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No.209 僕の映画ノート(11)北欧スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマン監督その1/「野いちご (Smultronstället)」僕の世界を広げてくれた傑作

No.209 僕の映画ノート(11)北欧スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマン監督その1/「野いちご (Smultronstället)」僕の世界を広げてくれた傑作

イングマール・ベルイマン Ingmar Bergman(1918年〜2007年)舞台演出を手がけたり脚本も書いたが、やはり映画監督としての印象が強い、北欧スウェーデンが産んだ20世紀を代表する巨匠のひとりである。

牧師の子として生を受けたことも影響しているのか、生涯を通じて「神との対話と神の沈黙」や「生と死」がテーマになっている作品も多く、時に「難解な」監督との評を受けることも少なくない。また、ベルイマン自身が生涯で5度の結婚を体験している故か、夫婦間・親子間などの「愛と憎悪」をモチーフとしている名作も数多い。

第二次世界大戦直後1945年に「危機」でデビュー、2007年に亡くなるまでにベルイマンは50本近い映画作品を残している。多作な映画監督と言えるだろう。その中で僕が鑑賞しているのは16本である。僕自身意外だったのだが、これまで映画館で鑑賞しているのは「野いちご」「秋のソナタ」2作品だけである。他の作品は2001年以降、DVDあるいはBlu-rayを購入し自宅で観ている。

映画に限った話ではない。小説などの文学作品、絵画、彫刻、演劇、音楽…人生のどの時点で触れ合うか、どんな状態の時に出会うか、もっと言えば、ひとりスクリーンに向かっていたのか、愛しきひとが隣にいたのか、状況によって作品からうける印象も違ってくるだろう。人生のふとした時に、思い出とくっ付いてふっと現れる作品もあるだろう。イングマール・ベルイマン監督作品「野いちご」は僕の人生の中で何度も、違う背景の中で、それぞれ1時間30分の至福の時間を与えくれ続けている。

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1971年8月東京「JR」の名称が産まれる前、国鉄新宿駅で山手線を降り、ギラリと陽光が射す東口に出た。この日も、故郷の福島県いわき市小名浜の海岸から吹く風のありがたみを想った。額に噴き出る汗を何度も拭いながら、左手に紀伊国屋書店を見て、伊勢丹デパートの先にある「新宿文化座」に向かった。高校2年生の夏、新宿の街も池袋同様、行き先を決めていれば何とか目的地には行けるほどにはなっていた。

板橋区の片隅に実家が経営している小さな酒販店があった関係で、小学4年生の時から夏休みや冬休みのいく日かを、長い時で2.3週間を都会の賑わいの中に身を置いた。クーラーも無い東京の夏の夜の暑さには閉口したが、酒屋商売を手伝いながら、地元のいわきでは触れることのできない「文芸映画」に触れることや、神保町古書店やマジックショップ巡りなど、都会ならではの文化に魅了されっぱなしだった。

1962年度キネマ旬報ベストテン第1位に輝いた「野いちご」と1964年第1位「かくも長き不在」(フランス映画、アンリ・コルピ監督・アリダ・ヴァリ主演)の2作品が同時回顧上映と言う、「キネ旬ベストテン映画」を追いかけていた地方の映画少年にとっては「とんでもない」組み合わせがあった。

特に、イングマール・ベルイマン監督は1961年「処女の泉」1962年「野いちご」と2年連続で「キネ旬1位」を獲得していて、その名前は、幾度も口ずさみ、出身国スウェーデンに対して憧憬の念を抱いてしまっているほどだった。(後に制作年は「野いちご」1957年と知る。制作から5年も経った1962年が日本初公開だった。「処女の泉」は1960年制作・1961年日本公開だった。制作年と日本公開年が逆だったのは、配給元の事情と思われる。僕が「野いちご」を観たのは制作から9年経ってからだった)

ベルイマン映画への批評の一つに「宗教観が難解である」と言うのがあった。キリスト教への関心も知識もない高校生の時分、そんな評判に少しは怯んだものの、未知の世界への好奇心が勝っていた。この時まで「キネ旬ベストテン入り文芸映画」のいくつかに「分からん、この監督の感性は自分には合わん」との判断を下してもいた。「難解」なイングマール・ベルイマン監督も、僕の中の「好かん監督」の一人に加わりそうな気もしていた。

