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No.087 第五福竜丸との偶然の出会い

No.087 第五福竜丸との偶然の出会い

noteに記事を書くみなさんがどのような気持ちで、その日の記事を書き始めるのかは僕の知るところではない。僕はかなりいい加減に書き始める。その日に書こうと思っていたものが、書き始めると違う方向にいっている。

今日は、僕の酒屋商売時代以来、本当にお世話になり大好きだった宮脇さんのことを書こうと思って椅子に座った。僕より13歳年長、建築関係を初め様々な仕事で逞しく生きて、2012年に亡くなった。

ところが、第五福竜丸の事を書くことになっている。違う方向にいってしまった。いや、違う事はないか。今日の記事、第五福竜丸との出会いの話は、宮脇さんとの友好の中で生まれた。僕にとっては宮脇さんとの思い出の一つなのだ。

「第五福竜丸事件」「ビキニ事件」をご存知だろうか。第二次世界大戦後、アメリカを中心とした資本主義陣営とソビエトを中心とした社会主義・共産主義陣営との「冷戦」がもたらした「核の悲劇」の一つで、きちんと顧りみられなかったことが「福島原子力発電所事故」につながってしまったと言える。

この記事の最後に「東京都立第五福竜丸展示館」HP「第五福竜丸とは」のページの全ての語を掲載させていただく。今日の午後に電話をさせていただき、責任者の安田さんから許可を頂いた。ありがとうございます。

この記事を読んでいるみなさんには、是非、展示館から持ってきた全文を読んで欲しい。僕の記事は、思い出話、過去の話だが、「第五福竜丸」の話は、今、現在の話なのだ、未来への話なのだ。

第五福竜丸とは、1954年(奇しくも僕の誕生年だ)アメリカの水爆実験により、太平洋上を航海中に被曝した漁船である。

1975年か1976年の春のことだ。僕は由理くんと結婚して酒屋商売に精を出していた。宮脇さんはこの時、自分のトラックを持ち、産業廃棄物処理の仕事をしていた。宮脇さんとはすっかり仲が良くなっていた。

何の話からだったのだろう。宮脇さんに「夢の島」に連れて行って欲しいとお願いした。「夢の島」は東京湾側の「ゴミ捨て場」である。基本的に、許可が無ければ入れない。資本主義の負の部分を見ておきたい、と言ったら、宮脇さんが「しんやくん、好奇心強いよなあ〜」と笑って、次の週に連れていってもらえることになった。由理くんも「おもろそう〜。臭くあらへんかな?」と興味津々だった。

酒屋商売の定休日水曜日の10時くらいに、廃棄物を載せたトラックと共に宮脇さんがやってきた。狭い助手席に僕と由理くんが乗り込み「夢の島」へのピクニックの始まりだ。トラックのディーゼル音と振動が体に伝わる。トラックは中山道へと入り、江東区へと向かう。

順調に進んだかと思ったが、珍しく由理くんの体調が悪くなった。慣れないトラックと暑さが原因だったか。宮脇さんが心配そうに「しんやくん、どうする?今日行くの止めようか?」と言ってくれた。結果、由理くん一人をトラックから降ろし、家に戻ってもらった。

「しんくん、心配せんで。いっといで」「夢の島」へのピクニックは、宮脇さんと僕の二人でのことになった。今にして思うと、僕も由理くんと一緒に車から降りたら「第五福竜丸」との出会いもなかったかもしれない。

「夢の島」の入り口ゲートに着いた。宮脇さんが係りの人に許可証を見せ、無事にトラックは捨て場に向かった。左右に広がるゴミの山は、思った以上に荒涼感があった。鳥取砂丘より見応えがあるな。鳥取の方には申し訳ないが、その思いに至った。

トラックの廃棄物を降ろした後に「夢の島」をウォーキングだ。場所にも寄るのだろう。生ゴミ捨て場でないからか、臭い匂いはほとんどしなかった。東京湾からの海風が爽やかで、東京は海の側だと実感した。僕の住む板橋区で水を感じるのは、近所の石神井川くらいである。

歩いていると、前方に朽ちかけた船が見えた。そこまで大きな船ではない。こんなところに船が、何だろう?

近づいていくと、船の傍に木の案内板があった。「第五福竜丸」とあった。信じられなかった。我が目を疑うとはこの事だ。アメリカの水爆実験で被曝したという「あの」船が、雨ざらしの状態で、ゴミ捨て場の片隅に朽ち果て死に絶えるのを待つばかりの運命にあるのだ。

宮脇さんも第五福竜丸事件の事は知っていたが、その船がここにある事は知らなかったと言う。第五福竜丸はゴミなのだ。捨ててしまっていい歴史の中のゴミなのだ。誰の目にも、人々の目にも触れないように消し去りたい過去なのだ。

帰りのトラックの中で思った。第五福竜丸の状態、これっていいのかな?そんなぼんやりした感覚が起きた。

「しんやくん、どうだった?」
「ありがとう、宮脇さん。夢の島は一度見ておくべきだと思ったよ。最高の観光地だね。第五福竜丸には、びっくりした。こちらも、観て欲しいって意味で、見るべき観光地かなあ」
「観光地かあ〜。オレ、いつも遊んでいるんだ〜」
いつものようにいい笑顔だなあ。ハンドルを握る宮脇さんの横顔に陽光が当たり眩しかった。

