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イタリアで日本語を渇望した頃の話【会話よりも文字が恋しかった日々】

その頃簡単に触れられる日本語は持ってきた自分の本や雑誌。新しいものは簡単に手に入らない貴重品だったから、友達から回ってくると雑誌広告から編集後記まで活字という活字を読み尽くした。母が送ってくれた荷物のパッキングに使われている、くしゃくしゃの新聞も読んだ。

古本をダンボール箱につめて船便で送ってもらったこともある。どんなジャンルでもいいからとにかくあるだけ送って、と友達にお願いした。自分では絶対に手を出さない分野の本を読めたのはありがたい機会だった。

日本語に限らず活字を読むといつも便通が活性化される。御用達の図書館のトイレとはすぐに親密な関係になる。本屋でその効果が出ると場所によっては困るんだけどね。

兎にも角にも文字を読むだけで便秘にならないのだから、イタリア語の文章を読むことがひと苦労だった頃は「日本語読みたい症候群」を発症してあたりまえ。スクリーン上でも効果はある。田舎町のインターネット回線は当時、電話回線だった。

必要があればパソコンを使ったが普段はストレスの原因になりがちだったので、メールのやりとりも稀。ワタシのメールの返信は伝書鳩より遅いということが友人達のあいだでは常識だった。

最近はネット環境が整い、イタリア語の活字も楽しめるので、あの頃の渇望感はない。過ぎてしまえばすべて懐かしいひとかたまりの記憶。

ついでに思い出した。

当時、経営していた雑貨屋で知り合った人が旅先から嬉しそうにバカでかい容量の写真を送付してきたことがある。クリスマスツリーの横でピースをしている姿が少しずつ画面に現れる。しかも4枚くらいあった。

その人の「見て見て精神」から「こういう人間にはなるまい」と、1時間くらいかかって受信しているパソコン画面をちらちらと横目で見ながら静かに堅く決意をした。今思い返すと、ただ受信を途中で辞めればいいだけの話。妙に律儀すぎる私もバカでした。

そんな訳で頻繁に発信する公共の場では、なるべくいらないものを削ぎ落とすようにしている。

おやすみなさい。

(はてなブログ「アレコレ楽書きessay」2022.10.21 加筆修正転載)

Grazie 🎶