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No.183 よろしく!小野先生(8)リョウくんとの出会い

No.183 よろしく!小野先生(8)リョウくんとの出会い

No.182の続きです)

この数ヶ月後に小学4年生となるリョウくんのお母さんミドリさんと初めてお会いしたのは、近所の石神井川の桜が三分咲きの三月のうららかな日だった。ポスティングのチラシを見て、足を運んできたとのことだった。

ミドリさんの話によると、近所の公立小学校に通う一人息子のリョウくんは飽きっぽくて、学習塾をはじめ色々な習い事が続いたことがないとのことだった。本もあまり読まずゲームが大好き、少しは勉強もさせないとなど、にこやかに語る表情からは、リョウくんが勉学において深刻な悩みを抱えているようには見えなかった。

後日、テストを受けにやってきたリョウくんは、お母さんよりも早くスリッパを履き、物おじもせず、小学生に特有のポッチャリした顔に笑顔を浮かべて教室に入ってきた。お母さんとそっくりの笑い顔で「愛嬌のある子」の第一印象を僕に植え付けた。

少し難しめの算数テストは問題なくこなしたが、学校では学習していない難読漢字は読めないものがほとんどだった。読書量は多くないと判断できた。体験学習も終えて入会していただいた。新5年生のサキちゃん、フミユウくんに続く三人めの小学生だった。最年少のスクール生となったリョウくんは、好奇心も旺盛で良く話しかけてきた。

難読漢字のカード(No.132)『難しい』を小学4年生のリョウくんの目の前に突き出す。「え〜、むずいよ、これ。読めなくてもいいよね」「そうだね、読めても読めなくてもいいよ〜。『難しい』よね〜」。『難しい』の箇所をやや強めに読む。リョウくんが答える。「分かった〜!『むずかしい』だー!」「ほー、良く分かったなあ〜」。今でも僕がよく使う「お遊び」だ。

続けて『敬う』を見せる。リョウくん「読めないよ〜」。「そうか〜。ワタクシを『うやま』えば、教えてあげてもいいぞ〜、わはは」。「『うやまう』でしょー。なんか聞いたときあるよ。どんな意味?」「『尊敬』する、ってこと。こちらなら分かるかな?」「うん、分かる!」

リョウくんだけでなく、学業に余裕のあるスクール生には、手作りのプリント『都道府県名と県庁所在地』や『アジアの国々・その特徴』『植物の分類』など、教科も学校の進度も関係なく、こちらの気の向くままに授業を進めていった。僕は、ある意味、わがままでいい加減な教師だとも言える。

リョウくんがこちらに通い始めて四ヶ月が過ぎたある真夏の昼下がり、お母さんのミドリさんから「ご相談したいのですが」との電話があり、こちらに来て頂いた。初めにお会いした時と違い、この日のお母さんの笑顔は『強ばる』の漢字を連想させた。お聞きすると、リョウくんに私立中学受験をさせたく、進学塾への転塾も考えていて迷っているとの事だった。

福島県で生まれ育ち、子どももいない僕にとって、中学受験は縁の薄い事柄であった上に、フランチャイズの本部も、中学受験に対するノウハウは持っておらず、中学受験を考えた時に、お母さんが不安になるのも当然と言えば当然だった。進学塾の『夏期講習・生徒募集』のチラシが、毎日のように目に入る時期でもあった。

「塾を退会します」と、理由を告げることなく去られてもやむを得ない状況の中、相談していただけたことを、今でも有り難く思っている。小中高の日々をずっと公立校で過ごしてきた僕にとって「中学受験」は、懐疑的な気持ちが起きる対象のときもあった。

テレビやマスコミで、否定的に取り上げられることもあった「クイズのような入試問題」や、学費の問題、一種のエリート意識の形成などを産み出す土壌・・・そんな負のイメージの羅列を植え付けられている部分もなきにしもあらずだった。

ミドリお母さんは、自分の不安な気持ちを素直に伝えてくれた。正確には、中学受験のノウハウを持たないこちらで学習を続けるのが不安なのだ。「ミドリお母さんは誠実に伝えてきてくれた。誠実に答えよう」。自分の都合ではなく、リョウくんに一番良い方策を考えて、誠実に答えよう。僕には、この選択肢しかなかった。

・・・続く

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