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No.033 よろしく!小野先生(2)亮師範

よろしく!小野先生(2)亮師範

大型封筒を手に、徒歩で豊島病院のところにある郵便ポストに向かった。病院敷地内の河津桜が、満開をすぎた風合いであった。宛先は、東京大学本郷キャンパス学生課だった。中には、何年も前に作り、段ボールに入れてあったこちらの塾の宣材「新学期・生徒募集」のチラシが入っていた。塾を始めて5年経っていた。開校のときに新聞チラシを折り込み、問合せ無し、失望ののち、その後3か月、まめにチラシをポスティングした後は、今日に至るまで、20年間一切広告をしていない。宣伝せずに生徒が集まるカリスマ塾だとうそぶいている。生徒たちには「褒めてくれる上司もいない、励まし合う同僚もいない。そんな孤独な職場では、自画自賛でないとやっていられないんだよ〜」と人生の哲学っぽいことを語っている。

その三日前の保護者面談でのことだった。「小野先生、高校の数学や理系の勉強も見てもらえませんかねえ」英一くんのお母さんからの相談だった。英一くんは、近所の区立中学に通い、高校受験で慶應義塾大学附属式高校に合格した。名前の通り、英語は学年一位、他の教科もまんべんなく良くできていた。高校に入り、予習にと出された課題のレベルの高さは予想以上だった。英一くんならずとも、これからの高校生活に不安を感じるであろう。

高校で真面目に勉学にー特に理数系にー励まなかったのを、今更悔いても仕方がない。お母さんに、少し時間をいただいて、優秀な講師を探す約束をした。東京大学理系学部の学生であれば、こちらの希望に叶うだろうと、学生課に行ってみた。

必要事項を書き込み、窓口に行くと、こちらの塾の紹介なり宣伝パンフレットが必要という。後日送付することで了承を取り付け、尋ねた。掲示板に貼った「講師募集」の効果の程は如何なものか、すぐに反応があるものかと。なんとも言えませんね、と正直というか頼りないというか。

東大学生課との約束通り、塾のチラシを入れた封筒を投函して、帰宅するとすぐに電話が鳴った。出ると、学生課で講師募集を見たのですがとの電話だった。封筒に貼った切手を取り戻したい気持ちにかられた。えらく早い反応があるのですね。亮くんとの出会いだった。東大大学院で化学を学んでいた亮くんは、メガネの奥に潜む聡明さと優しさを兼ね備えた、まさに好青年だった。先生と呼ぶのもためらいがあったので、講師を「師範」と呼ぶようにした。ソフィア板橋スクール初代師範「亮師範」の誕生だった。

亮師範は流石に優秀だった。英一くんの希望に叶ったし、教室全体に活気ももたらしてくれた。こちらの居心地が良かったのか、卒業するまで3年近く「師範」として、活躍してくれた。この後、亮師範の後輩たち、東大大学院で化学を専門に研究する「宗一郎師範」「秀樹師範」「智成師範」「忠彦師範」たちが続く。塾を始めてから、かなり好き勝手にやってきた。それでも、本当に生徒と保護者に恵まれたし、師範たちにも恵まれた。みんなに、ありがとう、と言わせてください。

昨年、宗一郎師範、秀樹師範、智成師範と久しぶりに会い、板橋の大名店「きくひろ」の料理を堪能した。アメリカ在住の亮師範の元気な姿も、スカイプでうかがえた。四人とも「お父さん」になっていた。

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