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Re-posting No.039 「大市」京都すっぽん料理の思い出

Re-posting No.039 「大市」京都すっぽん料理の思い出

(No.039 に大幅に加筆・訂正して再掲載しました)

1987年秋、俗に言う「バブル景気」真っ只中、連れ合いの由理くんの姉夫婦ナオさんとマリさん、我々夫婦の四人で「京都食べ歩き一泊四食」をすることになった。マリさんがこちらに遊びに来た時、話の中で盛り上がって出てきた企画だったような気がする。食するお店の選択は、福岡市博多でふぐ料亭を営む姉夫婦にお任せした。

初日お昼「菊乃井本店」夜「大市」二日目お昼「たん熊」夜「京都吉兆嵐山本店」(No.101)の計画が示され、その通りに実行した旅であった。「菊乃井」は大正元年創業の京懐石料理の名店、「たん熊」は昭和3年創業、同じく京懐石料理の有名店である。

初日夕食に選んだすっぽん料理店「大市」は、江戸元禄年間創業の老舗、今日まで340年、建物もいくつかの改装以外当時のままという。京都に出発する直前に、グルメ評論家山本益博氏の週刊文春連載「考える舌」の記事で「大市」が取り上げられていた偶然も、この旅行への高揚感の一助となっていた。

暖簾が出ていなければ民家としか見えない家屋のひき戸を引く。「おこしやす」仲居さんの柔らかな京都弁に導かれ、土間から上がり框(かまち)を経て、タイムトリップをしたような雰囲気抜群の黒光りした廊下を、四人は奥へと導かれた。今はテーブル席もあるようだが、我々の席は和室、自分にとっては苦手のアグラか正座での食事となるが、書院作りの部屋にはこちらがお似合いだ。

スッポン料理というと、生き血を飲むことが、コースの一つとして供される事を連想する方も多いようだ。「大市」での料理は「○(まる)鍋コース」のみ、その中に「生き血」は無い。コースはシンプルそのもの、座ると程なく部屋に運び込まれるスッポン鍋は「ぐつぐつ」の他の擬態語が思い浮かばないほどに土鍋の中が踊っている。

「ぐつぐつ」から「あつあつ」になったすっぽん鍋を、四人で瞬く間に鍋の底まで汁を掬い取る。すぐに仲居さんが鍋を取り下げ、程なく二回目の「ぐつぐつ」を運んでくる。四人共にアルコールを嗜まないので、二度目の鍋もすぐに無くなる。お店にとっては「もう少しゆっくり召し上がってください」と言いたくなる客かもしれない。

「お雑炊、お持ちしてよろしおますか?」仲居さんが再び調理場とお座敷を往復する。鍋料理全般に言えることだが、炭水化物大好きな僕は、雑炊に最も舌鼓を打つことが多い。雑炊と共に出された千枚漬けも「すっぽん雑炊」も絶品で「ご飯はたっぷり入れてください」との余計な一言を雑炊の前に言うのだった。デザートに富有柿が出て、はい、おしまい、豪胆な食事であった。「ぐつぐつ」に熱されるすっぽん料理に耐えられる土鍋が「大市」の宝だと言う。

鍋、雑炊いずれもメチャクチャ美味しかった。そうそうあることでは無いのだが「大市」は店を出てすぐにもう一度食したいと思ったお店の一件となった。

それから二年後の秋、由理くんとふたりで二回めの「大市」を味わう。前回の訪問と同じ部屋に通された。「ぐつぐつ」から「あつあつ」の鍋料理の味わいは健在であった。それでも、一回目ほどの感激が無かったのは、初回の訪問から色々なお店の味を経験してきたからか。誰が言ったか「グルメは不幸の始まり」。この頃から、嫌な真理に足を踏み入れているのかもしれない。

料理が終わるまでに違っていたのは、隣に姉夫婦がいないことと、この日のお客さんが少なかったことくらいだった。暇だったのであろう、女将さんが部屋に入ってこられた。「おこしやす、どちらからどすか?」「東京からです」

その後の話が弾んだ理由の一つは、僕の実家福島の母ユウ子が長く「大市のスッポンドリンク」を、お店から直接取り寄せていたからだった。母ユウ子の話をすると、「ああ〜、いわき市の…」、珍しかったのだろう、すぐに思い出してもらえた。お勘定の前に、女将さんが「お名刺いただけますでっしゃろか?」僕は仕事の名刺も持っていないのだ。持っていないと答えると、女将さん「そうでっしゃろなあ。プライベートの時は持ってへんでっしゃろな」。うん?ちょっとトゲがあるような…?

お店を出て、由理くんと二人、すっかり涼しくなった秋の風に吹かれ、京都の灯りに照らされ、余韻を楽しむようにゆっくりと歩いた。「美味しかったね。やっぱり凄いわ〜。でも、女将さんが言った名刺の件、ちょっとひっかかったね」と、由理くんに話を振ると「あれ、われわれ(由理くんはこういうことが多かった)のこと、夫婦と思ってなかったんとちゃう?京都不倫旅行と思ったんとちゃうかな〜」

僕が「ん、どうして、そう思うの?」と続けると、由理くんが、自分でも確認するかのように首を縦に降りつつ「だってさ、しんくん、由理くんって呼び合ってるやん。しんくん時々わたしのこと『君、きみ』って呼ぶしさ」。納得の推論である。京都流のセリフの洗礼を受けたわけか。

思わず吹き出した僕の苦笑いの声は、京都の石畳の中に刻まれたろうか?僕の微笑みは京都の薄明かりと共に由理くんに届いたのだったろうか?

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