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No.228 僕の本棚より(9)「デュフィ展:フランスの抒情/色彩の音楽/生誕100年記念」色彩の衝撃を受けた日

No.228 僕の本棚より(9)「デュフィ展:フランスの抒情/色彩の音楽/生誕100年記念」色彩の衝撃を受けた日

小学校国語の教科書冒頭のカラーページに掲載されていた、岸田劉生「麗子像」クールべ「石割人夫」梅原龍三郎「北京秋天」などを通して美術、特に絵画に惹かれていった(No.198)。とは言っても、高校卒業時まで暮らした福島県いわき市では、当時は美術館もなく「生で」絵画に触れる機会は多くなかった。

僕にとって「美術」は、学校での教科の中の一つに過ぎなかった。「絵」は自分で描くもの、鑑賞としての「絵画」は本の中の綺麗な写真の一つの形態でしかなかったように思う。東京に生活の拠点を移すまでの文化的な興味の中心は、映画や漫画や文学であり「美術」まで辿り着いていなかったと言える。

高校の同級生の何人かが美術部にいたこと、連れ合いとなった由理くんの父隆司さん(No.093, No.094, No.095, No.096)が美術に造詣が深かったことなどを通じて、徐々に「美術」が身近になり、少しずつ画集などにも目を通すようになっていったが、正直「教養を身につける」側面が大きかったような気もする。白状すれば、映画や小説の方が面白く感動もした。

結婚して2年となっていた1978年の10月、連れ合いの由理くんと西武デパート内のレストランで待ち合わせをしていた。早めに家を出てデパート内リブロ書店で時間を潰してもなお時間に余裕のあった僕は、デパート内をうろつき、12階にあった「西武美術館」の前を偶然通りかかった。ここで時間を使おうと思い、チケットを買おうとすると、間もなく閉館しますがよろしいでしょうかと問いかけられた。

長居をするつもりもなかったので「はい了解です、大人一枚お願いします」と、教養を身につけるには20分もあれば十分と、聞いたこともない画家の名前が冠された会場に入った。

会場すぐのところに低く展示されていた横長の薔薇の静物画に度肝を抜かれた。ピンクと赤の色彩の洪水、美しさが目に飛び込んできた。「絵の具ってこんなに綺麗だったんだ!どうやってこんなに美しい色が出せるんだ!」それまで、画集で見てきた絵画の色とは、明らかに違う。ぼんやりと感じてきた「画集の写真と本物は違うんだろうな」との思いが確信に変わった瞬間でもあった。

興奮を押し殺しながら絵を見ると、中央下部に描かれたテーブル上の花瓶に赤とピンクの薔薇がこんもりと盛られている。後ろの壁には不釣り合いなほどの大きな絵が掛けられており、やはりピンク色に溢れた花が描かれている。絵の右側は、部屋の右壁が鋭角に画面を引き締めている。よく見ると、テーブルは花瓶など置けない不自然な角度を保ち、テーブル面も脚も、幾何学と花柄模様のピンク色の壁紙と床のピンク色に同化している。

うーむと唸りながら、何気なく通り過ぎた入り口に戻り、展示会の名前を確かめた。「デュフィ展:フランスの抒情/色彩の音楽/生誕100年記念」とあった。この後の会場内には、どんな絵が、どんな世界が広がっているのだろう。閉館間際まで少ししか時間がないな。ワクワクしながら、足を速めた・・・。

フランス出身の画家ラウル・デュフィの代表作の一枚「30年、或いは薔薇色の人生」は、この後「美術」が僕の内面を彩ってくれる嚆矢の一本だった。

手許の画集掲載のものをiphoneで撮りましたので、縦と横の一部が切り取られています。全体像を観たい方はネットで画像を検索してください。画集での題名は「30 ans ou la vie en rose 30歳、またはばら色の人生」となっています。
1931年に、デュフイ自身のアパート内の食堂の一角を描いたもので、2種類の壁紙はデュフイがデザインしたものとの説明があります。

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