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わかれ道が見えたときに決めたこと

この先この家でこの人とずっと暮らすことはない

と別れの気配が視えたとき決めたことがある。避けられないだろう別れを「悲劇に仕立て上げない」と静かに決心した。どうやってやるかなんて全く見当がつかなかった。お手本になるような人はまわりにいなかった。

間にいる子供達や家族・親戚とのつながりが、濃厚であればあるほど別れがちらつくときのハードルが高く感じられる。どうやったらたどり着くか全くわからなかったけれど、とにかく先に決めた。

悲劇にだけはするまい、と。

当時できることと言えば、その理想的な状態をリアルに想像することだけ。何もかもが落ち着いて、みんながそれぞれ笑って暮らしている姿をありありと想像してみた。細かい状況や設定は想像できなかった。

だから笑顔を思い浮かべた。ほんとうに笑っている表情の細部を思い描く。これが現実創造の鍵だった。それからひとつずつ現実的にある課題をクリアしていく。階段を一歩一歩登るように。

精神状態を中庸に保つように心がけていた。

「今までと同じ言動」を期待していた彼は、私の変化に触発されて荒れたり落ち着いたりを繰り返していた。変わってしまった相手に、もとに戻れ!と訴え続けていた。

笑ったり怒鳴ったり、荒波みたいな感情をぶつけてくる元ダンナのヘドロを洗い流す日々は、ひとりの人間としての修行の中でも結構レベルの高いものだった。

ふう、と深呼吸してから日常生活をこなす。処理しきれない感情は紙のノートに書き出した。幸いにも日本語は誰も読めない。それほど丁寧に隠さなくても全く問題はなかった。

すべて落ち着いたら何をする?

と自問自答を繰り返して日々のあれこれをこなしていた。軸がブレそうな時、何度でも同じ質問をした。自分自身に。

「食事を作り掃除をして
 快適な環境を整えて
 好きなことをする」

これが答えだったのでやった。淡々と。こつこつと。周りが動かないときに焦っても何も変わらない。

別れの気配が視えてから1年、離婚話が出てから数ヶ月、穏やか過ぎる私の態度が癪に障り元ダンナが激しくキレた後、程なく今の家が見つかった。

彼が怒鳴るその裏の悲しみや不安やるせなさがわかる。わかってしまうのだ。だから20年サポートしてきた。残念ながら彼の側では私は女になれなかったし、弱音を吐くことができなかった。母親という役割を体験する機会をくれたことには、心底感謝している。

別れの気配から1年半後には、それぞれの場所で穏やかに暮らすことができた。子供がいる夫婦の人間技にしてはなかなかのハイスピードかもしれない。

新しい暮らしに慣れるにはそれぞれのペースがある。なんだかんだと落ち着くまで創作活動には身が入らなかった。

それもまた一興。

すごろくの「一回休み」みたいな時期ならではの体験は、実は結構ありがたい。新しい流れが始まると集中しにくいことができる。

ウイルス騒動もちょうどいろいろなデトックスになった。個人的にも社会的にも。新しいサイクルが本格的に始まる感覚がある。

朝晩の冷え込みが日に日に濃度を増してきました。

素敵な冬になりますように。

(はてなブログ「アレコレ楽書きessay」2022.11.27 加筆修正転載)

Grazie 🎶