの、さらに大きな驚きの声と笑い声が気持ちいい。

カードやコインを使った「クロースアップマジック」を披露した後、「比文の妹・弟たち」18人が、英語で書いてくれた感想文が僕の宝物の一つとして手元に残っている。今、読み返してみても、年齢の離れた僕を受け入れてくれた一人一人の温かい眼差しに目頭が熱くなる。

マジックの持つ「娯楽性」と、長く続けてきた故の知識に助けられて、思わぬ高評価をもらえたが、英語そのものの実力はまだまだだったし、他の必修科目ばかりでなく、専門課程への不安は大きかったが、何とか端緒にはつけたのかなとの思いも抱けた。

「Magic as Entertainment 」、その ひと月前の課題提出 「Artline(アルトリーネ)」(No.001)読後と同じように、いや、それ以上に汗が出る。英語の稚拙さに加え、マジックに対する考えも手直ししたい箇所いっぱいだが、敢えて当初の原稿のまま掲載する。


“Magic as Entertainment”

926062 Ono Shinya
English Composition 1
Tuesday, Friday, P.M.1:30-3:00
Second Major Assignment
Professor Pagel

    Magic is one of my hobbies. I can never forget the day when a magician performed some tricks at the magic shop in the Seibu department store in Ikebukuro. I was mesmerized by the miracles he performed. After the magician’s performance, my father bought me a magic set which consisted of eight easy gimmicks. Coming back to my house, my heart started to pound with excitement after opening the set. Since that day, the subtlety of magic, especially in close-up magic, has enraptured me.

    Magic can be divided into three groups in terms of the size of the gimmicks: illusion, stage magic and close-up magic. Illusion is large scale magic usually performed in front of a big audience, such as “the floating lady” and “sawing a woman in half.” Stage magic is medium sized magic in which a conjurer produces doves, make a cane vanish or changes the colors of a handkerchief. Close-up magic is small deceptions performed with ordinary objects, coins, playing cards, safety pins or whatever is readily available. Although ladies are not sliced in halves and then miraculously repaired and assistants do not rise in the air, close-up magic can capture the audiences’ mind with its mystery.

    As a matter of fact, when I attended magic conventions held in Tokyo in 1970s, Fred Caps, Tony Slydini, Albert Goshman, Hiroshi Sawa and some other excellent close-up magicians wrested the audiences’ attention so completely that I saw them smile with joy. Who could escape their excellent performances?

    Close-up magic can be performed in an impromptu situation with the audience gathered around a magician, However, since such exclusive entertainment is limited to a fortunate few, most people don’t have the opportunity to watch good close-up conjuring. In fact, after watching my magic, many people have told me that it was their first time to see magic before their eyes. And also, they have asked various questions such as “How did you do that?” “Can I do that like you?” and “What’s important for performing magic?” I have replied this way: you can be a good magician because there are some tricks which are rather easy but effective, as long as you would open the door of success with the following keys.

    The first key is “Not showing how the trick is done.” Of course, mystery is the most important ingredient of magic. If you reveal the trick, magic doesn’t shine in the audiences’ mind any longer.

    “Loving the audience” is another key. The audience is sensitive towards your attitude. If you regard magic as a swindle, you can’t love the people in front of you and your attitude will never let them enjoy your performance.

    “Being natural” is important to be a good magician. When you perform some magic as an entertainer, flourishes such as card fanning and coin rolling are extra-added attractions that must supply interludes. But it isn’t natural for a mind-reader to produce doves or playing cards. Although dexterity is a major ingredient of a successful close-up effect, you have to make your art seem natural and effortless.

    In addition, every magic has its logical plot to reach a satisfactory conclusion. But the audience cannot see its logical steps. Magicians use one of their top secrets called “misdirection.” Good magicians are practicing psychologists, Not only they know what to do next but also they can feel what the audience will expect next. Thus, they can make his audience think they are going to do one thing but they actually do another.

    In summary, a good magician must be a good entertainer. He has to know how to hold attention of people. He can fool the eyes and the mind of the audience but  he will never fool their hearts.   