1976年6月に展示館ができた事を考えると、僕が見た第五福竜丸は、野ざらし状態の最後の期間だったようだ。保存の運動の実現の最後の段階と言い換えもできる。ただ、事実は残っている。1967年から1976年まで、九年間もの間、第五福竜丸は放っておかれたという事実は。

第五福竜丸、彼は、朽ち果ててはいけないのだ。
第五福竜丸、永遠に生き続ける義務があるのだ、君は。
みんなに観て欲しい。
第五福竜丸展示館は、最高の観光地だ。

都立第五福竜丸展示館ホームページより

第五福竜丸は原水爆のない未来へと航海をつづけます

原水爆の禁止と平和を願う被爆国の市民の声により、数奇な航跡をたどった第五福竜丸は、ここ夢の島公園に保存されています。ぜひ展示館を訪れてみてください。

第五福竜丸とは

第五福竜丸は1954年3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカがおこなった水爆実験により被ばくした静岡県焼津港所属の遠洋マグロ延縄漁船です。爆心地より160キロ東方の海上で操業中、突如西に閃光を見、地鳴りのような爆発音が船をおそいました。やがて、実験により生じた「死の灰」(放射性降下物)が第五福竜丸に降りそそぎ、乗組員23人は全員被ばくしました。
その後、第五福竜丸は放射能がへるのを待って東京水産大学(現・東京海洋大学)の学生の航海の練習船「はやぶさ丸」となりました。

水爆ブラボー

3月1日に、アメリカが炸裂させた水爆「ブラボー」は、広島に落とされた原爆の1000倍(15メガトン)の破壊力でした。爆発によって砕けた珊瑚の粉塵はキノコ雲に吸い上げられ、放射能を帯びた「死の灰」となり周辺の海や島々に降り積もりました。放射能は広範な海と大気を汚染したのです。

漁船の被曝

被害を受けたのは、第五福竜丸だけではありません。日本各地から多くの船が出漁し被害を受けました。54年末までに856隻が放射能に汚染されたマグロを水揚げしています。多くの乗組員が被ばくした可能性がありますが、健康被害など不明な点が多いのです。

マーシャル島の被害

マーシャル諸島は太平洋中西部に浮かぶ、たくさんの珊瑚礁からなる国です。アメリカは1946年から58年までここを核実験場とし、67 回もの実験を行いました。
実験場とされたビキニ環礁とエニウェトク環礁をはじめ、多くの環礁や島が被害を受けたとされていますが、アメリカ政府はビキニ、エニウェトク、ロンゲラップ、ウトリックの四環礁以外の被害は認めていません。
人びとの間ではガンや甲状腺異常、死産や先天的に障がいを持つ子どもが生まれるなど、被害が現れています。また、いくつかの環礁では故郷の島に戻ることができません。

世界遺産ビキニ環礁

2010年7月、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により、ビキニ環礁は世界遺産に登録されました。その理由として「珊瑚礁の海に沈んだ船やブラボー水爆の巨大なクレーターなど、核実験の証拠を保持している。繰り返された核実験はビキニ環礁の地質、自然、人々の健康に重大な影響を与えており、平和と地上の楽園とは矛盾したイメージをもち核時代の夜明けを象徴している」と発表しています。同環礁の住民は、いまも帰ることはできません。

第五福竜丸の保存

第五福竜丸(当時は水産大の「はやぶさ丸」)は1967年に廃船処分となり、解体業者に払い下げられ、船体はゴミの処分場であった「夢の島」の埋立地に放置されました。これを知った市民のあいだから保存のうごきがおこり、「沈めてよいか第五福竜丸」の投書(朝日新聞68年3月10日)や原水爆禁止運動など全国で取り組みがすすめられました。
1976年6月に東京都立第五福竜丸展示館が開館し、船は展示・公開されました。

木造船第五福竜丸

第五福竜丸は1947年に和歌山県古座町(現・串本町)でカツオ漁船第七事代丸として建造されました。全長約30メートル、高さ15メートル、幅6メートル、総トン数140トンの木造船です。
第五福竜丸は戦後の食糧難の時代に遠洋漁業に従事した木造船としてきわめて貴重です。

「第五福竜丸事件」と「ビキニ事件」

ビキニ水爆実験により、第五福竜丸一隻だけでなく多くの船舶が被害を受けたことから、当協会では「ビキニ事件」という呼称を使っています。マーシャル諸島での核実験は1958年までつづけられており、被害を限定的に捉えることは適切ではないと考えています。

東京都立第五福竜丸展示館
東京都江東区夢の島2丁目1−1 夢の島公園内
開館時間 9時30分〜16時 / 月曜休館
※月曜が祝日のときは開館し火曜休館
入場 無料
TEL: 03-3521-8494 FAX: 03-3521-2900
E-Mail : fukuryumaru@msa.biglobe.ne.jp

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