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No101「京都吉兆」/ 日本料理の頂点での一夜

No101「京都吉兆」/ 日本料理の頂点での一夜

1987年秋、俗に言う「バブル景気」真っ只中、連れ合いの由理くんの姉夫婦ナオさんとマリさん、由理くんと僕の4人で「京都食べ歩き一泊四食」をすることになった。由理くんとマリさんが話の中で盛り上がって出てきた企画だったような気がする。

初日お昼「菊乃井本店」夜「大市」2日目お昼「たん熊」夜「京都吉兆嵐山本店(以下京都吉兆)」の計画を立て、その通りに実行した旅であった。「菊乃井」は大正元年創業の京懐石料理の名店、「大市」は創業が江戸元禄年間のスッポン料理の老舗(No.039 大市・京都スッポン料理で詳しく触れています)「たん熊」は昭和3年創業の京懐石料理の有名店である。

そして、この旅のメインであった「京都吉兆」は後年の2013年、人気ウェブサイト「デイリーミール」によって「世界で最も高価なレストラン」に選ばれている。義理の姉夫婦は福岡で料亭を営んでいて「菊乃井」さんと「吉兆」さんとは知り合い、予約はお二人にお任せした。「京都吉兆」を含め、料理代金が幾らかは聞かなかった。

この記事では「京都吉兆」に話を絞って進めてみる。「京都吉兆」は「吉兆」グループの一つである。「吉兆」は昭和5年(1930年)大阪で、湯木貞一さんによって創業され、戦後多店舗展開をする。サミットなどの料理長にも就任するなど、世界的にも知られるようになる。「船場吉兆(廃業)事件」などあったものの「吉兆」は、最も名の通った日本料理店であろう。

僕の実家の福島県いわき市、母ユウ子の愛読書の一つが花森安治監修の「暮らしの手帖」であった。「暮らしの手帖」の話もいずれ書いてみたい。母ユウ子の影響で、僕も小学生の頃から「暮らしの手帖」は良く読んでいて、この雑誌の有名企画「商品テスト」は大好きだった。

そしてもう一つのお気に入りが、吉兆の創業者湯木貞一さんのお書きになっていた「吉兆つれづればなし」だったのだ。「吉兆」の名前だけは、かなり昔から親しんでいた。生意気にも、湯木さんの淡々とした筆致が好きだった。

「京都食べ歩き一泊四食」の最後の訪問地「京都吉兆」に向かおう。一行4人は京都錦市場を出た辺りでタクシーをひろった。タクシーの運転手さんに、行き先は「京都吉兆」と告げる。道中、運転手さんが話しかけてきた。僕の怪しげな京都弁で記すとこんなだった。

「わたし、京都で30年以上もタクシーの運転手したはりますが、吉兆嵐山さんに行くのはこれが3回目ですわ。最初は上村松園(日本画の大家)さんを乗せました。2回目は京都駅から、男の人一人でしたわ。一見さんだったんでしょうな。吉兆さんに断られて別の場所に行きました。お客さんたち、予約しはってますか?」

「予約してるから大丈夫です」ナオさんが答えた。僕が思うに運転所さんの言葉「これが3回目」は、「わずか」3回目なのであろう。僕はこの話をする時、聞いている相手に尋ねる。「これが3回目」ってどう言うことだと思います?

「京都吉兆」を訪れる人は、まずタクシーでは行かないと言うことか。お迎えの車で訪れるか、どこぞの会社やらが手配するハイヤーで向かうのであろう。言ってみれば、自腹で「京都吉兆嵐山本店」の料理を味わう人は稀で、尚且つタクシーで向かう団体一行は、京都タクシー歴30年のベテラン運転手さんにして初めての経験だったわけだ。

6時前に「京都吉兆」さんに到着、綺麗なお庭から玄関に入り、大広間に通される。20畳はあるであろう部屋のふすまは開け放たれ、両隣の部屋も見えるので、感覚としては広大な部屋の真ん中に大きいテーブルが置かれ、そこに僅か4人の大人がフカフカの座布団をしつらえた背もたれ椅子に正座やらアグラやらの格好で座っている風景である。この広い部屋が一日一組のみの客に提供される。

仲居さんが4人、それぞれ一人に割り振っているのかどうかは定かでなかった。出されたお茶から始まり、向付(むこうづけ)・ハモのお椀・お刺身盛り合わせ・土窯を使った牛肉の焼き物、珍しかった・八寸、美しさは美術品であった・里芋の煮物・里芋はあまり好みでないのだが美味しかった、京野菜の酢の物・松茸ご飯・富有柿・きな粉の和菓子、当たり前のように全て美味しかった。由理くんとマリさんも料理の合間に「さすがに、美味しいね」を連発していた。

知り合いと言うこともあったのだろう。食事の後に、京都吉兆のご主人と奥様ご両人が座敷に来られ、色々と世間話をされた。特に興味を惹かれる話はなかった。帰りの電車の時間もある、お勘定をお願いした。

ナオさんが尋ねた「おいくら?」吉兆ご主人「40万円です」。げっ、ひとり10万円!由理くんと顔を見合わせてしまった。ナオさん「カード使えました?」吉兆ご主人「いえ」と短い返事。ナオさんバッグを開けてお財布を出す。ナオさんの様子から少し足りないようだ。由理くんが目配せしたように感じた。ナオさんに声をかけてしまった。「ナオさん、僕も多少は持ってます」

何とか40枚の一万円札が揃った。吉兆のご主人、我々の前でお札を数える。銀行員の方たちのようではなく、ゆっくりと数える。自分はこの状況では落ち着いてお札を数えるのはできないな、との思いを持った。今現在は、クレジットカードが使えるそうだ。

「世界で最も高価なレストラン」での食事が終わった。これ以上はない「物差し」が僕の中で形成された、かもしれない。食事だけの値段ではないわけだ。物凄く経済的に成功したとして、自分は「京都吉兆」さんを「馴染みのお店」にするだろうか?答えは分かっている。

帰りはハイヤーを呼んでもらって京都駅まで向かった。ハイヤーの運転手さんは、珍しくも何ともない表情で、京都駅で我々一行を降ろした。

帰りの新幹線の中で由理くんに尋ねた。「京都吉兆さんの料理、由理くんの感想は?」「たかっ、美味しかったけどね」。短くも全てを表している満点の回答、かな。

「京都吉兆」さん、自腹を切って食べに訪れることはもうないな。「京都吉兆」に接待される人生を送ることもなさそうだな。万が一、無さそうだが、接待を提案されたら、他のことを提案するだろう、そうしたい。



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