    マジック、趣味の一つです。池袋西武百貨店のマジックショップ、マジシャンがマジックをいくつか演じていたあの日を、忘れることはできません。彼が演じていた奇跡に魅了されたのです。そのマジックの後、父がマジックセットを買ってくれました。8個のマジックの道具が入っていました。家に戻り、そのセットを開けたとき、興奮で心臓がドキドキしました。その日以来、マジックの巧妙さーー特にクロースアップマジックのそれが、 僕を捉え続けています。

    マジックは道具の大きさから3つに分類することができます。イリュージョンとステージマジックとクロースアップマジックとにです。イリュージョンは、スケールの大きなマジックで、通常大勢の観客の前で演じられます。「空中浮遊する婦人」や「女性の切断」などです。ステージマジックは、中位のサイズのマジックで、演者は鳩を出したり、ステッキを消したり、ハンカチの色を変えたりします。クロースアップマジックは、日常のありふれたもの、硬貨やカードや安全ピン、あるいはすぐに利用できるものを使う小さなトリックを指します。女性が二つに切断され不思議にも元に戻ったり、助手が空中に浮いたりはしませんが、クロースアップマジックは、その不思議さで観客の心を掴むことができます。

    実際、1970年代に参加したいくつかのマジック大会で、フレッド・カップス、トニー・スライディーニ、アルバート・ゴッシュマン、沢浩、他にも数々のクロースアップマジシャンたちは、観客の注意を完全に掴み、そして僕は観客が喜びで微笑むのを見たものです。誰がこの素晴らしい演技から逃れることができたでしょうか?

    クロースアップマジックは、観客がマジシャンを取り囲む中、即席で演じることができます。しかしながら、このような比類なきエンターティメントは、幸運な少しばかりの人たちに限定されてしまいます。ほとんどの人は、良いクロースアップマジックを見る機会には恵まれていません。実際、僕のマジックを見た後で、多くの人が、目の前でマジックを見るのは初めてでした、と言われます。また、様々な質問をしてきます。「どのようになさったのですか?」「私もあなたのようにできますか?」「マジックを演じるとき、大事なことは何ですか?」こんなふうに答えます。いいマジシャンになれますよ。簡単ですけれど、効果的なトリックはあります。次にお伝えする、成功への扉を開けさえすれば。

    最初の鍵は「トリックがどのようになされたのか示さないこと」もちろん、不思議さがマジックの最も重要な要素です。もし、トリックのタネを明かせば、マジックは観客の心の中でもはや輝くことはないでしょう。

    「観客を愛すること」もう一つの鍵です。観客はあなたの振る舞いに対して気を使うものです。もし、あなたがマジックを詐欺やペテンだとみなせば、あなたの前にいる人々を愛することはできませんし、あなたの振る舞いは、決して観客が楽しむことを導きはしないでしょう。

    「自然であること」は良きマジシャンになる鍵です。エンターテイメントとしてマジックを演じるとき、カードを扇型に広げたり、コインを回したりすることは、間奏のような魅力を付け加えます。しかし、読心術師が鳩やトランプを出現させたりは自然ではありません。器用さはクロースアップマジックの成功の大きな要素ですが、あなたの芸術は自然で、力の抜けたものにしないといけません。

    加えて、全てのマジックは、満足のいく結果に達するための、論理的なプロットを持ちます。しかし、観客はその論理的な段階が見えないのです。マジシャンは「ミスデレクション」と呼ばれるトップシークレットの一つを用います。良いマジシャンたちは、鍛えられた心理学者です。彼らは次に何をすべきか知っているばかりではなく、観客が次に何を予測するのかを感じることができるのです。言ってみれば、マジシャンたちは別の事をしているのに、観客にはマジシャンがこうしているのだろうと思わせることができるのです。

    要約してみると、良きマジシャンは良きエンタテイナーであるべきです。人々の注意をどのように掴むか、知っているべきです。観客の目と心理を欺きはしますが、心そのものを欺きはしないのです。

・・・ 続く

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