1971年この当時、いわゆる「名画座」で観客の入れ替えは無かった。まず映画館に入り、次の上映をロビーで待つ人々に加わる。やはり評価の高い2作品の同時上映、外の暑さを「人の群れ」が継いでいた。10分ほど経ち、前の回の上映が終了したのだろう、扉のあちこちから人が出てきた。その横を向かい合うようにすり抜け、椅子を目指して進む人の列に加わり、何とか中央の椅子の一つを確保した。世界が驚く現在の日本の整列乗車の様子は、高度経済成長時の都内の名画座には無縁のものだった。

戦争がもたらした夫婦の別離と再会の物語「かくも長き不在」は、ストーリーも複雑ではなく素晴らしい映画だった。「野いちご」が、この感動を上回る情感を届けてくれるかは甚だ疑問で、あまり期待しないようにと自制したほどだった。…結果は、予想を遥かに越えたもので、映画が終了した後、しばらく席を立たずに余韻に浸った。

話のあらすじは、ヴィクトル・シュストレム演じる年老いた医学教授イサクが、長年の功績を認められ授与式に向かうまでの道程で、様々な人と接しながら自分の人生を振り返るというものだ。研究者として名声を得たイサクの人生は、いかほどのものであったのか?

それまでに接しワクワクした映画、アーサー・ペン監督アメリカンニューシネマの傑作「俺たちに明日はない」(No.192)ロマン・ポランスキー監督の怪作「吸血鬼」フランコ・ゼッフィレリ監督「ロミオとジュリエット」コスタ・カブラス監督政治サスペンス「Z」など、ストーリーに起伏があり、何らかの形の優れたアクションシーンを含む映像の高揚感とは明らかに違う「面白さ」を「野いちご」は持っていた。

ストーリーだけを聞けば、どこか心温まる場面が多い映画と思われるかもしれない。しかし、多くの映画作品に感じる安っぽい感動とは一線を画す映像美と緊張感が「野いちご」には溢れている。

映画冒頭イサクの悪い夢のシーン、話の伏線となる針のない時計、街角に立つ男がイサクの方に振り返るとその顔はのっぺらぼうで体は崩れ落ち溶けてゆく、近づいてくる馬車の車輪がはずれ棺桶が落ち中から手が伸びてきてイサクを捉える…。

ひとつだけ「野いちご」の中の場面を書き連ねてみた。この他にも登場人物たち、特に家族間の会話が、それだけでドラマとなる息苦しさで話に深みを持たせる。その一方で、ベルイマン監督作品の常連女優ビビ・アンデショーンやイングリッド・チューリンたちが、映画のラストの深い感動の一端を担う。

「新宿文化座」を出ると日は沈みつつあったが、湿気を含む風はまだ勢いをやめてくれていなかった。新宿駅に向かいながら「野いちご」に少しの難解さも感じなかったことが意外でもあり、嬉しくもあった。「もし、3年くらい以前、自分が中学生の時に『野いちご』を観ていたら同じように感動できたのだろうか?」

調べることなどできるはずも無かった。が、少なくとも感動の度合いは違っていただろうと、ごまかしのような結論だけは導けた。そして、他のベルイマン作品だけではなく、まだ観ぬ「キネ旬ベストテン作品」宝物がまだまだある事にゾクゾクしていた。

夕刻の蒸し暑さのもと、すぐにでももう一度観たいと思った「野いちご」だったが鑑賞の機会に恵まれなかった。

30数年の時の流れを数え、21世紀に入ってからだったか、イングマール・ベルイマンの作品がDVD化され始めた。2009年11月、暖房器具を出し始めた頃、ついに「野いちご」を再び鑑賞する機会を得る。映画館ではなく自宅で、ひとりではなく連れ合いの由理くんと共に。

・・・続く

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1972年に書き始めた「僕の映画ノート」の1ページ。「野いちご」のスウェーデン語での原題も書いてある。「感想」の拙さは…微笑ましいとしておこう。


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