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楽しかった学生生活を終える時に

今朝起きがけに降りてきたのは「卒業の時に手放す物がある」という言葉。どれだけ楽しかったとしても学生時代は必ず終わる。

今の場所で今の仕事をどれくらい続けるかはっきりとはわからないけれど、タイミングが来れば生活リズムも変わるかもしれない。

次男が通学を終える時にまた、母親役の私の立ち位置が変わるだろう。そんな漠然とした感覚はある。

引き合いに出して考えてみるのは学生生活。例えば3年間という期限があって、どうせいつかそこを離れるからと全ての事を投げやりにしていたら楽しい日々になる訳がない。

学生時代は充実していたと語る人は、何かに没頭していたから。数年後に終わるとわかっているからこそ、それぞれの瞬間に集中していた。

引き延ばしてみればそれは人生そのものに当てはまるし、スパンを短くしてみれば1日でも1時間でも同じこと。

「どうせ今日は終わってしまうから」なにもしないで過ごす状態は健全ではない。「どうせ明日も汚れるから」家や身体を綺麗にしなければどんどん汚くなる。

焦りがちな人は「明日できることは明日」、フットワークが重い人は「今日できることは今日」、それぞれ処方箋は違うと思う。

ただし誰にでも共通事項がある。

「何かが終わる時に手放す物がある」

ということ。

ひとつの仕事、1日、長期プロジェクト、人生。何かが幕を閉じた時に、過去にしがみついていては前に進めない。

イタリアに来た時にこう思っていた。まだ上手く言葉を話せないけれど、ひとりで買物もできるし身の回りのあれこれもできる。だから3〜4歳くらいになったつもりで過ごせばいいや、と。

そう考えれば超天才児。やたら難解な日本語を知っているし、料理も掃除もできるし手先も器用。そんな暮らしを始めてから20年たった。

大学を卒業するくらいの年齢。楽しかった学生生活を終えるタイミング。今日は確かマヤ暦の新年。要らなくなった物に感謝を伝えて手放します。

どうもありがとう。

(はてなブログ「アレコレ楽書きessay」2020.7.26 加筆修正転載)


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