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ニューヨーク式、アートマニアが生まれるまで。【 #DMM英会話日記 】

友達でもない相手に、子どもの頃どんな子だった? とか、なんでその仕事に就いたの? などとは、不躾すぎて普通は聞けないものだ。
人は環境によってどう変わるのか、どんな葛藤を経て大人になるのか。そこには思春期特有のナイーブなエピソードがあり、痛みがあり、挫折があり、克服や希望もある。有名人や友達に限らず、生い立ちに関する物語はおしなべて魅力的で、興味深いものだ。
DMM英会話の魅力の一つは、友達でもない相手と、不躾な話ができてしまうところである。以前とある優等生が世界放浪の旅に出るまでをnoteに綴ったが、こういう会話は本当に心に残るもので、自分がすっかり忘れていた痛みを久しぶりに思い出したりする。

先日は、とあるニューヨーカーの生い立ちの物語に触れた。
彼は今はアート関連のライターとしても活動している30代初めの青年である。彼はニューヨーク郊外の、シティまで地下鉄で40分くらいの町にある、いかにも豊かそうな、シックな住宅街で育った。

「子どもの頃は美術が嫌いだったんだ」と彼は言う。
「絵を描くのが下手で、自分が描きたいと思う対象を形取るのに時間がかかるのがイライラしたんだ。 I was too impatient.(すごく短気だったからね。)
でも16歳のとき、カメラを手にとって変わったんだ。シャッターを押すだけで描きたいものが1秒で描けるなんて素晴らしいじゃないか(笑)。そこで僕は学校の写真クラスにも入り、素晴らしい先生にも出会った。
彼女はアーティストとしても活動している教師で、僕の写真をみて、”あなたには才能がある”と言ってくれた。僕にたくさんの写真集を見せてくれ、たくさんの写真家について語ってくれ、チェルシーのアートギャラリーにも連れていってくれた。」

こうして写真にのめりこんでいった少年は、とある暴挙に出る。

「僕はまだナイーブなティーンエイジャーで、世の中のことなんて何も知らなかった。だから恐ろしいことに、世界トップレベルのギャラリーが集まるニューヨークのチェルシーに行って、ハイエンドなギャラリーを一軒ずつ回り、自分の作品を収めたCDを渡して歩くようになったんだ。"この作品を見てもらえませんか?”ってね(笑)。」

彼はそののち、そのチェルシーにある世界トップレベルのアートギャラリーで働くことになるのだが、もちろんこの時は想像もしていない。

「あるとき、親切なギャラリーの女性が僕に教えてくれたんだ。”こんなふうにCDをいきなりもってきても無駄よ。オーナーの知り合いの紹介か、誰か他のアーティストの推薦がないと誰も受け付けてくれないわ”ってね。」

それで、チェルシー通いは止めたの?

「写真を撮るのは続けたけれど、ギャラリーに通うのはそれきりやめた。僕はプロフェッショナルなアーティストになるのはどうも無理みたいだってことにも気づいたしね。だから僕は大学に行って、アートディーラーやアートライターになる道を選んだんだ」。

私にも似たような経験がある。10代の頃は本気でプロの漫画家を目指し、作品を仕上げては出版社に持ち込んでいた。少女漫画誌の新人賞にも何度か応募したが、努力賞にすらひっかからなかった。当時(ひと昔前だ)の少女漫画家は大抵16歳〜17歳くらいでデビューしていたから、18歳になって箸にも棒にもかからなかったらきっぱり諦めよう、と思っていた。そして予想通り、箸にも棒にもかからなかった。
私は漫画道具を押し入れに仕舞い込み、代わりに受験勉強を始め、普通の大学に行って、普通の会社員になった。

「僕たちの共通点は諦めがちょっと早すぎることかもしれないね」と青年は笑う。
「世界の著名なアーティストたちの多くは、中年になるまで全く評価されていなかった。カンディンスキーなんか40くらいでやっと作品を発表しはじめたんだ。何事も遅すぎることなんてない。It's never too late to try.

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