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過去の栄光と偶像崇拝
やましたひでこさんの断捨離動画で、成長して独立した子供達のおもちゃやトロフィー・賞状などをたくさん飾る親の家を紹介していた。実家あるあるだと思う。
前回日本に帰国したとき懐かしい飾り棚を空にした。30年間止まっていた空間。
幼稚園卒園記念のうさぎの貯金箱。誕生日にもらったオルゴール。おばちゃんが買ってくれた花瓶。捨てられないチビ鉛筆。大好きだったキャラクターバッチ。
小ぶりのガラスケースに綺麗に収まっていたので、保存状態はとてもいい。年代物をコレクションしている人に声をかけてみたけれど、その人が欲しい物はなかった。
キャラクターバッチと鏡と鉛筆。修学旅行で買った小物。これらをイタリアに持って来た。バッチはリサイクルショップへ。自分へのお土産だった神戸のミニ洋館と、九十九里浜で集めた小さな貝殻をいれた小さなたこ壺の置き物は先日処分。
保存できない大きさではなかった。手のひらサイズの飾り物。手にとって会話した。サヨナラを言っている。今まで付き添ってくれてありがとう。お礼を言って手放す。
子供が遊んでいた物や獲得したメダルなどはやがて、親の「過去の栄光」となる。それをずっと飾ってある懐かしい空間でくつろげるなら、それでもいいと思う。
今の家に飾ってある息子達の物は3枚の写真と息子達の絵2枚。場に合って気に入っているもの。それが基準。
何もかも捨て去ることはない。経験や体験が今の私を作ってくれた。それは紛れもない事実。誰かに誇示する必要はない。過去にしがみつくこともない。
ふと偶像崇拝に似てるなと思った。そこに本体はないのに手を合わせて拝む。その行為を通じて、誰かや何かに焦点を合わせることが心の平穏の支えになるなら構わない。
私は物に惚れっぽいし、手元にきたらとても大事にする。でも偶像崇拝はしない。手放す時期がきたらあっさりと旅立ってもらう。
針仕事へ行ってきます。素敵な1日を。
(はてなブログ「アレコレ楽書きessay」2021.5.25 加筆修正転載)
Grazie 🎶